コイネ
ネメシスの通信が途絶えて、半日が経った。
コイネ指揮官のミラは、ふっと笑って鏡を見た。
「やれやれ、幼虫の一匹潰せないようでは、先が思いやられる……」
とはいえ、ミラにはリゲルを殺すという目的があるわけではなかった。むしろ、リゲルをコイネ側に引き入れたいという気持ちが大きく、『セイバー殲滅』を掲げていたネメシスとは時折衝突していた。せっかく出てきた芽を摘むことはせず、適度に育ててこちらに移す。それがミラの計画であり、邪魔をされては鬱陶しいだけだった。
「ネメシス……勝手なことを。まあいい、戦闘に使える手駒はまだいるさ。なあ? セイレーン」
『はっ』
セイレーンと呼ばれた女は、通信機の向こうで鋭く返事をした。
「俺の計画を阻む者は、こちらの手駒であろうと見捨てる。それが我が国のやり方だ」
『……ネメシスは、死んだのでしょうか』
「知らん。だが、あれの魂の気配を感じない。魔導士になりたての幼虫ごときに殺されるとは、とんだ出来損ないだ」
『……』
セイレーンは返事を控えた。ミラは少し苛立っているように聞こえる。
セイレーンとネメシスは、仲が良いわけではなかったが、共に訓練された者として、仲間意識はあった。決して弱い女ではなかった。魔力量も多く、魔法戦ではかなり長く戦えるはずだった。……なのに、魔導士になりたての小僧に殺された? にわかには信じがたい。
ミラには怒られるかもしれないが、少し様子を見に行くことにした。
ネメシスの通信は、フェリアのおとなしの森付近で途絶えた。最奥部の神殿近くだと思う。セイレーンはおとなしの森に足を踏み入れた。
ところどころにパーティの野営の跡が見られた。セイバーの一行によるものだということはすぐにわかった。ネメシスはどこに倒れているのだろうと気が気でなかった。なんとなく彼女がいない方が安心できる気がした。
神殿付近に来ると、戦闘の跡が生々しく残っていた。木々には傷がつき、地面は荒れていた。血痕があるのを見て、最初はネメシスが傷つけた者の血だと思った。しかし——
「……!」
ネメシスが倒れているのを見つけた。額から血を流している。明らかに死んでいた。体中傷だらけで、ボロボロの状態だ。目が開いていたので、そっと閉じてやる。
「ネメシス……」
まさかネメシスがここまでになっているとは思わなかった。これは、自分が戦ってもセイバーに殺されるのではないかと不安にもなったが、そんな弱音は吐けない。仇をとるしかない。ミラ様がなんと言おうと、この手でセイバーを殺す。そう思った。
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帰りは拍子抜けするほど平穏だった。森の民からの攻撃は一切なく、不気味なくらいに静かだった。
「音が無くなるのは変わらなかったな」
珠春が森を抜けてから呟いた。
「じゃなきゃおとなしの森なんて名前つけないよ」
ピルクがけらけらと笑う。努めて明るく振る舞っているが、やはりサウンを埋葬した付近を通るときは、みんな沈痛な面持ちになった。ミストはリゲルの心配そうな顔を見て、笑いかけることはあったが、口数は少なかった。
「あっ! 先生たち!」
メイが明るい声を出した。見ると、街道に出る辺りにポラリスとエルゲが立っている。
「お前ら! 生きてたか、よかった!」
エルゲが嬉しそうに手を振る。
「サウンはどうした?」
ポラリスが尋ねると、全員が顔を伏せた。
「実は……」
ミストがことの顛末を話すと、二人の顔が曇った。
「毎回魔導軍の試験では死者が出る。……わかっていても、やはり辛いな」
エルゲは無理に笑って、ミストの頭をぽんぽんと撫でた。
「仲間を殺したことを気に病むかもしれないが、お前の判断は正しかった。よくやれたな」
ミストは涙ぐんで、それを悟られまいとそっぽ向いた。
「しかしお前ら、すごいボロボロじゃないか? 傷だらけだぞ」
リゲルは言うかどうか迷ったが、この先またコイネの手先が襲いかかるのかもしれないことを考えて、打ち明けることにした。
