↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
24/33

第二三話 思いがけない訪問

 承香殿(じょうきょうでん)、夜更け。

 女房達が寝静まった後、ユカリは報告文を認(したた)めていた。

 順を追ってあれこれと述べるよりは、端的に事象を並べた方が伝わるのではないかと、目に付いたこと、耳にしたことを詳(つまび)らかに記していく。

 御簾(みす)が揺れた。

 ふわりと馴染みの香りが鼻をくすぐる。

 でもまさか、と思いながらもユカリ、いや花影(はなかげ)は問い掛けた。

「——瓊花(けいか)殿?」

「ふふ、嬉しいですね。香りでわかってくださるなんて。親密さが感じられます」

 滑り込んできたのはやはり瓊花だった。

 にこにこと機嫌よく花影の対面に座る。

「いらっしゃるだなんて。何をお考えなのです。早々にお帰りください」

 花影は瓊花の胸倉を掴み、顔を寄せて耳元で怒鳴るように囁く、という器用なことをしてみせた。

「つれないな」

「菖蒲中将が承香殿の女房に逢いに来たなどと、知れ渡ったらどうします。何のために私がここに来たのか——」

 瓊花は少しだけ苦笑した。

「ええ、わかっております。早々に立ち去ります。でも——やはりお顔を拝見したくて」

 額がぶつかりそうに近い。吐息が触れる距離だ。

 御遊の席。手の届かない距離にいる妻を見た。

 人々の視線を引いたのは、御遊でのユカリの立ち居振る舞い、そして朗々とした声。

 表立って「我が妻」と告げられぬのがもどかしく、けれど内心では「どうだ」と自慢したい気持ちが抑えられなかった。

 そして、逢いに来てしまった。

 花影は素の自分に戻りかけて、慌ててユカリの顔をまとった。

「ただいま文を仕上げておりますので、それをお待ちください。ご心配痛み入ります。でも、大丈夫です。——今のところは」

 瓊花は目を細めた。

「やはり、新人いびりは激しいですか?」

 花影は鼻を鳴らした。

「——瓊花殿。会話を楽しんでいる場合ではございませんでしょう。仔細はお伝えしますから、どうか」

 少しだけ寂し気に、瓊花は立ち上がる。

「貴方の顔を見ずに過ごす日々が、これほど辛いとは思いもしませんでしたよ」

 瓊花は割と本気だったのだが、ユカリは袖を振る。

「はいはい。私も寂しゅうございます。次は笑ってお逢いしましょうね」

 つれない妻に、瓊花は本気で苦笑して、今度こそ出て行った。

 ユカリはその後姿を見送って、額を押さえた。

(誰かに見咎められたらどうするのかしら。菖蒲中将の浮名を流すだけならまだしも、潜入が見破られてしまうわ)

 まったくもう、とぷりぷりしながらも、ユカリは実のところそこまで怒ってはいなかった。

 意外なことに。

 そう、自分でも意外なことに。

 瓊花が心配して訪れてくれたことが、思いのほか嬉しかったのだ。

 やはり心細かったのだろう、と自省する。

(まったく私も甘いこと……。これでは間諜(かんちょう)失格だわ)

 鉄の意志を持って、任務を遂行しなくては。


 翌朝。

 夜露を帯びた庭木が、朝日に煌めく。

 空は澄み渡り、柔らかな光が殿に差し込んできた。

「お目覚めあれ」

 格子を上げる音がする。

 ふわりと昨日の名残りの沈香(じんこう)が香った。

 ユカリは昨夜仕上げた報告文を懐に忍ばせ、静かに身支度をしていた。

 文は、畏れ多くも菖蒲女御の手を経て瓊花へと渡る。

(女御様を文遣いにするだなんて……!)

 ユカリでは考え付きもしないような手段を、平然とやってのける瓊花と初霜には、感心を通り越して呆れるほどだ。

(流石は菖蒲家ということなのかしらねえ)

「ねえ、ユカリ殿」

 隣の局の若い女房が、何気ない調子で声を掛けてきた。

「はい」

「昨夜、どなたかお見えでした?」

 ユカリの指先がわずかに引き攣った。

「まあ。話し声がうるさかったかしら。ごめんなさいね。まだ、承香殿(ここ)に慣れていないものだから」

 若い女房、茜草(あかね)は少しだけ意味深に笑った。

「まあ、やっぱり、どなたかお通いになられていたのね。古いお付き合いの方?」

(ユカリに通って来た男だと思ったのか)

 ならばその体で押し通そう。

 ユカリは少しだけはにかんで、袖で口元を隠した。

「私がこちらに勤め先を変えてしまったので、通いにくいと文句を言いに来たのですわ。後宮ともなれば、普通のお邸とはまるで違うでしょう?」

 茜草がにこにこと顔を輝かせて、にじり寄って来た。

「まあまあ、わたくし、そういうお話大好きよ。聞かせてくださる?」

「あら。私のお話よりは茜草殿のお話の方をお聞きしたいわ。貴方の恋人はどう仰っているの? やはり、後宮では通いにくいと?」

「まあ、いいえ。わたくしの所は慣れたものよ。もう二年になりますの。最初の頃は、やっぱり中々来にくいようでしたけれど」

「あらあら、羨ましいこと」

 くつくつと顔を寄せ合って笑って。

 お互いの恋人自慢のようなことをして。

(少しは打ち解(と)けられたかしら)

