【05】逃げる女
生ぬるい夜に落ちた、一瞬の静寂のなか。
街中を駆け抜ける夜風が、頬を撫でた。
「……うっわ、最悪。なんか盗撮されたんだけど」
『……うっわ、最悪。なんか盗撮されたんだけど』
イヤホンの、内側と外側から。
微妙に声質の異なる同じ言葉が、イゼルの鼓膜を揺らしている。
間違いない。
目の前の彼女こそが……
(め、メルルさん!?)
ウェブ小説で活動する、イゼルの一推し作者。
同時に間違いなく、デンジャーでクレイジーな人間である。
対岸の火事とは、自分が安全圏にいるからこそ、他人事として語れるもの。
目の前で燃え盛る炎を前にして、人は冷静ではいられない。
(それにしても、やっぱり女の子だったんだ……っていうか、ちっちゃ! でも霞ヶ丘高校の制服着てるし、ホントに高校生だったの!?)
身長180センチほどもあるイゼルの目算では、この近隣にある公立高校の制服を着た少女は、身長150センチあるかどうかといったところ。
イゼルの通う私立永光高校のブレザー制服とは異なり、オーソドックスなセーラー服を刺激的に着崩した少女の髪色は、金髪の根元が脱色した所謂『プリン頭』となっていた。
耳にはピアス。
指先にはカラフルなネイル。
スカートの丈を短く詰めて、童顔ながらもメイクの施されたその姿は、どこからどう見てもまさしく『ギャル』と呼ぶべき人種である。
ぶっちゃけ、イゼルの苦手とするタイプだ。
「ごめん、ちょっと不審者捕まえてくるから、スペ切るわ」
『ごめん、ちょっと不審者捕まえてくるから、スペ切るわ』
ブツン、と。
イヤホンからも音源が途切れる。
代わりに……カツカツカツ、と。
小柄なプリン頭のギャルが、物凄い剣幕で、ローファーを鳴らしながら近づいてきた。
(あ……もしかしなくても、これヤバいヤツ?)
推定メルルに遭遇してしまった衝撃で忘れかけていたが、今の自分は、偶然であろうと立派な盗撮犯だ。
証拠はスマホの中に自動保存されている。
チラッと見た限りでは、なかなか綺麗に撮れていて……
(……って、違うだろ! まずはちゃんと、謝らないと!)
ズンッ、と。
イゼルが自ら頭を下げるより先に。
少女が、あまりにも自然に。
脛を蹴ってきた。
(……ッ!?)
人体の急所が訴える、無視できない痛み。
反射的に頭部が下がると……ガシッ。
「おいテメエ。ウチを盗撮たぁ、いーい度胸してんなぁ? チビだからって、ナメてんじゃねーぞ? おっ?」
乱暴に髪を掴まれて、凄まれた。
声質は可愛いが、内容が全然可愛くない。
あとメチャクチャに、ケンカ慣れしている。
暴力の行使に躊躇いが無さすぎた。
「あ、いやごめん、違うくて……」
「とりまケーサツと示談、どっちがいいよ?」
「……へ?」
「っていうか示談だろ、示談。今なら安くしてやるから、な? はい、示談で決まりー。んでオマエ、いくら持ってんの? コンビニ行く?」
気がつけば。
流れるように金銭を要求されていた。
もはやこれは示談ではなく、恐喝だ。
周囲の視線も自分たちに集っているが、あまりにも少女が暴力的過ぎるため、仲裁してくれる気配はない。
バス停を降りてすぐの道端に、不自然な人垣が生まれていた。
スマホで撮影している者までいる。
「おいコラぁ、ナニ撮ってんだよ!? テメエらも順番に示談されてぇのかッ!?」
「ひっ!」
「ヤッバぁ……」
野次馬は少女に一喝されると、そそくさとその場から離れていった。
この間に少しだけ、イゼルは冷静になる。
(な、なんとか説得して、誤解を解かないと!)
