間章2 新米貴族は、姉弟喧嘩に手をこまねく。3
ライアン・デ・タングリングにとって義弟であるファビオ・ライフアリーのことをどう思っているのか。
そういう質問をゼクラット書店の専属作家のディオネ・スカンタールに聞かれた時のことを彼は思い出していた。
どうも目の前のきょうだい口喧嘩は治まる場所を見失って、彼が入る余地もないくらい言葉の応酬が飛び交っている。
「なんで! 前は一緒にお茶をして楽しくに話してたのよ!」
「いつの話? それ? 一年前とかじゃないの?」
「はぁ!? 私が忘れっぽい女ってこと!?」
「言ってねぇよ! そんな事言ったら殴ってくるだろうが!」
「なによその言い草は! それに! 私がそんなことするわけないでしょ! あんたこそ、この私に向かって言って良いことと悪いことの判別がついてないんじゃないの? お子様だから!」
「はぁ!? そっちだって――」
(……あの時はなんと言っていたか。忘れてしまった)
ライアンは忙しなく充実していた最近の時間の中で忘れてしまったようで、汗ばむ首を傾げて天井に吊り下げた照明を見上げる。
チカチカと点滅する照明を見て、(魔石の交換、しないとな)と口喧嘩を聞き流しながら息を吐き、また二人に目を向けた。
「そもそも『深窓の令嬢』は私が主役でしょ!」
「モデルは姉さんだけど、そのものではないから!」
「でも私よ!」
どうしようもないきょうだい喧嘩など早く終わらせて、ファビオが来た理由を聞きたいライアンは、二人の口が閉じるのを待った。グチグチと長引く喧嘩をするタイプではないことを知っている彼は、終わるまで大人しく待つことにした。
ただ、頼んだ水を早く持ってきてくれないかと扉の方を見ても、ライアンには向こう側にいる人の気配など分からない。
「そんなわけないじゃん!」
「そうなの! それに、ディオネちゃんは書くのが楽しいって言ってたわ!」
「だからいつの話なんだって!」
ああ言うとこう返すの手本を見てるような気がするライアンを見向きもせず、ファビオとエリザベスの応酬は続く。
(確か、婚姻式以降、あまり顔合わせてなかったか。エリーが楽しそうにしてるし)
高い声を出して調子が良さそうに喧嘩をするエリザベスの顔を見るライアンは、彼女が醸す雰囲気が最近では感じなかった楽しそうなそれに(やっぱりファビオ君が好きなんだな)と微笑みながら二人を待った。
「あのねぇ。『深窓の令嬢』は私の許可がなかったら出版できなかったことを忘れたの?」
「なんだよ許可って。僕はもらった覚えもお願いしにいったことも覚えてないし、そもそもそんなことするわけないじゃん。役所の許可だけだよ僕がしたのは」
「ディオネちゃんが! この、私が『深窓の令嬢』のモデルとして合ってるからいいですか? って聞いてきたのよ!」
「それはディオネ個人の話だろうが!」
「ちょっと! 姉に対しての礼儀がなってないわよ!」
「だったら! 姉らしく振る舞え……振る舞ってくださいよ」
また熱が入り始めて二人の言葉遣いが怪しくなったが、ファビオはエリーの剣幕に怯えたようで俯いた彼の赤い目がライアンの方をチラッと見ているのが、彼には見えた。
(……エリーはまさに湯沸かしみたい、か)
最近になって、ドリンシャス帝国のオーレリア領から特に魔道具の輸入が多くなって『湯沸かしの壺』なる物がデミストニアに出回っいた。ライアンも一度湯沸かしを体験したが、すぐに沸騰した水を見て驚いたことを覚えていた。
ファビオからの救助要請が来てしまったことで、この口喧嘩の仲介をすることになったライアンは、立ち上がってファビオを睨んでいるエリザベスの手を掴む。
「エリー、もういいかい? 痴話喧嘩は私とファビオ君の話が終わってから存分にしていいからさ」
「痴話喧嘩じゃないわ」
熱くなっているエリザベスの手を握ったライアンの手を払って腰かける彼女は「教育よ、出来の悪い弟の」と息を吐いた。
「エリー。言い過ぎだよ」
「なんで? ちょっと睨んだだけで怯える振りするのよ?」
「いやいや。ファビオ君はエリーに頭が上がらないんだから。仕方ないさ」
「なに? ライアンはファビオの味方?」
椅子に深く座って肘掛けに手を置くエリザベスは、隣に座っているライアンを白い目で見て、「座る位置合ってる?」と首を傾げて聞いた。俯いたまま、ライアンの方に目を向けてこないファビオを味方するなら彼の方に椅子を持って行けと遠回しに言っているのだと、ライアンは受け取る。
だが彼女に、「私は君の夫だよ。だから、ずっと君の味方だ」とエリザベスが座る肘掛けに置いたままの彼女の手の上に、ライアンは自分の手を包み込むように置いた。
いつもは冷えている彼女の手は、今日は熱いくらいに暖かい。
「そう、そうよね。なら、私のことも分かってくれるよね?」
ライアンの手の上に、エリザベスは片方の手を押さえ込むように重ねた。そして、挟まれる形になったライアンの手がギシギシと音を立て始める。
「も、勿論さ。でも、ファビオ君はライフアリー商会の人間として来ている手前、先に細事を終わらせてもいいかな?」
ライアンが考えている通りであれば、ファビオが来た理由は細事ではないのだが、彼は隣で微笑むエリザベスを見て言った。
