【19】カラオケ
【19】カラオケ
「おにぃ、どこ行くの?」
背後からの問いかけだった。
ビクンッ、と。
休日の午前中。
日課の筋トレと朝食を済ませた後、静かに外出を試みようとしていた少年の、大きな背中が揺れる。
「……も、モエル?」
「っていうか何? モエルに黙って外出とか、ナマイキじゃない? どこ行くの? 誰と? ピアねぇじゃないよね? 勉強しに図書館って感じでもなさそうだし……ほら、ざこざこのおにぃがモエルに隠し事とかありえないんだから、さっさと話してよ? ね?」
声音が冷たい。
目が据わっている。
相当にお怒りのご様子だ。
(あー、夏休み入ったのに、メルルさん関係が忙しくて最近あんまり相手できていないからなぁ)
実を言うと、今朝も……チラチラ、と。
視線で、構って欲しそうな気配を滲ませていた。
だが、気づかないフリを決め込んでいた。
その不満が爆発してしまったらしい。
玄関で待ち伏せされていた。
仕方ないと、腹を括る。
「……カラオケだよ」
「じゃあモエルも行く〜っ♡」
声音は弾んでいるが、瞳にはじっとりとした緊張感が宿ったまま。
完全に疑われている。
しかしカラオケに行くのは本当だ。
普段ならイゼルも、カラオケ大好きな従妹が同伴することに吝かではないのだが……
「……ごめんムリ」
今回は事情が事情なので、キッパリと断る。
「なんでッ!?」
途端にモエルの声音が裏返った。
「意味わかんない! やっぱ嘘なの!? おにぃ、モエルに隠し事してるッ!?」
「今日は友だちと、オンラインカラオケなんだよ」
「いいじゃん別に! モエルは気にしないから!」
「いや相手が気にするんだって」
イゼルは嘘をついた。
なにせ本日予定しているのは、カラオケをメインにしたスペース活動である。
そしてイゼルはメルルたちとのスペース活動を、モエルやピアなどの身内には徹底的に隠し続けていた。
既存のSNSアカウントは彼女たちに知られているため、わざわざ専用のアカウントを作ったほど。
(モエルなんて初対面の時点で印象最悪だし、ピアもたぶん、メルルさんとは相性悪いっぽいもんなぁ)
彼女たちの性格を考えれば、自分とメルルが共同で活動していると知った瞬間、スペースに迷わず突っ込んでくることだろう。
そして界隈の魔境ぶりを現在進行形で思い知っているイゼルとしては、あんな場所に現役の女子高生と女子中学生という格好の『餌』を投下することは、絶対に避けたかった。
何よりも。
作品の数少ない読者たちには。
自分が『作者としての力量以外の部分』で評価を得るための手助けをしていることを、知られたくない。
そのため普段は防音の効いた自室でのスペース配信を行なっているのだが、今回ばかりは大声を出すため場所を移動しようとして、まんまと墓穴を掘ったかたちである。
「気にするって何!? もしかして相手は女なの!? 何それもう実質デートじゃん!? モエル聞いてないんですけど!?」
除け者にされようとしている空気を察して、ギャンギャンと吠えるモエル。
威勢こそ凄まじいが、その姿はどこか、捨てられまいと必死な子犬じみていた。
「別に、彼女なんかじゃないよ」
イゼルの顔に、兄としての笑みが浮かぶ。
「っていうか絶対にそれはあり得ない」
そして真顔で断言した。
「絶対にだ。勘違いしないでほしい」
「え……っ!? そ、そこまでなの……?」
確かにメルルは女性で、魅力的な人物だ。
だが異性を感じているかと問われれば、迷わずに否定できる。
彼女はイゼルの手に負えるような相手ではない。
それに……きっと。
笑われるから、本人に言うつもりはないが。
推し作家であり。
友人でもある彼女のことを。
イゼルは好敵手のようなものだと、勝手に考えている。
「……うん……そっか。そう、なんだ」
真摯な瞳から、真実を察したのだろう。
モエルが安堵したように、小さく呟く。
「ごめんね」
「んー」
髪質の柔らかな頭を優しく撫でてあげると、陽だまりに寝転ぶ猫のように、少女の目が細められた。
「じゃあ……今回は見逃してあげるけど、今度はモエルと一緒にカラオケね!」
「おっけ。そうしようか」
「ん、じゃあ仕方ない、今日は許してあげる! 寛大なモエルに感謝してよね!」