「コイネの戦闘員に襲われました」
ポラリスとエルゲの顔が強張る。
「ネメシスという女に襲われて、今回は俺たちが勝ったけど、あの感じだと、まだ戦闘員はたくさんいるのかもしれない……」
「その女はどうした? 逃げられたか?」
「いえ、殺しました。ミストが」
二人の視線がミストに集まる。
「俺……やらなきゃだめだってわかってるのに、どうしてもとどめが刺せなくて。迷っていたら、ミストがやってくれました」
リゲルは正直に話した。
「神殿で授けられた魔法は、使えば必ず対象が死ぬのに、どうしても使えなくて」
「もういい、話さなくていいよリゲル。あんたはよくやった」
ポラリスがリゲルを抱き締めた。
「ネメシスとかいう女は、リゲル狙いだったんだろう? それを返り討ちにしたんだ、あんたたちの初戦は、勝利で終わったんだよ。それでいいんだ」
リゲルはポラリスの腕の中で頷いた。あのとき先生たちがいたら、どうなっていただろう。もっと早くに蹴りがついて、ここまで消耗することもなかったかもしれない。
「全員よく生きて帰ってきたな」
エルゲが優しい声で言った。メイは泣いている。
「メイ、怖かったろ。大丈夫だったかい」
ポラリスが今度はメイを抱き締める。メイは声を上げて泣いた。
「でも先生。今回の戦闘でいちばん活躍したのは、リゲルを抜きにするとメイです。メイの遠隔攻撃がなければ、俺たちはネメシスに傷をつけることもできなかった」
アルラが冷静に言う。
「メイ、立派なガーラン使いになったね」
ポラリスがメイの頭をがしがし撫でた。
「先生いたいよ……」
「ごめんよ」
珠春はそれを眺めて、今回の戦闘で自分はどのくらい役に立てたのかを考えた。兄上のために動けていただろうか? 自分が授かった魔法は、たしかに必殺のものではなかったが、うまく使えれば、もっとうまく動けたのだろうに。
「珠春?」
リゲルがそんな様子に気付いて声をかけた。
「おれは……弱いな」
「どうしてそんなこと言うんだよ? お前は強いよ。先陣を切るなんて真似はそう簡単にできるもんじゃない」
「それはおれが死なないという過信から来るものだ。誰かのために動いたことにはならない」
「そういうものか?」
「そういうものだ」
リゲルは、こうなってしまった珠春が劣等感の渦から自力で這い上がるまでは、ずっと考え込まないと気が済まない質なのを知っているので、もうなにも言わなかった。それが珠春にはありがたかった。
「さあ、帰ろう。帰ったら正式に魔導士任命式がある。女王陛下から魔導士の名前をもらって、レグルスの部下になるんだ」
「魔導士の名前って、もらったらそれをずっと名乗らなきゃいけないんですか?」
ピルクが言った。
「まあ、仲間うちではずっと前の名前を使ってる奴もいる。しかし仕事を受けるときは魔導士の名前を使わなきゃならん」
「そっかぁ」
「なんでだ?」
「いや、名前を新しくもらっても言い間違えそうだなあと思って」
エルゲとポラリスは苦笑した。
「アタシなんかは“あちら側”だから、真名と、この名前しか持ってないからな。リゲルもそうだよ。リゲルは魔導士になってもリゲルだからね。こいつには真名しかないから」
ポラリスはリゲルを指差して笑った。“あちら側”渾身のネタなのだろう。エルゲも自虐的に笑っている。
「じゃあレグルスさんもそうなんですか?」
「うーん、あいつは記憶を失くしてるから、真名もないんだ。レグルスに紐づいている名前はレグルスだけさ。厄介なことにね」
エルゲは言いにくそうに言った。それのなにが厄介なのか、このときは知る由もなかった。
「ほらほら、帰ろう」
ポラリスが先に歩き始めた。
「帰ったらハンバーグ!」
メイも走り出す。
「メイはいつも腹ぺこだなあ」
ピルクが笑った。ミストもリゲルに笑いかけ、一行は帰路についた。帰ったら、魔導士任命式がある。全員が、魔導士になり、魔導軍に正式に入隊する。それがどんな意味を持つのか、まだ知らない。




