↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
18/33

第十七話 好奇心と恐怖の狭間

 夏の名残の熱気はまだ残るものの、夜風にはほんのりとした涼しさが混じりはじめた。

 池の蓮は花を閉じ、葉の上に露が丸く光る。

 蛍の数は減り、代わって松虫や鈴虫の声が澄んで響く。

 月はやや高く冴え、庭全体を静謐な光に包んでいた。

 荷葉香を、そろそろ菊花香へと変えようか——

 つらつらとそんなことを思う、夜。

 瓊花と初霜は花影を前に、難しい顔をしていた。

 先に口を開いたのは、初霜。

「——提案が、あるのじゃ」

 瓊花は苦々しく口元を引き締めている。

「提案、とは?」

「近々また、参内する。その際に、そなた、ついて参れ」

 瓊花がごほんと咳払いをした。

「義姉上、それは提案ではございません」

 初霜が眉根を寄せた。

「むむ、言い方がまずいか」

「そもそも私は反対申し上げているのです」

 花影は首を傾げた。

「あの、全く話が見えぬのですが」

 瓊花はちらりと初霜を見遣り、溜息を吐いて花影に向き直った。

 少しだけ、膝を進める。

「義姉上の女房として、参内せぬかとの提案です。断って頂きたい」

「は?」

 初霜ががりがりと頭を掻いた。ぞんざいな仕草だ。

「いや、例の噂がな。どうにも中々出所を掴めぬでな。まずはわたくしの女房として参内、折を見て菖蒲女御の局へ移る。女御もすでに内々に同意じゃ。そなたは何ぞ仮の名を用いて後宮に紛れ、女房として裏側から探ってみてはどうかと」

「そのような危険な真似をさせることなどできませんと、何度お断りしても義姉上は聞く耳持ちません。女御とも勝手に話を進めて——。まったく、勝手が過ぎます。貴方からはっきりと断ってください」

 花影はぽかんと口を開けてしまった。

「義姉上様は、間諜(かんちょう)をせよとの仰せで?」

「うむ」

 瓊花は首を横に振る。

「駄目です。危険すぎます」

「だが、花影ならば不足はなかろう。立派にやっていける胆力もある」

「そういう問題ではございません。後宮で女房などと、危ないではありませんか。誰ぞに見初められたらどうします。手の早い遊び人が多いのですよ? 私は反対です」

(的外れな心配というか、瓊花殿はまた……)

 花影はやれやれと頭を振った。

「私に内裏勤めの女房が務まりますかが、まず第一に不安でございますね。しくじれば菖蒲の恥になりましょう」

 初霜はふんと鼻を鳴らす。

「そんなもの、握り潰せば良いのじゃ」

「義姉上少し黙って頂けませんか」

 瓊花はあからさまに不機嫌な様子を隠さない。

 花影に話を通す以前に、初霜と相当遣り合ったのかもしれない。

 こほん、と花影は咳払いし、言葉を続ける。

「第二に、後宮女房を卒(そつ)なくこなせたとして——間諜などと、何をすればよいのでしょう。皆目見当つきません」

 初霜は扇を振った。

「それはあれじゃ。女子の目で見、女子の口から拾うのよ。男子の目の届かぬ所も多々あろう。瓊花一人では力不足でな」

 瓊花は少しだけ顔を曇らせた。

「——恥ずかしながら、それは認めましょう。存外簡単に掴めると思った尻尾が、まるでみつかりません。余程巧妙な相手なのか……私たちが見当違いの場所ばかり、探っているのかのどちらかです」

「お見立て違い、と」

 花影は袖を口元に当て、考えた。見立て違いとして、ではどこを探れば良いというのか。

 初霜は軽く言ってのけた。

「その辺りをそなたの目で見て確かめてほしいのだ。仮の名は、当座——ムラサキとでもユカリとでもすればよい。マシロとかでも良いが。なに、そなたの顔を知っている者なぞおらぬのだ。如何様(いかよう)にもなる」

 紫は菖蒲の色。順当な女房名ではある。

 真白は月白からの連想だろう。

 花影は唸り、瓊花は深々と溜息を吐いた。

「義姉上は化粧で顔を変え、ご自身が乗り込むとさえ……。まったく、元王族として顔も声も知られておりましょう。おまけにその態度ですぐに見破られます」

 初霜は扇でぺしりと瓊花を打った。

「うるさいわ。やってみなければわからんではないか」

 瓊花は扇を手でぞんざいに跳ねのける。

「重鎮どもに啖呵を切ってお輿入れされた際のこと、今だ内裏では語り草となっておりますが」

 初霜は頬を膨らませて黙りこくった。

「中々、難しいお役目でございますね。——義姉上様は私にならできると。そして瓊花殿はできぬ、と」

「貴方を侮(あなど)っているわけではありません。その所は誤解して頂きたくない。ただ、私は貴方を危険な場所に放り込むのが、嫌なのです」

 真摯に訴える瓊花に、花影は少しだけ目を細めた。

(危険な場所——)

 興味はある。

 物語の舞台ともなる後宮とは、内裏とはどのような場所なのか。

 どのような設(しつら)えであるのか、どのような調度品があるのか。

 建物の様子は。女御の御座所は——。

(そう。物語の中で描かれていた場所に、私が本(・)当(・)に(・)足を踏み入れられる)

 空想の中だけでない、舞台。

 空想の中ですら思い描けなかった、間諜という立場。

 好奇心と恐怖心とが鬩(せめ)ぎ合(あ)う。

 何とも言えない表情を浮かべた花影を、瓊花は心配そうに見つめる。

 視線に気付き、花影はそっと笑った。

「私は瓊花殿の妻ですので、夫が心底嫌だと云うのであれば、退(ひ)きましょう。ですが、義姉上様が私ならば、と見込んでくださったのであれば、それに応えたい気持ちもございます。ですから——」

 花影は居住まいを正し、きれいに頭(こうべ)を垂れた。

「返事には、今暫(しばら)くの猶予(ゆうよ)を頂きたく存じます」

 瓊花がほっと息を吐き、初霜が頷く。

「即断即決とはいかぬ話故(ゆえ)、よく考えよ。そして仮の名も考えておくとよい。参内の際はわたくしが橋渡しをするでな」

 初霜は既に連れて行くと決めて掛かっているらしい。

 瓊花が肩を落として安堵した。

「即答で行くと仰(おっしゃ)られなくて、よかった……」

 花影は少しばかり目を細めた。

 どの道を取るにしても、菖蒲家の不利益になってはならない。

 花影は菖蒲家当主の北の方として、取るべき道を見定めなくてはならなかった。

(後宮は魑魅魍魎(ちみもうりょう)の跋扈(ばっこ)する場所)

 どの物語でもそれは変わらない。

 一旦足を踏み入れて、果たして無事に出てこられるだろうか。

 花影は、底知れぬ暗い淵を覗き込んだ気持ちになった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。