第二七話 揺れる内裏・表
「——という次第にございます」
内裏の片隅、瓊花は庭を眺めながら、そっと頷く。
「指示が紙に書かれていたりしたら、もっと良いのだけれどね」
「流石にそこまでは」
カンランが少しだけ言葉を濁した。
瓊花は苦笑する。
「わかっているよ。都合よく落ちているはずもない。作り物では危険に過ぎる」
捏造するのは容易いが、露見すればすべてが瓦解する。
瓊花一人で済むならばともかく、ことは菖蒲家全体に及ぶのだ。
(面倒この上ないが、菖蒲に生まれた以上は負わねばならぬ)
(兄上より預かりしこの家を、無事に藤波に渡すまで——潰すわけにはいかない)
瓊花は目を細めた。
「この後はどうしようか。色々と証拠を積み上げて、相手方が調子に乗ったところで——」
ぱしりと扇を閉じると、瓊花は薄く唇を笑みの形に引き上げた。
「例の男が私であると名乗り出るのが、一番効果的だと思うんだが」
カンランは眼を閉じた。
瓊花が、かつてなく怒っているのがわかる。
ユカリ——花影の名誉を傷付けたことが、逆鱗に触れたのだ。
一度ならず二度までも。
もはや瓊花に許すつもりは毛頭なかった。
「いずれにしましても、物証がありませぬ故」
カンランは静かに告げる。
「お前の証言だけで十分に信頼に能う。けれど、王はともかく、他の方々への示しがね——」
瓊花は扇を弄び、カンランは言葉を続けた。
「証拠らしい証拠が、必要となりましょう。砂金で動く衛士ならば、更なる金品で動きましょうし、蛍袋の下臈らへの働き掛けにも、今後ほころびが生じないとも限りません」
瓊花は扇で手を打った。ぱしんと強い音が響く。
「うん。そのほころびを徹底的に浚え。ひとつ残らず、落とさぬように」
「承知致しました」
カンランが去った気配を感じながらも、瓊花はその場を動かなかった。
ひらりと枯れ葉が舞い落ちる。
瓊花はそっと扇を差し出し、落ちてくる葉を捕まえた。
視線が鋭さを増した。
蛍袋ひとり潰すのならば容易い。
だが、背後の蘇芳家と事を構えるのは宜しくない。
(——しかし、大人しく手を引いてくれる相手とも考え難い)
蘇芳木蓮はどうやら、傀儡のように周囲を操り動かして弄ぶのが好みらしい。
(いずれは対決しなくてはならないか——)
六家の長として、互いに手を取り合って王を支えていこうと。
そう願える者たちであればよかったのだけれど。
(残念ながら、仲良くとはいかなそうだな)
瓊花は眼の下に深く皺を刻んだ。
風が強く吹いた。
いくつもの枯れ葉が舞い落ち、地を転がる。
からからという乾いた音が、むなしく響いた。
その頃、承香殿の奥まった一角では、七里香と桔梗、そして数名の女房が静かに集まっていた。
表向きは、退出したユカリの残した調度を確認するため——
しかし、その場には、不思議なほどに緊張が満ちていた。
七里香は几帳越しに外の気配を確かめ、声を潜める。
「……蛍袋さんは、目撃者を増やすつもりでしょうね。まったく、呆れるくらいに話を盛るのだもの」
桔梗が小さく笑った。
「ならば盛らせて差し上げればよいのです。そのうち大きな穴になりますわ」
七里香は頷き、数枚の紙片を床に広げた。
そこには、それぞれの侍女や密偵から集めた情報が細かな文字で記されている。
女房達は額を突き合わせるように、覗き込んだ。
七里香が閉じた扇の先で一枚を指す。
「まず、飛香舎で買収された衛士。砂金を渡したところを見た者がいます。名前も割れました」
桔梗が少し目を細める。
「弱みを握るには十分ね」
「ええ。ただ、こちらが動いたと悟られぬよう、しばらく泳がせます。尻尾を切られて逃げられては大変ですからね」
七里香は扇を持ち上げぱらりと広げると、口元を隠しながら続けた。
「問題は、蛍袋さんが次に狙う”下臈の女房”。飛香舎の誰に声を掛けるのか、そこを掴みたいところです」
桔梗は静かに立ち上がった。その目には、鋭さが宿る。
普段の柔和な表情はどこへやら、だ。
「瓊花様が仰った通りですわ。ほころびは必ず生じます。私たちはその瞬間を確実に押さえるだけ」
周囲の女房たちも、緊張した面持ちで頷いた。
七里香は、手元の紙片を丁寧にまとめながら言う。
「カンランさんの影が飛香舎の出入りを見ています。蛍袋さんの動きは、すべて把握できるはず。問題は、次の布石をどこに打つか——」
そこで、七里香は桔梗に目を向けた。
「承香殿の女房数名に”とある噂”を流していただけます? あくまで私の耳に届いた、という形で」
桔梗が頷いた。
「例の噂、ですね。”ユカリ殿の旧知の殿方は、どうやら身分の高いお人らしい”——」
「ええ。それと、”その方が再び承香殿に現れるかもしれぬ”という尾ひれもつけて」
七里香は、唇に微笑を浮かべた。
「蛍袋さんはきっと食いつきます。必ず探しに来る。そうすれば——」
「向こうから証拠を運んでくるようなものですわね」
桔梗が扇を鳴らし、軽く頷く。
「承りました。では、私は噂の準備を」
七里香も頷く。
「わたくしは密偵たちに指示を。蛍袋さんが次に”仕立てる”相手を洗い出します」
二人は顔を見合わせ、小さく頷きあった。
その仕草は、もはや戦場へ向かう者のそれに近い。
静かな宮中の片隅で、反撃の網が着々と張り巡らされていく。
蛍袋が自分からその網に飛び込むのは——もはや時間の問題だった。




