魔導士任命式
任命の式典は厳かに行われた。リゲルは小学校の卒業式を思い出している。校長先生のいる壇上にあがって、先生の目の前に立ってお辞儀。そして卒業証書を受け取ってお辞儀。たったそれだけのことを二時間かけてやる意味を未だに理解できないでいる。
——一時間前。
「いいかお前ら。女王陛下に名を呼ばれたら、返事をして女王陛下の御前に跪くんだ。そしたら新しい名前と、軍服につけるボタンが授けられるから、丁寧に受け取って後ずさりして下がれよ。決して陛下に背中を向けたらだめだぞ」
若干緊張した面持ちのエルゲに言われ、一行は力強く頷いた。リゲルだけは、「はいはい、卒業式」という感情が顔に出ていたが、律や弥生でないと気づけないような表情の変化だった。
おとなしの森から帰って、一日しか経っていない。仲間を失った悲しみに暮れる時間も、傷を十分に癒す時間も、彼らには用意されていなかった。ただ宮殿の浴場に連れていかれ、念入りに洗われ、真新しい軍服を着せられ、気づいたら謁見の間の待機室に詰め込まれ、注意事項を滔々と聞かせられている。
魔導軍の軍服には白いローブがついている。全員が深い青色の軍服に白いローブを羽織っているのは、なんだかこそばゆかった。同時に、これからこのローブが血や泥に汚れていくのかと思うと、いちばん残酷な色の衣装な気がした。
この日ばかりは、エルゲもポラリスも、レグルスでさえ、しっかりと軍服を着ていた。これが自分たちにとって重要な式典なのだと思うと、ミストは吐き気すら感じ始めた。
「大丈夫か、ミスト?」
アルラが声をかける。
「ああ、なんか緊張して気持ち悪くなってきた」
「なんでリゲルたちは動じてないのさ?」
ピルクはいたって平常通りのリゲルと珠春が不思議でたまらなかった。
「女王陛下には何度かお会いしてるから……」
まさか、初対面で激おこの女王陛下に髪の毛でぐるぐる巻きにされたので吹っ切れた、などとは言えない。余計に面倒になる。実際リゲルと珠春は城住みだし、アルテミスに気に入られているから、王族には何度も会っている。嘘はついていない。
「へえ、やっぱ“あちら側”だからお会いする機会もたくさんあるわけか。よかった、僕フェリア人で」
ピルクがへらりと笑うので、リゲルと珠春は顔を見合わせて笑った。
「始まるぞ、お前らこっち来い」
エルゲが一行を謁見の間に整列させる。
「これから女王陛下とアンドロメダ殿下とアルテミス殿下が目の前に来るから、頭を下げて待っていろよ。失礼のないようにな」
全員が頷くと、どこかでトランペットが鳴った。王族の入場だ。反射で頭を下げる。四十五度の礼で待つ。
広間の向かって右側の扉から、王族三姉妹が入ってきた。豊かな布地のドレスが衣擦れの音を立てる。
「顔を上げなさい」
アストライア女王の静かな声がして、全員がゆっくりと顔を上げた。美しい顔立ちの三姉妹がこちらを見ている。栗色の髪を結いあげた女王が優しく微笑み、ブロンドの髪を軍帽に隠した、フェリア神聖軍の長官たるアンドロメダが厳しく視線を向け、黒髪をおろした魔導省の長官であるアルテミスが興味深そうにこちらを眺める。いつ見てもアルテミスの異質さが引っかかる、とリゲルは頭の隅で考える。
「みな、よく帰ってきましたね。そして、よくぞコイネの手先を退けました。ここに生きて立っていること、奇跡に近しい功績です。よって、あなたたちに魔導士免許である、金ボタンを授与します。アンドロメダ、ボタンをこちらへ」
「はい」
女王は、アンドロメダの差し出したビロード張りのトレーを受け取って、アルテミスに目を向けた。アルテミスは持っていた金枠のトレーを持ち、女王の横に立つ。
「では、メイ。こちらへ」
「……はい!」
メイは緊張してぎくしゃくした足取りで、女王の前に進んだ。膝がぜんまい仕掛けにでもなっているかのような動きで跪く。
「そんなに緊張しなくてもいいのよ」
女王は小声でメイに囁いた。メイは耳まで真っ赤になって首を横に小刻みに振るった。
「魔導士メローペ。これがそなたの名です。良いガーラン使いになりましたね」
「は……はい! ありがたく頂戴しましゅっ」
大事な語尾で噛んでしまったメイはまたりんごも驚くほど真っ赤になったが、王族三姉妹が優しく笑ってくれたので、救われる心地がした。