「へへー。ありがとー」
どうして自分の外出に従妹の許可が必要なのかちょっとよくわからないが、ここで再び虎の尾を踏むようなマヌケはしない。
「じゃあ、行ってくるね」
そそくさ、と、
小さな猛獣の気が変わらないうちに、イゼルは家を後にした。
⚫︎
それから数時間後。
『……っ、フゥゥゥーッ!』
イゼルの手にするスマホからは、気持ち良さげな少女の声が漏れていた。
画面に流れる、スペースのコメント欄にも……
【上手い!】
【声めっちゃ可愛い!】
【かわボサイコーッ!】
……と、歌い手の声質や技量を賞賛する声が溢れている。
(いやでも実際、メルルさんめちゃくちゃ上手いな)
というかモエルやピアなど。
イゼルの仲が良い女性陣は、揃って歌が上手い。
その中でもメルルは自分の滑舌や声質を活かした歌い方を知っている、技量派であるように感じられた。
『いんやー、久々のカラオケ気ん持ちぃぃぃッ!』
ここ最近は新作となる悪役令嬢の執筆に、宣伝用の手書きイラスト作成や、毎日のスペース活動と、明らかにオーバーワークな作業量をこなしていたメルルである。
多忙の煽りを受けて、夏休み前の試験勉強は全て投げ捨てたという。
当然ながら、大量の赤点を量産している。
おかげで夏休みは補講塗れとなっているらしいが、本人は全然気にしていないらしい。
ちゃんと気にして欲しい。
でも……
(……新作、間に合ったもんな)
つい先日に、その甲斐あって超タイトなスケジュールで始まった新作の執筆は、ギリギリだがコンテスト期間内に滑り込ませることができていた。
本日のカラオケは、メルルの慰安会を兼ねている。
溜まりに溜まった彼女のストレス発散になっているなら幸いだ。
普段からメルルの声目当てで集まっているリスナーたちも、大盛り上がりである。
(っと、感心してる場合じゃないや。次の曲をピックアップしないと!)
イゼルもカラオケは好きだが、今回はリスナーの需要を考えて、マイクを握らず裏方に徹していた。
メルルが歌っている間も、流れてくるコメントに返信を書き込んだり、その中から次に歌って欲しい曲を選んだりと、やることは尽きない。
「それじゃあメルルさん、次は——」
『あ、ちょっと待って待って』
渋滞している歌ってほしい曲を消化しようとする進行係の言葉に、やや息切れした少女の声が返ってくる。
『さすがにちょっと休みたい。つーかムンはまだなん?』
「さっき連絡が来ましたよ。もうすぐみたいです」
ムーンの参戦予告に、コメント欄が期待のメッセージで湧き立つ。
というか本来であれば、今日はメルルとムーン、イゼルの三人でオンラインカラオケの予定だったのだ。
すでに何度かスペースに共同ホストとして上がっているムーンは、リスナーにも認知されている。
幼いなかに強気を感じさせるメルルの声質とは対照的な、落ち着いて柔らかいムーンの声音にも需要があるため、二人のカラオケコラボは予告の段階で大盛り上がりだった。
ただし今、ムーンが所用で遅れている。
そのためメルルがひとりで小一時間ほども、歌いっぱなしとなっていた。
確かに休息は必要だ。
「ではリスナーさんの中で誰が、歌ってみたいと思う人いますかー?」
当初の企画通り、飛び入り参加希望を呼びかけてみる。
だが常連のリスナーたちからの反応はない。
当然だ。
大多数の前で歌声を披露するのは、それなりにハードルが高い行為である。
となると……
『……ん? だったらこのカササギくんで、よくね?』
先ほどからスピーカーへの申請を連打している〈カササギ〉という新規リスナーが、消去法で残ってしまう。
しかしイゼルは経験上、呼びかける前にリクエスト申請してくる人間は、扱いに困る場合が多いことを知っていた。
(んー、でもメルルさんがもう、名前を読んじゃったしなぁ)
仕方がない。
ひとまず申請を承諾すると……
『あ、メルルさん! 歌声可愛いっすね! 耳が幸せです!』
挨拶や前置きもなく。
初手からメルルを褒めちぎってくるカササギの行動に、イゼルはひしひしと嫌な予感を覚えた。
〈作者の呟き〉
スペースでオンラインカラオケする時は、マイクの代わりにスマホを持つと、音が反響しなくていい感じです。