「でもね、やっぱり後宮ともなれば、どこの殿舎の誰にどなたがお通いかは、それなりに知られてしまいますから、秘密の恋には向いていないわね」

「なるほど」

 勿体ぶって頷いて。

 内心ユカリは冷や汗を搔いていた。

(やはり瓊花殿には慎んで頂こう)

(どこで誰の目があるかわかったもんじゃないわ)

 局に戻ったユカリは、報告文の余白に一行書き加えた。

 筆を置き、額に手を当てる。

(なるほど、文遣いに女御様を介するわけだわ)


 菖蒲邸。

 ユカリ——花影(はなかげ)よりの報告文が届いた。

 菖蒲女御(あやめのにょうご)から瓊花(けいか)へという体で、文箱(ふばこ)に入れられ厳重に。

 急(せ)く気持ちを押さえつつ、瓊花は文を開いた。

 淡々とした報告が並び、勿論和歌など添えてあるはずもなく、実に簡潔な内容に苦笑する。

 女御の立ち居振る舞い、女房達の動向、そして本命の噂について。

 そして、末尾に添えられた一文に、瓊花は今度こそ苦笑した。

 

 ——昨夜の来訪の目撃者あり。以後は慎むべし。

 

 初霜(はつしも)が横から覗き込み、ぺしりと瓊花を軽く叩いた。

「早速見られておるではないか」

「そのようですね」

 まったく、と初霜は口元を歪めた。

「堪え性のないことよ。花影殿を見習うがよい」

「お言葉、肝に銘じます」

「口先だけなら何とでも。だが瓊花、そなたの軽挙で、花影殿が危険にさらされかねんぞ」

 瓊花は少し表情を改めた。

「ええ——。今後は身を慎みます。けれど……」

「けれど?」

 瓊花は目を細め、刃物のような鋭い視線を投げた。

「“ユカリ”に通う男が居るとなれば、また噂が流れるだろうが——あの人がその端緒を掴む切っ掛けになればいいと」

「今回はその為にこその訪(おとな)いと?」

「いいえ、ただお顔が見たかったので。こじつけです」

 初霜は扇をぱらりと開いて深く溜息を吐いた。

「やはり、そなたも菖蒲の男じゃな。その顔——亡き殿に、よう似ておるわ」


 一方の承香殿(じょうきょうでん)。

 昼の光が柔らかに広がり、女房達の衣擦れの音が涼やかだ。

「あ、そうそう。昨夜ね——」

 茜草(あかね)は針仕事の手を止めて、隣の女房に囁いた。

 声音に悪意は全く無い。

 ただの恋愛話を分かち合いたいだけ。

「ほら、あの新しい方……ユカリ殿。どうも夜更けにどなたかいらしていたみたい」

「まあ、殿方?」

「ええ。でも姿は見ていないの。お声だけね。勿論何を言ってるかなんて聞こえなかったけど、随分親し気だったわ」

「あらまあ。隅に置けないのね。勤め始めたばかりだというのに、もう通う方が?」

「昔からの仲らしいわ」

「勤め先を変えても、すぐに追い掛けてらしたのね」

「ね? 情熱的でしょう」

 くすくすと笑い合って、首を傾げて。

 それでおしまいになるはずの話。

 けれど、それは人から人へと伝わるうちに、どんどん尾鰭が付いていく。

 面白い話には夢中になるのが人の常。

 他人の色恋沙汰なら、格好のネタだ。

「聞いた? 新しい女房に通ってくる男が居るんですって」

「勤め始めて間もないのに、手の早い方も居たものね」

「どうやら前々からの仲なのですって。こっそり通ってくるのだとか」

「承香殿の裏庭から?」

 いつの間にか、事実は上書きされ、塗り潰されていく。

 

 麗景殿(れいけいでん)。

 蘇芳女御(すおうのにょうご)は報告に来た女房に、ちらと視線をやった。

「承香殿の新しい女房が、早速男を引き入れたと」

 女房はそっと膝を寄せ、蘇芳女御に囁く。

「実(まこと)に、手の早い方も居たものだとも、古き仲故(ゆえ)に追って来た情熱的な男なだとも言われておりますようで」

 蘇芳女御は目を細めた。

 扇がぱらりと開く。

「——勤めて間もないのに、軽々しいこと。菖蒲女御様の評判まで、下げかねないわ」

 口調はあくまでも静かな心配を装って。

 けれど、扇に隠されたその笑みは——ひどく毒々しいものだった。

 女房——蛍袋(ほたるぶくろ)はにこりと笑って平伏した。

「御意にございます」

 そして——

 噂は転がり出す。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。