間章2 新米貴族は、姉弟喧嘩に手をこまねく。4
始まらないと思っていた話し合いはライアンの考えが間違っていた。
使用人の彼女が「それでは」と三人に声をかけて部屋を出た後、落ち着き払った顔をするエリザベスが椅子に腰かけて「それじゃあ、始めましょう」とライアンに話した。さっきまでの喧嘩は演技だったのかと勘ぐりたくなるほど、暖まっていたはずの応接室の空気が、一気に冷えた。
「良いのかい? ファビオ君が結構当たってきたけど」
「別に」
腰掛けて肘掛けに手を添えたエリザベスは、ファビオの方を向いて言う。
「いつものことよ。どうせ聞かれたくないことでもあるんでしょ? ね?」
ファビオに尋ねると「……まぁ、恥ずかしながら」と見透かされたことに嫌そうな顔を隠さない。彼女は「ほら。私が居て良かったでしょ?」とライアンにどやるエリザベスに、彼は(居なければ、それはそれで話し合いできたんだけどな)と思いながらも、「そうだね。助かるよ」と話してファビオの言葉を待った。
「……ディオネのお願いのことでね、しい題材を執筆中らしいんですけど」
「やっぱり、『深窓の令嬢』じゃない?」
「それはない。学園もの? ってやつを書いてるんだって」
エリザベスの問いをすぐに否定したファビオは、一拍おいて続ける。
彼の返事にエリザベスは「はぁ」とため息を吐いては肘掛けに体重をかけた。瞬間、興味が失せた彼女は窓の方を見て、そんなエリザベスこら目をそらしたファビオはライアンに向けて声をかけた。
「それで、高級そうな表紙を作りたいって言ってて」
力なく頭を振って「勘弁して欲しいですよ、本当」と項垂れた。
「そう言われてもな。……羊皮紙とかじゃ駄目なのかい?」
頭を抱えるファビオに返せば、違ったようで首を横に振った。
「僕も言ったんですけど、駄目らしいですよ。なんか使える色の制限が煩わしいって」
ため息と共にこめかみ辺りを掻いて、「意味わかんないですよね」と言い、白けたファビオは水が入ったコップに口をつける。いきなりの泣き言にライアンは(確かに本の表紙は大体が同じ種類の紙だ。……でも、高級そうな紙か)と顎をさすって考えた。
書店の娯楽本や教材の表紙に使う紙は相応に分厚くほとんどが単色を使用する。ディオネが要望している紙が、パッと該当しそうな種類を思いつかないライアンは、隣で座るエリザベスを見るが、話の趣旨を一番分かっていない様子でカーテンが掛かっている窓を見ているだけだった。
(エリーは興味ないか)
ファビオとの話し合いに参加したいと言い、かつ、居て良かったでしょ。なんてどやっていた彼女は置き物になったらしい。
ライアンは、エリザベスから目を逸らしてファビオに向き直ると、「思い出したらイライラしてきた」とコップに入った水を見て愚痴が続く彼に、どうしたものかと頬を掻いた。
「ファビオ君。ディオネ嬢にどんな紙が良いかとか聞いた?」
興味のないエリザベスと、ディオネ嬢とのやり取りを思い出して苛立つファビオを見て、ライアンは(ここは君たちの実家じゃないんだけどな)と彼も入ったコップを持つ。
「……たしか、薄めの紙と……なんか光沢がある紙? らしいんです」
顔を上げるファビオは、ライアンを見つつ首を傾げて「あいつも説明するのが難しいらしくて。本当に意味不明って感じで」とコップを持つ手とは逆の手で頭を抱えた。
彼の話を聞き、要領を得ない要望を聞いたライアンもコップに口をつけると、エリザベスが声を出した。
「じゃあ、何しに来たのよ。話し合いができる段階なの? 聞いてたらディオネちゃんしか分かってないじゃない」
「あいつも分かってないっぽいから困ってるんだよ。こんな感じって言うだけ言って説明した感出すからさ。我が儘なんだよ、あいつ」
エリザベスの方を向くファビオはコップを机に置き、頭に当てていた手を下ろして椅子にもたれかかった。話すごとに疲れていく彼をライアンは見る。
(普通にエリーと話せるんだから、最初からそうしてくれればいいのに)
そして、微笑みを絶やさず二人の落ち着いた会話を聞いた。
「そう? 我が儘も女の子の特権じゃない?」
「簡単な我が儘なら慣れてるからいいんだけど、謎解きをさせられてるみたいなんだよ」
「あなた、そういう系は苦手だったかしら?」
