【27】失言
「め、メルルさんが……僕の、作品を……?」
『うん、そうそう!』
知らなかった。
だってイゼルは今まで彼女から、自分の作品を読んでみたいなどと、仄めかされたことすらなかったから。
「ほ、本当ですか? てっきりメルルさんは、僕の作品になんか、興味がないと思ってたんですけど……?」
『いやいや、メルルンのスタンスは知ってるでしょ!? メルルンは社交辞令で「読みに行きます」なんて言わないぶん、読むといった作品はきっちり読むんだから、きっとキツネくんが「読んで」って言ってくれるのを、ずっと待ってたんだよ——ブッ!』
『……ん? ミュートになりましたね?』
唐突にムーンの音声が途切れた。
電波状況によってはよくあることなので、特に気にすることもなく、ヤスオが会話を引き継ぐ。
『でも本当にメルルさん、キツネくんの作品は以前から気にしていたんですよ? だったら読めばいいんじゃないですかって言ったんですけど、本人が推してこないんなら、今はその時期じゃないとか、よくわからない返しをされちゃったんですけど……この意味って、わかります?』
「それはその……ほら、今のメルルさんって、めちゃくちゃ多忙じゃないですか? それなのに僕の作品に時間を取らせるのは、申し訳ないっていうか……」
『ああ、なるほど。そういう理屈でしたか』
合理的なヤスオは、この言い分で納得してくれたようだ。
しかしこれも……半分ほどは、嘘である。
単純にイゼルは。
作者として『格上』であるメルルに。
今の自分の作品を酷評されたり、ましてや同情されたくないだけだ。
(別に、他の人たちからどんな評価を受けてもいいけど、メルルさんにだけは……)
彼女には。
彼女にだけは。
たとえ一方通行だとしても。
勝手に好敵手だと思っている作者にだけは……自分が大したことない作者だなんて、思われたくない。
『うーん、メルルさんはそんなこと、言わないと思うけどなぁ』
と、ここでこの話題を振ってきた張本人が、仲裁顔で会話に割り込んできた。
この図々しさには少しイラついたが、配慮ができるイゼルは、口に出すことはしない。
「あ、あははは、そうですよねぇ」
愛想笑いをしながら……ギチギチギチッ!
手にする愛用のハンドグリップが、何度も唸る。
『というかキツネくんは、ちょっと真面目すぎぃ! たぶん色々と、考えすぎなんだよね! 作家なんて少しくらい図々しくないと、すぐに埋もれちゃうんですよ!?』
『ヨウカイさんの場合は出過ぎて、打たれるどころか燃やされそうな杭に見えますけどね』
『あははは! いやぁ、そうですかねぇ!?』
『え? 別に褒めていませんけど?』
『ぎゃふん!』
代わりにヤスオが、ノンデリ発言を一蹴してくれた。
イゼルは心の中で拍手を贈る。
『で、でもさぁ!? キツネくんだってメルル氏からの感想、欲しいでしょ!?』
それでもめげない、ヨウカイであるが……
「……いいえ、大丈夫です」
イゼルとしてはもうこれ以上、この会話に付き合いたくなかった。
「メルルさんは今とっても多忙な時期ですし……それにどうせ、メルルさんには、僕の作品なんて『理解りっこありません』よ」
才能があり。
行動力があって。
書籍化も時間の問題で。
自分を置いて、どんどんと進んでいってしまう少女には……
弱小作者の気持ちなんて、わかるはずがない。
わかってたまるもんか。
そんな弱さが、つい顔を覗かせる。
すると……ポコン。
『……あー、そう。そういう感じね?』
スマホから、聞き慣れた声が漏れた。
発言者はミュートを解除したムーン。
しかしその声音は、全くの別人である。
『め、メルル氏ぃ!?』
『ちーっす。ばんわー』
ヨウカイの声に反応したことで、やはりムーンのアイコンから溢れる声は、メルルのものであることが確定した。
『な、なんでメルル氏、ムーン氏のアカウントで入ってきてるんですか!? まさか成りすましですか!?』
『いや今回は、そういうのじゃないけど?』
『ホントに前科があった!?』
『あーもーいいだろ別に、今はその話』
必死に茶化そうとするヨウカイだが、メルルの声音に変化はない。
淡々と、冷え切っている。
『今日は単純に、ムンのとこに泊まりに来てたんだよ。イラストがもうちょいだから、泊まり込みで一気に仕上げようって、な?』
『う、うん……ついでに、みんなにちょっとサプライズしようと思って、隠れててもらったんだけど……』
その結果として彼女は、イゼルの発言を耳にしてしまったらしい。
サプライズが、見事な逆転現象を起こしている。
(さ、最悪だ……っ!)
