間章1 豪商の末っ子は、聞いていない急転直下に首をひねる。3
「それでだがな」
ケイドリン伯爵家からゼクラット書店への出資話が、現実に起こっている話として理解できたファビオはエレジア・ケイドリンのことを思い出していた。
晩餐会への招待や、高級宿『ラ・レビアン・ケイドリン』への宿泊など、多岐にわたってファビオとディオネのことをサポートした伯爵家にはありがたいことだと思う反面、彼女のディオネに対する行動はファビオにとっては何をされるのか分からない飛び道具のようなものだと認識しているのだ。
そんな彼女のことにため息を零すファビオに、ザノアールが声をかける。穏やかな顔をした彼の声に対面で座る彼を見て、ファビオは聞いた。
「何がです?」
「いや、あれはどんな感じなんだ? 順調か?」
ザノアールが言う、あれが、ファビオには分からない。
会議室で何度も首を傾げる彼は、隣に座ったままのビクターにもあれを確認しようと目を向けた。
「私も知らないよ」
ビクターはファビオが助けを乞うていると感じたが、頬杖をついて会議室の奥に顔を背ける。助けを求めたつもりはなかったが、突き放すようなビクターの言い方にファビオは少しいじけた。
「ファビオ、お前忘れたのか?」
目を合わせないファビオに、ザノアールは驚いた様子で聞いた。
ビクターを見たままファビオは、まるで、なにかとんでもないことを忘れている気がした。だからか、ザノアールに「いやぁ、忘れるわけないじゃないですかぁ」と嘘をつく。あわよくば、ファビオが忘れていることを彼自身が言ってくれると願って。
「そうだったな。お前が忘れるわけないよな」
ファビオの返事に気を良くしたザノアールは腕を組んでうんうんと頷く。ファビオはザノアールに、早く何のことか言えよ。と表情に出さず口角を上げて頷き返した。
「で、順調か?」
ファビオの瞼がヒクつく。
上がった口角はそのままだが、何のことかさっぱり分からないファビオは「まぁまぁですね」と返した。二人の会話を聞いていたビクターは、少し上ずった声を出すファビオの焦りを見抜く。
会議室に深いため息が響く。
それはビクターから聞こえた。
ニコニコと笑っているファビオとザノアールは、面倒そうな息づかいをした彼に目を向けると「何のことか分かってないですよ」とザノアールにビクターが言う。
言わなくても良いことを言ってくれたビクターに、ファビオは「いやいや、分かってるけど」と返した。だが見抜いていた彼は、胡散臭そうにファビオを見て返した。
「じゃあ、何のことか言ってみなよ」
ファビオが嘘をついていることなどお見通しのようで、優しく微笑むビクターの目に焦ったファビオの顔が映った。
ザノアールはビクターの話にびっくりしたようで、焦る彼に「そうなのか?」と眉間にシワを寄せて聞いた。
二人してファビオに聞いている状況で、聞かれている側の彼は頬を膨らませる。これでは嘘を重ねる余地がないと理解したファビオは肩を竦めた。
「……そうですけど?」
少し間をとったファビオが正直に話すと、「ほら」とビクターはザノアールに言った。当たったぞ、と言わんばかりにどやる彼の顔にファビオは少しばかり腹が立った。
ビクターの方を見るザノアールは「そうか」と言った後、「本当に、そうなのか?」と肩を落としてファビオを見る。
いじけた顔で下を向いていたファビオは、声をかけたザノアールが怒っていないことを確認してから顔を上げた。
「昔、子どもだったお前が言った夢のことだぞ? 本当に覚えてないのか?」
まるで懇願するような、ありえないとでも言いたげなザノアールを見る彼は、言った夢のことが『あれ』だと知った。
それなら先にそう言えよ。とザノアールに毒を吐いて、ビクターを見るとまた頬杖をついている。
「大人になってもみんなとゆっくりお本を読みたいって笑顔で言ってくれた――」
「ちょ、ちょっと! 父さん! 待って!」
肩を落としたままのザノアールが、こっぱずかしいことを言い始めて、ファビオはすぐさま遮った。
ザノアールが言った話は、言った覚えがありすぎるほどファビオはよく覚えている。
なにせ、ファビオが書店を出した最終地点のことなのだ。
あまり夢や手段を人に語りたくない彼は、途端に頭を抱えて会議室から逃げたくなった。
だが、そんなことは許してくれない人間がこの部屋には一人いる。
「そんなこと言ってたなぁ。懐かしいですね、父さん」
「私にとっては昨日のことのように覚えているんだが」
ザノアールの声を隣で聞いているビクターは、彼の方を見て肩を竦めた。
「何年前ですか? だいぶ昔ですよね? いつの話だろうね。ね、ファビオ?」
ビクターは会議室に入って一番の笑顔をファビオに向けた。
まるで、おもちゃを前にした子どものような笑顔に、ファビオは最悪だと目を瞑る。聞かれているはずのファビオが黙ったままなことをいいことに、ザノアールはビクターに話す。
「どうだろうか、まだ親父が生きているときの話だからな。ファビオが六歳の時の話か」
「だったら、十五年前ですか。よく覚えてますね。……まぁ、当の本人は覚えてないらしいですけど」
ビクターの刺すような話し方にファビオの口角は下がる。
覚えていないのが悪いと、目で訴えかけてくるビクターに、彼は弁明するように声を出した。
「お、覚えてますよ。ちょっと父さんの言い方のせいで分からなかったんです」