「苦手ではないよ。でも、姉さん」
もたれ掛かった椅子から乗り出して背筋を伸ばすファビオは咳払いしてから声を出した。
「問題を出した本人も、答えが分かってないのは謎解きとは違うんじゃない? あいつの妄想に付き合ってるだけなのかもしれないんだ。こっちの気が滅入って仕方ない」
赤い目を細めて小さく頭を横に振ったファビオは、降参だとも言いたげに「それで相談なんです」とライアンの方を見た。
エリザベスはファビオの言葉に「妄想って酷いわね。……でも、その言い様は分からなくもないわ」と目を閉じて小さく首を振った。ライアンは穏やかに、困った顔をして俯くファビオに向けて言う。
「私に相談? 紙のことは相談に乗れそうにないが?」
力なく俯いたファビオに向けてライアンが言うと、「そうですよね。それは分かってます」と顔を上げる彼の表情は忙しなく動いて、なにかを言いたそうに口を開いては閉じた。
「無理難題を相談するのかい?」
ファビオの様子にライアンが声を掛ける。
「そんなことはないんですけど……そうかもしれないっていうか」
挙げ句、下唇を噛むファビオに痺れを切らしたエリザベスが肘掛けを細く白い指で、強めにノックするような音を鳴らした。
「あんたの考えてることは、いっつも大それたことじゃないじゃない? 言いなさいよ」
明け透けに面倒臭そうな顔をするエリザベスに、ライアンは(さすがきょうだい。よく似てる)と彼女の顔を見つつ、前で座っているファビオの顔と見比べた。
「……じゃあさ、ディオネの入館許可をもらえたりする? 僕、あいつのメッセンジャーを辞めたいんだ」
ライアンはどう答えようか一瞬迷ったが、彼がタングリングまで来た真意が分かった気がした。
* * *
ファビオが話した『メッセンジャー』という言葉に、エリザベスは「ちゃんとディオネちゃんと話せば良いじゃない。小間使いでもないんだし」と肘掛けで器用に頬杖をついて言った。
彼女に目を向けて、しかめ面を崩さないファビオは目を伏せる。
「……話したいのは山々なんだけどさ。……なんというか、こう」
言いたい気持ちとなにかが混ざって言い出せない様子のファビオを見て、ライアンは「まぁ、言いたくないなら仕方ないさ」と優しく声をかけた。その後に、隣に座るエリザベスを見ると、彼女は首を振って深く息を吐いていた。
「どんなことでも言わないと伝わらないのよ? あんたも子どもじゃないの。しっかりしなさいよ」
イライラし始めたエリザベスは不躾にファビオに吐き捨てると、下唇を噛んだ彼は深く息を吸って言い出そうとして、やっぱりダメだと言わんばかりに項垂れた。
「……姉さんの言う通り何だけどさ。……ちょっと僕にも色々とさ、色々とあるんだよ」
「色々ってなによ。姉にも言えないこと? そんなことあるの? ねぇ、ライアン。どう思う?」
「え? 私かい?」
「同性でしょ? 少しは分かるんじゃない?」
睨みつけるような目でライアンを見るエリザベスを見返して、彼は突然の無茶振りにこめかみを掻いた。
(一応、私たちはまだ貴族だから遠慮してるのか? まぁ、ディオネ嬢とは会うことも少なくなったが……どうだろうか?)
「ファビオ君、もしかして私たちに遠慮しているのかい? 別に突然の訪問じゃなければ、私たちはいつでもディオネ嬢と会えるんだが?」
項垂れたままのファビオに優しい声色で話すライアンの言葉の通り、貴族と領民は頻繁に顔を合わせることはない。ないのだが、あくまでこれから先も貴族としてその使命を果たす一族のことで、あと数年で貴族ではなくなるタングリング家にとっては、それこそ早めの事前連絡を貰えれば時間を合わせて会うことだってできる。
朝のうちに緊急度の高い製紙工場の窃盗犯への沙汰を伝えることがなければ、エリザベスの網を掻い潜ってファビオと二人で話し合いをする手筈を整える時間はあった。連絡を受けてディオネ一人のために一日だけ時間を作ったこともあるくらい、予定のない暇な日がタングリング家には少なからずあった。
「……それは分かってます。でも、連絡なしに会いに行こうとするあいつを留めることはあります。……そこまで遠慮してないです」
尋ねたライアンの話に返すファビオの言葉に彼はエリザベスと同じ姿勢で頬杖をついた。
(じゃあなんだ? 全然分からないんだが?)