「アルラ、こちらへ」
「はい」
アルラの声も緊張で若干上ずっている。
「魔導士アトリア。あなたの冷静さに救われる命もあるということを、覚えておいでなさい」
「ありがたきお言葉、痛み入ります」
アルラは淀みなく拝受した。
「ミスト、こちらへ」
「は、はい」
ミストは、いよいよ吐き気が最高潮に達しているのか、顔色が良くなかった。
「魔導士ミンタカ。これはオリオン座の星の名です。リゲルを支えてくださいね」
「はい、きっと支えます」
一瞬リゲルの方向へ目を動かしたが、女王の御前で振り返るのは無礼かと思い直して、ただ頭を下げた。
「ピルク、こちらへ」
「はい」
ピルクはいつもの飄々とした声で返事をした。ここへきて吹っ切れたのか、いまはきっと料理のことでも考えているに違いない、と一同は思った。
「魔導士ピピリマ。そなたの影の努力を私は知っています。強くなりましたね」
「……ありがとうございます。頂戴します」
影の努力? いったいなんのことかと一同は不可思議に思ったが、どうやらそれは、ピルクと女王だけが知ることらしかった。
「珠春、こちらへ」
「……はい」
珠春は記憶にあるアストライア女王と目の前にいる女王が別人なのではないかと疑い始めていた。こんなに優しげな方が、あんなに激怒するわけがない。
「魔導士プレアデス。そなたは御印でありながら魔導士になった初めての人物です。歴史が語り継がれる限り、誰もそなたを忘れないでしょう」
「ありがたく頂戴します」
そして、リゲルの番が来た。
「リゲル、こちらへ」
「はい」
「魔導士リゲル。そなたが魔導士になるとも決まらぬうちに、レグルスがこの名を授けました。そして見事に魔導士になってくれて、ようやくレグルスを叱らずに済むというものです。あの者も今頃胸をなでおろしていることでしょう。しかし、そなたにとってはここはまだスタート地点。数多の困難が行く手を阻むことでしょう。忘れないでいて、そなたには女神様がついているということを。鈴の君のご加護があらんことを」
アストライアはリゲルの頭をそっと撫でた。
「ありがとうございます。頂戴します」
リゲルには、これからのことを考えると、これは血塗られた道の平和な出発点に思えた。手のひらに乗せられた金ボタンは、確かな重みをもって輝いている。
「一同、敬礼!」
エルゲの号令で、謁見の間にいた軍服の人間たちが、ザッと敬礼をした。もちろんリゲルたちも、学習院で教わった通りに敬礼をする。
王女たちは自分の席に戻り、アストライアが微笑んでひとつ手を叩いた。これを合図に全員が敬礼をやめる。
「みな、この新人魔導士たちをしっかり見守るのですよ。レグルス、挨拶を」
呼ばれたレグルスは、玉座の横に立ち、話し始めた。
「みなさん楽にしてくださいね。えー……、今日任命された魔導士六人は、魔導軍に入ります。これからコイネとの全面戦争に入るのかもしれない情勢で、彼らは不運であるかもしれません。決して全員が志願したわけでもありません。ただ、彼らが若い命を散らさぬように、上官である我々にできることは、なんでもやるべきであると思います。全員勝手に死ぬことは許しません。生きてこの困難を打ち破りましょう、いいですね?」
広間のあちこちから、野太い声の歓声と盛大な拍手が沸いた。レグルスが長官として慕われていることを、リゲルは初めて納得した。自分の前ではただのずぼらなおじさんだが、こうして軍服に身を包み、髪の毛もしっかりセットしてまともなことをしゃべると、途端に良い長官に変身する。リゲルたちも拍手をした。
「レグルス、ありがとう。下がっていいですよ。……さて、これで任命式は終わりです。新人魔導士たちに休息の時間を与えてくださいね」
アストライアの言葉で、また盛大な拍手が広間を埋めた。これでやっと休めるのかと思うと、リゲルたちは気が抜けて、まだ王族の御前であることも構わず、へたりこんでしまった。体中が痛い。心も癒えていない。
「部屋を用意させました、彼らを案内してあげて。アテナ」
侍女服の女性たちが一同を取り囲んで、全員客間に引きずって行かれた。
長かった試験が、やっと終わった。