「そうか。なら、仕方ないな」
ファビオの言い分を素直に聞いたビクターに、おかしいな、とファビオは首を傾げると、「私が悪いのか?」とザノアールも同じように首を傾げた。
「そんなことないですよ。子どもの頃なんて覚えていないことの方が多いでしょうし、父さんの話し方は回りくどくてわからないこともあるからね」
「……回りくどい、か」
「えぇ、回りくどいです」
重く苦しい空気感はない会議室で、うなだれるように顔を下げるザノアールにビクターは笑って言った。
「もういいですか? 明日、書店で詳細の打ち合わせをするからこの辺で」
ビクターは一拍置いてから続ける。
「ファビオ、明日いつ頃がいいかな?」
もうファビオを茶化す時間は終わったらしいことを察した彼は「いつでもいいですよ」と返した。ビクターが机に置いた書類は使うことがないようで、別の会議の書類かとファビオは安堵した。
「なら、明日。ディオネ嬢も一緒に聞いてほしいから書店に居るよう言っておいてくれ。……そうだな、昼の休憩前にでも書店に行くよ」
ビクターはファビオに言った。だが、彼は「ディオネね。まぁ、これから書店に戻っていたらいいけど」と投げやりに返すと「あぁ、そういえば学園を卒業してから結構奔放らしいじゃん」とビクターは面白そうに言った。
ファビオ自身、あまり触れたくないディオネのことに、「色々と創作のネタ探しみたいだよ」と返した。
彼女が学園を卒業して以降、ディオネは屋外活動をするようになった。
ファビオとデュランの三人でケイドリンに行った時や、その帰りのことがディオネに外の世界の広さを教えたのだ。ケイドリンから帰ってきた時の二人のことを考えるだけで、ファビオは頭が痛くなった。
「自由気ままな生活は良いものだな」
ディオネのことを何も分かっていないはずのザノアールを見て、ファビオはため息をついた。そして、ビクターもザノアールと同じように「そんな生活をしてみたいですけどね」と返して話していた。
談笑する二人に、話題をディオネから変えようとファビオは声を出す。
「あのさ、カーラさんはどうするんですか? 僕が経営をするんだったら彼女は?」
ファビオの言うことは、もっともだった。
彼の言葉にザノアールはビクターを見た。その辺りの人事権はビクター兄さんが持っているんだ。と、ファビオもビクターの方を見る。
彼は頬を掻きながら、ファビオに言った。
「彼女はケイドリンに行くことになった。ライフアリー商会のケイドリン支部の支部長だ」
ビクターの話にザノアールは「お前が気にしなくても、カーラ女史は栄転だ」と補足する。
どこかに左遷されることはないようで、ファビオは胸をなで下ろす。ただ、ケイドリンに栄転と言ったビクターを見て眉間にシワを寄せたファビオは「でも、新しくケイドリン支部ができるってことですか?」と聞いた。
ライフアリー商会の内部のことなど子どもの頃に習っただけで、ほとんど覚えていないファビオに、ビクターは瞬きをして彼を見た。
彼は頬杖で支えていた手を口に当てて、ファビオに言おうとしたがザノアールが先に声を出した。
「元々ケイドリンにも支部はあるぞ? 教えてもらってないのか?」
代わりに答えたザノアールへ向かってファビオは「そ、それじゃあ、カーラさんの前の支部長って誰ですか?」と聞いた。
「親父のコネで入ったド三流商人だな」
いきなり辛辣に言うザノアールにビクターは「違うよファビオ、普通に商会の金を横領していた人だから」とやんわり話す。
辛辣で、かつ、もの凄く嫌そうな顔をするザノアールをファビオは見て言った。
「……横領? 絶対ダメでしょ、それ」
ファビオは言う。
「あいつの話はもういい。……終わった話だ」
ザノアールは頭を振って、「あいつのことを話すと気分が悪くなる」と言って腕を組む。
彼の隣で頭を掻いたビクターは、「じゃあ、明日。ゼクラット書店でビクターから説明を聞いてくれ」と正面に座るファビオへ言って、椅子から立ち上がろうとした。
二人が言ったその支部長をファビオは誰のことか全く知らない。
だが、それよりも今、話題に出たゼクラットについてこの会議室で三人しかいない状況で聞いておこうと思った。エレジアからもザノアールに聞けと言われていたことを思い出して、それとなく、いい感じにファビオは聞いた。
「じゃ、じゃあさ、おじいさんの話を聞かせてよ」
立ち上がったビクターは、ファビオの言葉にまた座り直す。
彼はなにか言いたげにしていたが、代わりにザノアールがファビオに答えた。
「……別にいいが……どこから話す?」
あまり本意ではなさそうなザノアールを見るファビオは、それでも引かずに「エレジア様のことは本人から聞いたので」と答えれば、彼は「あいつが?」と聞いた。
「晩餐会が終わってからすぐ? まぁ、その辺りですかね、中庭で話すことができました」
怪訝な表情をするザノアールにファビオが返すと「……あぁ、だからか」と背もたれに寄りかかって「なら、ビクター。お前が言ってやれ」と言って目を瞑った。
「まぁ良いですけど、私情も含むけどいい?」
ザノアールの隣の椅子に座ったビクターがファビオに聞く。
「いいの? ビクター兄さんからおじいさんのこと聞いたことなかったけど」
ファビオの言葉にビクターは微笑んで「いいよ、父さんは私が間違っていたら補足してください」と言うと、ザノアールはビクターの声に「分かった」と返した。




