間章1 豪商の末っ子は、聞いていない急転直下に首をひねる。4
「まぁ、私が知っている範囲の話だ。父さんの方がよく知っているのだろうけれど、ファビオも勘付いているかもしれないけれど、ゼクラットおじいさんと父さんの仲は私が見る限りでは最悪だったね」
そこまでを一息で言ったビクターに、ファビオは「そんなに仲がいいとは思ってなかったけど。……最悪って」と言って困った顔をした。
そんな彼にビクターは「こんなことで一々止まっていたら夜が明けるよ?」と言うと、眉を下げたままのファビオは「ごめん、続けて」とため息交じりに返した。
「そこまで落ち込まなくていいじゃないか。私も怒っているわけじゃないから、知ってるだろ? 私を怒らせるって大したものだからね」
ビクターは落ち込んだ様子の彼に話せば、ザノアールが「そうなのか?」と言ってビクターに向いた。
「お前、あのド三流にずっと怒ってたじゃないか」
「横領は怒って当たり前でしょ。大したことですよ、あれは」
ビクターはザノアールに返して一つ息を吐いた。
ザノアールは唸った後、「まぁ、言わんとしてることは分かるか」と言って天井を見上げた。
「ファビオ、続けてもいいかい?」
ビクターはザノアールを横目にファビオへ話しかける。その言葉にファビオは頷いて返す。
そうするとビクターは、机に両肘をついてまた話しだした。
「変な横槍でどこまで話したか忘れたよ。確か、そうそう。父さんとおじいさんが仲悪かったって話だね。あまり亡くなった人をどうこう言う事はしたくないけれど、私から見てもおじいさんは仕事ができなかったんだ。商会長としての業務の大半に適正がないと言えばいいくらいだ。時々さ、私も過去の資料を見たりするんだけど、ほとんどの資料の決済者はおじいさんじゃなくて、父さんのおじいさん。私とファビオから見るとゼクラットおじいさんのお父さんのマカワンさんの名前が多かったよ。ほとんどが商会長代理マカワンの代筆とかだった。最初に見た時はびっくりしたよね。国に提出する書類すらそうだったから」
ビクターは一度喉を鳴らした。
飲むものがない会議室で、ファビオはよく喉が渇かずに話せるなと思った。
「それでさ、よくよく確認したんだ。父さんには黙ってさ」
ビクターがそう言えば、ザノアールは「……ほぉ、何をしたんだ?」と天井を見上げていた彼の顔がビクターの方に向いた。
「そんな大事じゃないですよ。ただ、ゼクラットおじいさんが系統的に何ができなくて何ができたかを確認しただけです」
「……そんなことをしていたのか?」
「まぁ、この仕事を始めた時は暇でしたから、ちょうどいい暇つぶしになりましたね」
ザノアールはビクターの話に「……まぁいい、とりあえず話してくれ」と言うと「いいですよ」と返すビクターは深く息を吸ってまた口を開く。
ファビオはそんな二人の会話に挟まれたまま、ただ聞いていた。
「話を戻しますね。いいかい? ゼクラットおじいさんは商会の仕事のほとんどができなかった。多分数字が読めなかったんだろうね。簡単な決済書とかはおじいさんのサインがあったけれど、複雑な書類にはマカワンさんの名前しかなかった。父さんが商会の仕事を始めるまで、本当にマカワンさんのサインしかなかったんだ」
ビクターはそこまで言ってファビオを見て聞いた。
「じゃあ、ゼクラットおじいさんのサインが多かった仕事というか書類、ファビオは何の書類か分かるかい?」
彼なら分かるだろうかと聞いた様子のビクターだが、当の彼は分からず「何のことかサッパリ分からない」と答えた。
「だろうね」
と言って笑うビクターは続けた。
「いいんだ。分からなくて当然だからね。正直、私も気づいた時は驚いた。だって、ゼクラットおじいさんのサインのほとんどは社交会と貴族との会食、それから遊行費とか諸々の、商会とはパッと見ては関係ない書類ばっかりだったから」
彼は続ける。
「商会の会議議事録も洗い出して確認したけれど、ゼクラットおじいさんは商会にいなかった」