途中経過はどうあれ。
最初の非は、間違いなく自分にあるのだ。
ここで乱暴な態度をとることは、イゼルの『正しさ』に反する行いとなる。
しかし荒ぶる少女が果たして、自分の言葉に耳を貸してくれるかどうか……
「……おいコラてめぇ! モエルのおにぃに、なに上等切ってくれちゃってんだよッ!?」
イゼルが髪を掴まれたまま思案しているうちに、新たな少女の怒声が響き渡った。
「も、モエル!?」
「おにぃから手を離せよ、ブスッ!」
今度の声にも聞き覚えがあった。
両親が海外出張の間、イゼルの家に同居している従妹……モエルである。
だが幼い頃から兄妹同然に育てられたイゼルには、荒ぶる少女の罵声から、そのぶちキレ加減が理解できてしまった。
これは相当に、激昂している。
中学三年生になって多少は落ち着いてきたとはいえ、何かと多感な時期の少女。
普段から、イゼルからすればどうとでもないことに、過剰な反応を見せているくらいなのだ。
最悪……この場で、感情に任せて。
手出しする可能性は、十分に有り得た。
(これは……マズい!)
やむを得ない。
「……ごめんなさい、メルルさん」
「……あ? なんでテメエ、ウチの名前を——」
一応、少女に断りを入れて。
自身の髪を乱暴に掴む、イゼルからすれば信じられないほどに細く華奢な手首を掴むと、痛みを感じさせない絶妙な力加減を意識して回転を加えた。
「——ッ!?」
力づくで『動かす』のではなく。
力を『流して』操作する。
中学時代に読んでいた格闘マンガの影響を受けて、一時期ハマっていた通信教育の合気道が、まさかの場面で役に立ってしまう。
「がるるるぅ!」
「モエル、ストップだ! 落ち着いて!」
「どいてよおにぃ、そいつぶっ飛ばせないッ!」
「ぶっ飛ばさせないためにこうしてるんだけど!?」
小柄な少女が、犬歯を剥いて威嚇していた。
片手で推定メルルを拘束したまま、イゼルは反対側の手でモエルを宥める。
「フッざけんな! 離せよ、盗撮魔! 痴漢! 婦女暴行犯! あとクソガキぃ、さっきブスって言ってたの聴こえてたかんなッ!」
一方で絡め取った手を背中に回されて、身動きを封じられている少女の怒りは高まるばかりだ。
先ほどから危険な単語を連呼している。
そして今のイゼルに、それらを正面から否定できる自信はない。
と、そこに。
「……コラ、キミたち!」
「そこで何をしているんだ!?」
野次馬の誰かが通報したのだろうか。
警官たちが叫びしながら、こちらに近づいてきた。
(ヤバっ!?)
前科、という単語が脳裏をよぎる。
心臓が弾けそうになった。
「ヤッベぇ!」
しかし動揺するイゼル以上に、何故か少女のほうが慌てていた。
そして彼女は……
「……離せぇえええええッ!」
キンッ、と。
自分の背後に立っていたイゼルの股ぐらを、思いっきり後ろ足で蹴り上げてきた。
「ふぐぅッ!?」
先ほどよりも致命的な、急所への一撃。
我慢など到底不可能な衝撃を叩き込まれたイゼルは、少女から手を離して、思わずその場に崩れ落ちた。
「お、おにぃ!? 大丈夫っ!? いやぁあああああ!」
たまらず駆け寄ってきたモエルが、内股で蹲るイゼルにしがみついてくるが、そうじゃない。
身体を強く揺するのではなくて、腰の裏を、トントンとして欲しい。
「あ、こらキミ!」
「待ちなさい! 逃げるな!」
その間に少女は凄まじい逃げ足で、警官たちの静止を振り切り、街の雑踏へと紛れていった。
(あ……無理、動けない……! メルルさん……っ!)
路上に蹲るイゼルは、遠ざかっていく足音を、視線で追うことすらできない。
すぐに警官たちが後を追ったが、けっきょくは逃げられてしまった……と。
イゼルが報告を受けたのは。
それからしばらくしてのことだった。
〈作者の呟き〉
古き良き暴力系ヒロイン、嫌いじゃないです(^^)