イゼルとて、メルルがこの会話を聴いていたと知っていたら、あのような当てつけじみた弱音など漏らさなかっただろう。
むしろここ最近は微妙だった空気を踏まえて、発言には注意を払っていたはず……チクリ。
胸に小さな疼痛。
(でもそれって、ホントに正解なの? こんなふうに、僕ばっかりが遠慮するような関係って、本当に『正しい関係』なの!?)
閃きにも似たその疑問を、イゼルは無視できない。
流石に先の発言は、我ながら失礼だと思う。
でも今までイゼルは散々と、メルルから失礼な発言を受けてきたのだ。
それなのに自分ばかりが我慢して、忖度する関係は、果たして『対等』なのか。
いつの間にか自分は彼女の才能に屈して、見捨てられたくなくて、媚びを売っている人間に成り下がっているのではないか。
(……違うッ! 僕とメルルさんは、あくまで対等な作者だ!)
だいたいこんな、サプライズと称した盗み聞きみたいな真似、あちらにも非があるだろう。
学校でも目にする、カースト上位が下位をイジるときの一方的な悪ノリ。
本人たちは遊びのつもりでも、やられる側はたまったものではない。
それなのに自分ばかりが責められるのは不公平だ。
納得がいかない。
普段なら呑み込めていた小さな不満が、今夜は色んな条件が重なったことで、やけに肥大化していた。
「……」
いやに静まり返った沈黙の中で……ゴクリ、と。
誰かの喉が、大きく鳴る。
『……っていうかさぁ』
静寂を破ったのは、平坦なメルルの声だ。
『キツネくん、最近なんか感じ悪くない? 何? ウチに言いたいことあるんなら、はっきり言ってよ』
「……ッ!」
カチン、ときた。
わざわざ今その話題を、蒸し返すのかと。
こんな人目がある場所で、そんなデリケートな話題を持ち出すなんて、配慮という言葉を一体どこに忘れてきたのだと、胸の奥がざわついた。
(才能があるからって……なんでも許されるわけが、ないでしょ!)
思わずイゼルも、反論する。
「それを言うんならメルルさんだって、最近ちょっと、色んな配慮に欠けてない!? 書籍化が決まりかけてるからって、調子に乗ってるんじゃないの?」
『ちょ、キツネくん、落ち着いて……』
「僕は落ち着いてますよ!」
ヨウカイの静止を振り切って、イゼルは溜まっていた鬱憤を吐き出す。
「書籍化した途端にさあ、それまでの交流を仕切り直す人の話は聞いたことあるけど、何? メルルさんもそっち側なの? それは流石に、感じ悪くない!?」
『いやウザいって。ウチはそんなこと、一言も言ってねぇじゃん。そっちが勝手にヘラって、ヒスってるだけじゃん? キツネくん、ちょっと頭冷やしてきたら?』
「だからそれが、上から目線で言われてるみたいで、気分悪いんだって! 一度くらいはさぁ、僕の言い分を認めてくれてもいいじゃないか!」
『いやいや、間違ってることを認めろとか、意味わかんねーし。何? キツネくん、ウチに忖度とかして欲しいわけ?』
「そんなことは、言ってないだろ! でも少しくらいは、感謝してくれてもいいじゃん! メルルさんの書籍は、僕の『おかげ』なんだからさぁ!」
言葉にして。
(しま——っ!?)