「それって、おじいさんは商会長じゃなかったってこと?」
ビクターの言葉にファビオは聞いた。
その話が本当の事であれば、彼の知っているゼクラットのことが根本のところで折れてしまう。
穏やかに笑ったままのビクターでは答えがあやふやだと思ったファビオは、天井を見上げたままのザノアールにも「と、父さん? 本当なの?」と聞いた。
「親父は商会長で間違いない」
ザノアールはファビオに顔を向けて言う。
一気に緊張した彼はその言葉に「そう、なんだ」と返すと、「そういうことだから。続き、話し続けていい?」とビクターは笑顔のまま聞く。
「……本当に、おじいさんは商会長だったんだよね?」
ザノアールはゼクラットが商会長だったと言ったが、これまでのビクターの話を聞いたファビオはあまり信じられなかった。
やっぱり答えは、言った本人であるビクターから聞かないといけないと思ったのだ。だからこそ、彼はビクターの方を見て聞く。
不安そうに顔を歪ませる彼に、ビクターは「父さんの言った通り、本当」と答えた。
「……良かったぁ」
そう言って背もたれに体を預けたファビオを余所に、ザノアールはビクターの耳元でささやく。
「私って、信用されてないのか?」
彼のささやきに、ビクターは「さぁ?」と返した。そんなビクターに彼は続けて「さぁって何だ。さぁって」と言えば、「知りませんよ。父さんがファビオとあまり交流してなかったからじゃないですか?」と返した。
ビクターの言った言葉に反論できないザノアールは、「ぐぅ」と言ってビクターに寄りかかっていた体を戻す。
そして、自らが座っていた椅子に座り直した。
「それでさ、話終わってないんだけど、続ける? それとも、もう終わる?」
ビクターは疲れている二人に聞くと、椅子にもたれ掛かったままの彼は「……あと少しだけ教えて」と返した。ザノアールは何も言わずにそのまま座っている様子だけだ。
「まぁ、ファビオのおじいさん好きは、今に始まったことじゃないからね。とりあえず、ゼクラットおじいさんは商会長ではあったが、商会にはいない人だった。ってことを念頭に聞いてほしい。いいね?」
ビクターの言葉にファビオは頷いて返す。
彼は優しくてマメなゼクラットの印象がパラパラと崩れ始めていたが、ビクターにはそんなことは分からない。
「ゼクラットおじいさんの仕事は、貴族や他の商会との顔つなぎだった。そのおかげでケイドリンとか、他の領との繋がりができたんだから、いい仕事をしたんだろうけれどね」
ビクターは深く息を吐いてファビオを見て続けた。
「でも、商会長としての業務は、マカワンさんと父さんがやっていた。だから、私から言わせてもらうとゼクラットおじいさんはお飾りの人としか思えない」
ビクターの言葉にファビオは「……そうなんだ」と呟いて下を向く。
話を聞き続けるファビオは相応に参った様子で椅子にもたれている。
だが、ビクターは畳みかけるように「だから、商会長の仕事を父さんが早くからする事になって、当時は結構もめたらしいよ」と笑って言った。
「……もういい、ビクター」
ザノアールはこめかみに手を当ててビクターに言った。
「ファビオもいいな?」
ファビオに向かってため息をつきながら尋ねるザノアールに、彼はゼクラットの昔話の終わりを察した。
「……はい。もうです」
彼は不満げな顔のままビクターに言う。
「正直、そこまで言われると思わなかったよ、ビクター兄さん」
彼自身、ケイドリン伯爵夫人のエレジアから聞いた昔のおじいさんについて、その整合性を測ろうとした。
だが、ビクターの口から出る話の数々はゼクラットを貶めるような物言いばかりで、彼が知っていたゼクラットの印象が、音を立てて崩れていた。
「そう? 全然そんなつもりはなかったんだけど?」
ビクターはファビオの気持ちに気づかないまま、項垂れた彼に笑いかけた。
二人の話を聞いたザノアールは、机を軽く叩いて告げた。
「もう親父の話は終わりだ」
二人の目がザノアールに向く。
「聞いていて気持ちの良いものじゃない。もういいだろ?」