(ファビオ君、申し訳ない。私にまで飛び火させるのは厄介なんだ。許してくれ。ほら、聞こえるだろ? 私の手が軋んでいる音が)
エリザベスの微笑む顔はやっぱり綺麗で、ライアンの顔も釣られて口元が緩みだすが、彼女の目は全くもって笑っていなかった。それといくら鍛えている彼の手も限界が近い。
「なんで? タングリングの頭であるあなたの妻は私よ? 私も聞いて良いでしょ? それに、嫁ぐ前はライフアリー商会の出よ。こんなに会議に出ていい人間は珍しいんじゃないかしら?」
赤い目がライアンを射抜く。
彼女は会議室から退出されることを嫌がった。内々の話と男同士の話ができる数少ない、ライアンの息抜きも兼ねていた一時だが、エリザベスの願いに彼は「……そうだね」と言って考える振りをした。
(それは私が一番分かっているが、そうじゃないんだ)
ライアンはできればエリザベスが違うことに興味を示して出ていって欲しかった。見つめるエリザベスの目から逸らしてファビオの方を見た彼は、怯えて俯いた様子はどこにもなく、白けた顔でライアンとエリザベスを見ているファビオがいた。
(どうでもよさげだな。ファビオ君は)
エリザベスの言った通り、怯えた振りをしていただけらしいファビオへまう気を使う必要もないと「じゃあ、エリーも一緒に会議してもいいかい?」と聞いた。
「いいですよ。別に」
あっけらかんとライアンに返事をする彼に、一言二言言いたい気持ちを抑えてライアンは「ありがたい。じゃあ、エリーも準備万端そうだし」と言って骨が軋む音が大きく聞こえだした手を力任せに引っ込めた。
「あら、痛かった?」
さすがのライアンも、折れそうな力加減で握られてはたまらないといった様子を見たエリザベスは、面白そうに口角を上げた。
「痛かったよ。さすがの私でも折れると思うくらいに」
「鍛えているのに?」
「鍛えていてもさ」
時々、エリザベスはライアンを試すような行動をとる。別に今始まったことではないが、突然始まる試練のような行動には慣れていた。学園を卒業するまでは力任せなことが多かった彼女は、骨が折れるかどうか繊細な力加減を手に入れてから特にそういう行動をよくするようになった。大変な思いをしているライアンだったが、それでも愛情の裏返しと思えばどうということはなかった。
「それで? 夫婦談議はもういいですか? 甘ったるくて仕方ないんですけど?」
ライアンとエリザベスが二人で話していると、椅子に体を預けているファビオが二人を見て言った。
白けた様子はそのままに、どこか苦そうな顔をする彼にライアンは「あぁ、悪い。最近エリーと話す時間が少なかったからね」と言うと応接室の扉が開いた。
「失礼します。ライアン様、お水を持ってきました」
開いた扉からは、廊下ですれ違い頼み事をしていた使用人の彼女が盆に水瓶とコップを載せて部屋の前で頭を器用に下げていた。
間の良いタイミングにライアンは「良かった。これから会議だから助かるよ」と答えると、「そうでしたか。それは良かったです」と素知らぬ顔をした彼女が応接室に入った。
「さすが貴族ですよね。僕らなんて自分の分は自分で用意してますよ」
使用人の彼女を前に、ファビオがライアンに話しかける。
「そうでもないさ。最近になって雇い始めたんだ。ライフアリー商会様々だよ」
と興味深そうに使用人の所作を見ていたファビオに返すと、彼は「でも後何年でしたっけ? 七年? 六年?」とライアンに尋ねた。
「六年と少しだね。貴族の収用は」
彼が言いたかったデミストニアへの貴族収用期間のことを察して返したライアンにファビオは「そうでしたっけ? もうそのうちですよね。前まで後十年くらいかなって思ってましたけど、早いですね」と繊細な話題を広げていく。
「そうかな? ……まぁ、そうだね。時間は経つのが早いね」
「僕も最近まで学生気分満々でしたよ。もう卒業して二年も経ってるんですけどね」
ファビオは話をしつつ、ライアンから順に、椅子近くの小さな机にコップを置いて水瓶を傾ける使用人から目を離した。エリザベスがファビオに向けて口を開く。
「それで? 今日は何のようでここに来たの?」
興味ある場所に着の身着のまま行くような彼女の言葉に、ファビオはライアンをチラリと見た。そんな彼にライアンは頷いて返す。
「……ディオネの奴からお願い事が――」
「やっぱり『深窓の令嬢』の新しい本の事じゃない?」
「それではないことだけは、絶対に、そう」
「何で言い切れるのよ」
「だって違うから」
言い切るファビオにエリザベスは注がれたコップの水を一気に飲み干して「もう一杯!」とコップを叩き付けた。
「かしこまりました」
使用人が返事をし、エリザベスが飲んだコップに水を注ぐ。
「姉さん。使用人の人が怖がってるじゃないか」
からかうように、またファビオはエリザベスに言うと「そんな事ないわよ! ね! そうでしょ!?」と使用人の彼女に言えば、当の彼女は微笑んだだけで次はファビオの方に向かって行く。
「ほら、やっぱり」
「なによ、私が野蛮な女って言いたいの!?」
「え? そうなの?」
ファビオの返答に、また椅子から立ち上がったエリザベスを見るライアンは(この調子じゃ、一日かかるんじゃないか?)と一向に始まらない話し合いに、胸の内でため息をついた。




