【24】スランプ
メルルの書籍化に向けた活動と共に駆け抜けた、イゼルの長い夏休みも、週末にはとうとう終わりを迎えようとしていた。
蒸し暑い夜。
イゼルはメルルが所属しているディスコサーバーではなく、古巣のサーバーに顔を出している。
『まずはおめでとう、と言っていいのかな? スナギツネくん』
懐かしい声音の主は、イゼルにとって界隈の先達であり、人生の頼れる先輩でもあるゴールドのものだ。
【書籍化、おめでとうございます】
『キツネくん? それともこっちではスナギツネくんでいいのかな? まあどっちにしても、ホントよくやったよねー』
予め人数制限が設定されているチャットルームには、今日DMでイゼルを呼び出したゴールドの他にも、ジェットやグラさんといった、懐かしいフォロワーたちも集まっていた。
メルルの書籍化活動を支援し始めてから、二ヶ月ほど。
その間は連絡を控えていたフォロワーたちだが、チャットに漂う空気感は、以前と変わらないように感じられた。
彼らの言葉に触れるたび……じぃん、と。
イゼルの心に、温かな感覚が湧き上がる。
(……ああ、そっか。僕、疲れてたんだな)
自覚症状はなかった。
それでもスペース活動の様子から、年長者たちは、何か察することがあったのかもしれない。
メルルに出版社から書籍化の打診が届いてから、一週間ほど。
まだ出版社も明かせない検討段階とはいえ、打診が来てからのメルルは連日のようにスペースで浮かれまくっていた。
彼女の放つ熱量に当てられて、周囲も賑わいを増している。
イゼルはそんな彼女の姿を、傍らで見続けていた。
嬉しくもあり。
誇らしくもある。
だけど正直……息苦しかった。
今夜はそんな狂騒から引き剥がすようにして、わざわざこの場を用意してくれたゴールドたちに、イゼルは深々と頭を下げる。
「……ありがとう、ございます」
『いやでも実際、本当に凄いですよ! 書籍化させるって公言して、実際にそこまで持っていける人なんて、ほんの一握りなんですから!』
イゼルの言葉に反応したグラさんは、純粋な気持ちで称賛してくれているのだろう。
でも。
いつからか。
グラさんだけではなく。
メルルの書籍化を喜ぶ声の中から、イゼルには勝手に、誰のものでもない『声』が聴こえるようになっていた。
「ははっ……それは、まあ、メルルさん、頑張りましたし」
【私も例の悪役令嬢を読みましたけど、面白かったですよ】
そうだ。
たとえどんなに作品が評価されて。
目標である書籍化を果たしたところで。
面白いのはあくまで作者の『メルル』であって、添え物の『イゼル』ではない。
——なぜ、オマエがそこにいる?
——オマエは一体、なんなんだ?
メルルという光が、強くなればなるほどに。
隣にいたはずのイゼルは、闇に沈んでいく。
今では周囲からの称賛や感想を勝手に深読みして、自己嫌悪するようになっていた。
(……こんなはずじゃ、なかったのにな)
書籍化打診という最高のブーストを得て、メルルの作品の評価やPV数は爆発的に伸びていた。
その勢いは今や、最高潮。
書籍化を打診してきた出版社とのやり取りも好調のようで、メルルの掲げる『学生の間に書籍化』という目標が、かなり現実味を帯びてきている。
一方で、イゼルの作品は相変わらずだった。
一日の平均PV数が一桁台。
ウェブ界隈には掃いて捨てるほどいる弱小作家の一人に過ぎないイゼルと、書籍化目前まで迫ったメルルが一緒にスペース活動していることに、事情を知らない新規のリスナーたちからは【コバンザメ】【金魚のフン】【メルルさんの太鼓持ち】などと揶揄されている。
そもそもイゼルはメルルのスペースで自分の作品を宣伝していないし、書籍化活動ではアカウントネームまで変えている。
今回の活動でフォロワーたちが、自分の作品に流れてくることはないと初めからわかってはいたものの……
それでも。
膨れ上がっていく、莫大な数字が。
周囲から押し付けられる、勝手な評価が。
無視できなくて。
羨ましくて。
正直……吐き気がする。
この一ヶ月ほど、それまで定期的に更新を続けていたイゼルの作品は、完全に止まっていた。
執筆に取り掛かっても、数行ほど書いては消す。
その繰り返しで、時間だけが浪費されていた。
そうしたイゼルの停滞は、ゴールドたちも把握しているはずだ。
しかし彼らはそこに、触れてこない。
当たり障りのない会話を続ける。
『しかしこうなってくると、スナギツネくんのプロデュース力はなかなか侮れないよね』
『というかそのノウハウを創作論みたいな感じでまとめてみるのも、面白そうですよねー』
【今なら書籍じゃなくてもnote販売とかリワード還元とかで収入化できる道があるので、アリ寄りのアリだと思います】
そして彼らはメルルの作品ではなく、イゼルの努力を評価してくれていた。
イゼルよりも長く界隈で揉まれてきた先輩たちは、作家としての価値も、人間としての魅力も、数字だけでは測れないことを身をもって知っているのだろう。
そんな彼らの言葉が。
思いやりが。
イゼルの乾いた心に、染み入ってくる。
(……でも)
同時にそれは、少年の心に黒い炎を灯していた。
(僕はそれでも……面白い作品を、書きたいんですよ!)
誰かから『面白い』と言われたい。
作家として。
人間として。
自分の価値を、証明したい。
多くの大人たちが、苦痛と共に通り過ぎたもの。
生きていく上では不必要とさえ言える、作者としての小さな『こだわり』。
「……」
小さな。
しかし無視できない痛みが。
未熟なイゼルの胸の奥で、仄かに燻り続けていた。
〈作者の呟き〉
成長の過程や速度って、人それぞれだと思います。