「でも、おじいさんのことを知りたかったら、父さんに聞けってエレジア様が――」
ファビオはザノアールに返した。
言い返す彼にザノアールは腕を組んで息を吐く。
「私もよく分かってない」
ザノアールは「だからな、ファビオ」と続けた。
「お前が知ってる親父を、逆に聞かせてほしいくらいだ」
ザノアールの話に返す言葉が見つからないファビオは「……僕が?」と尋ねる。
「親父は自分のことを語らなかったからな。秘密の一つや二つ……いや、もっとあってもおかしくないな」
なんとも言えない顔をするザノアールは続ける。
「エレジアのことも本人から聞いたんだろ?」
参ったなと言った顔をして、ザノアールはファビオに言う。
そんなザノアールにビクターは少し驚いた顔をして彼に「エレジア様のですか?」と聞けば、ザノアールは頷いて返した。
「彼女、よく話しましたね。それもファビオにって……なかなか」
ビクターはそう言ってファビオを見た。
「なんだよ、晩餐会終わりに教えてもらったんだよ」
ビクターの胡散臭げな目を見た彼は机に手をついて言い返す。
「いや、別に。彼女とファビオって、似てる気がしてさ。父さんもそう思いません?」
ビクターはそう言って笑った。
彼の言いようにザノアールも「確かにな」と微笑む。
「なんです? 二人して。エレジア様と僕が似てるって褒めてます? 貶してます?」
「褒めてるよ、父さんもそう思うよね?」
ファビオの言葉にビクターが返してザノアールに同意を求める。
「あぁ、褒めてるさ。ケイドリン伯爵夫人に覚えてもらうなんて、そうないからな」
二人の回答にファビオは「貶されてる気がするんだけど?」と首を傾げた。
「まあ、もうこの話はいいだろ?」
脱線した話を戻すザノアールはファビオを見て「それで、親父からお前だけに話したことはあるか?」と彼が聞けば、ファビオは首を傾げたまま「分からないですよ、もう十年以上前の話ですから」と言った。
「そうか。もう十年以上前か、そうだよな」
ザノアールは視線を机に落としてから呟いた。
彼の表情はファビオには見えなかったが、腕を組んだビクターは「じゃあ、もう話は終わりですね」とザノアールに聞くと、彼は頷いた。
「それじゃ、ファビオ、明日のこと忘れないでね」
「分かってるよ。とりあえずディオネを探さないといけないけど」
ビクターの言葉に返した彼はため息をついて頭を掻く。
ゼクラットの話から少しは立ち直った様子のファビオは、「じゃあ、僕は書店に帰りますよ」と言って立ち上がる。
ザノアールは「年いったな」と俯いたまま呟き、ビクターは机に置いた書類をまとめて立ち上がろうとしていた。
「そういえば」
ファビオがなにか思い出したように口を開くと、ザノアールとビクターは彼の方を向いた。
二人の赤い目が彼を見つめると、むず痒そうに二人から目を逸らして言った。
「この話、書店の中で言って良いのかな?」
ファビオの問いに、ビクターは「良いよ、どうせ明日には知るんだろうし」と言って、ザノアールも「ビクターの言う通りだな」と言って背筋を伸ばした。
ザノアールは何かを思い出したように「そうだ」と手を叩く。
「二人とも今日は家で食べるか? 家族で晩飯って久しぶりだろ?」
と言って、ビクターとファビオを交互に見た。
「これから、カーラさんと明日のことで打ち合わせますので遠慮しますよ」と言って、ビクターは書類を持って立ち上がり、ファビオも「ディオネを探しに行くから無理です」と返した。
「……そうか、二人とも忙しいか」
寂しそうにまた視線を落とすザノアールを見て、ビクターとファビオは顔を見合わせて肩を竦めた。
子どもじみた父親の様子に二人は「じゃあ、父さん。僕たち帰るね」と言って会議室から出ていく。
途端に一人になったザノアールは「ここがお前達の帰る場所なのに」と肩を落として立ち上がる。
「昔みたいにパパと呼んでもくれないとは」
そう言ってため息をつくザノアールは会議室の窓から見える空を見上げた。