貴族だから遠慮しているのか? くらいしか思い浮かばないライアンは考えた。そして、ファビオの言葉を聞いたエリザベスが「え? ディオネちゃんがここに来ようとしてたの? は?」と続けて「なんで留めた?」とファビオに聞いた。
「だって、姉さん貴族だし。デミストニアから離れてるし、流石にいきなり会いに行ける距離でも位でもないじゃん」
ファビオの反論の余地もない返事にエリザベスは鼻息を荒くして黙るしかなかった。
「まぁ、あいつってその場で何したいかそこで決めるから大変でさ」
黙ったエリザベスに、苦笑いを浮かべながらファビオは話し続ける。
「いくら僕だって、あいつの補助をしながら経営まではできないよ。だから今日だってディオネも一緒に来る予定だったんだ。でも、急にデュラン兄さんに魔法を教えてもらうって言って山に行っちゃったくらいだし――」
止まらない彼の言葉に、ライアンは「ちょっといいかい?」とファビオを止める。
不機嫌な顔を晒すエリザベスに配慮したわけではない。ただ、不思議そうにライアンを見るファビオを見て、ライアンはディオネの『小間使い』を嫌がりながらも言い出せない理由が、なんとなく分かった気がしたのだ。
(そうかぁ。もうそんな年かぁ)
一度机に置いたコップを持って、入っている水を口に含んで間をつくってから、「どうしたんです?」とライアンに聞くファビオに答えた。
「あれだったら、私の方からディオネ嬢に言っておくよ。紙の要望の話は工場ではできないけど、ここで話し合えばどうとでもなる。それに」
一呼吸置いて、不機嫌なエリザベスを見て口を開く。
「彼女がここに来れば、エリーも嬉しいだろうしね」
彼は、形だけでもエリザベスへのフォローを入れてみた。
「いいんですか? 結構めちゃくちゃなこと言ってきますけど」
エリザベスに配慮したライアンの言葉に反応したファビオは、身を乗り出すように椅子から立ち上がった。
「いいよ。私じゃなくて工場の人間が対応するんだから、私はただ場所を提供するだけだから」
できればエリザベスに喜んでもらいたかった彼は、「助かったよ。さすがですライアン義兄さん」とわざとらしく『義兄さん』と言って安堵するファビオに、(単純なのか、なんなのか)と苦笑いを浮かべた。
「気が利くじゃない」
エリザベスもライアンの話を理解したようで、座ったままの彼女は手をライアンに差し伸べて、彼もその手を握った。
「そうかい? 君のことを考えればこれが一番いい形かなって」
さっきまでの不機嫌な顔も消えて、穏やかな表情に戻った彼女は「さすがね、ありがと」とライアンに話す。
透き通った宝石のような瞳に彼の顔が映る。
ライアンは少し気恥ずかしい気持ちを抱えて、「どういたしまして」とエリザベスの手を彼女の椅子の肘掛けに置いた。
「……二人の世界はもういいです? 僕、この話を早速ディオネに伝えに帰りたいんですけど?」
いつの間にか立ち上がっていたファビオが、「いいです? 帰っても?」と言いながら背伸びをした。
「そうね、さっさとディオネちゃんに伝えに帰りなさいよ。小間使いらしく」
エリザベスはそんな彼に向けて冷たく言えば、肩を回すファビオは「はいはい。分かってますよ」とぶっきらぼうに返した。
そんな二人のことを見ているライアンは、いつまで経ってもきょうだいらしい彼らに年が経っても変わりそうにない二人の問答を聞いて、一つ疑問が出来た。
(そういえば、ファビオ君はディオネ嬢の件だけでここに来たのか? 半日もかけて?)
エリザベスと小言を言い合っているファビオの変わりように、ライアンは(やっぱり間違いないな。ファビオ君があの子を好いているとは、昔の彼を見たら全然考えられないくらい変わったな)と応接室に入るまで、不安を胸の内に秘めていたライアンのその胸の不安が消えていくのを感じた。