全身から、血の気が引いた。
『……いや、マジでないわー』
スマホ越しでも、空気が凍えたのがわかった。
激しい後悔が襲ってくるが、もう時間は巻き戻らない。
『え? 何? キツネくん、そんな感じでウチに協力してくれてたの? だったらマジでキモいんだけど』
「き、キモくても、事実だろ!?」
『じゃあウチも言わせてもらうけどさぁ……別にこっちから「協力してくれ」なんて、言ってなくね?』
「……ッ!」
それは確かに……その通りだ。
というかむしろ最初のキッカケは、イゼルの隠し撮りに対する、謝罪の一環だったはず。
少なくともメルルから助力など、一度も頼まれてはいない。
(……あ)
ひとつに気づくと、次々と自覚が連鎖していく。
そうだ。
最初はただ純粋に、推しの作品と作者を、応援したいだけだった。
その相手に頼られ、感謝されるのは、とても嬉しかった。
そうした感情が、いつの間にか。
自分の中で、置き換えられて。
肥大化していた。
大きな流れに巻き込まれたことで、ただその近くにいただけの自分が、いつの間にかその一部であると勘違いしていたのだ。
(ぼ、僕は、一体何をして……?)
完全に初志を見失っていた。
なんてことはない。
イゼルの抱えていた黒い感情は、醜い、膨れ上がった承認欲求の発露だったのだ。
「あ、いや、でも……」
それに気づいた瞬間から、もう、言葉にならなかった。
謝らないとと、強く思う。
(でも、何を? 何処から謝ればいいの?)
ここまで散々とイキっておいて、実は自分の勘違いでしたなんて、認めるにはあまりに恥ずかし過ぎる。
言葉が。
謝罪が。
出て、こない。
「……ッ!」
そうして数秒ほどもイゼルが葛藤しているうちに、スピーカーの向こうで嘆息が漏れた。
『……まあいいや。今日はウチ、作業したいからもう浮上しないんで』
『あ、メルルン!? じゃあみんな、バイバーイっ!』
ブツン、と。
ムーンのアイコンが、チャットルームから消えた。
『あー、これはやってしまいましたねー』
『えっと……なんか、ごめん……』
呆れた様子のヤスオと、動揺するヨウカイの声が、どこか遠くに聴こえた。
『まあこういうのは、さっさと謝ってしまったほうがいいですよー? 時間が経てば経つほど、悪化しちゃいますからねー』
『な、なんなら私も一緒に、謝りましょうか!?』
「あ、いえ、大丈夫です……気にしないでください……」
その後も少し、ヤスオやヨウカイと会話をしてアドバイスをもらったのだが、正直よく覚えていない。
(うわぁ……うわぁ……うわぁ……)
グルグルと、思考がまとまらない。
全身の血液が、沸騰したように熱い。
ドクンドクンと、煩いほどに鼓動が高鳴っていた。
「じゃ、じゃあ今日は、僕もこれで……」
けっきょくイゼルもすぐにチャットルームを後にして、フラフラとした足取りで、そのまま自室のベッドへとダイブする。
「うぁぁぁぁぁ……っ!」
喉から、言語化できない感情が溢れた。
これも創作の肥やしになるのか、などと。
強がってみても、視界は情けなく歪んでいく。
(……ぐずっ、最低だ……僕……)
どれだけ強く拳を握りしめて、今更に時間は巻き戻ってなどくれない。
そしてその夜から……
メルルとの交信が、途絶えた。
長かった夏休みが、終わりを迎える。
〈作者の呟き〉
自身の過ちを認められる強さ!




