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真実の理(しんじつのことわり)  作者: きゆ
第1章 近視
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第14話 灰色

◆第14話 灰色


 その日は大粒の雨が降りしきる日であった。


 青年は玄関の扉を静かに開けると、ゆっくりと黒い傘を頭上にさし、駅へ向かって歩き始めた。


 いつも歩き慣れた駅までの道すがら、彼の目に入る草木や街路、建物など全ての物質は色を失っているように思えた。彼の耳には、傘によって規則的にはじかれる雨音しか届いていなかった。


 目的の場所は彼の最寄り駅から2駅程離れた所にあり、その周辺についてのある程度の土地勘を持ち合わせていたが、向かう足取りは重く、幾度となく水たまりを踏みつけたためか、到着することろには靴はビショビショに濡れていた。


◇◆◇◇◆◇


 「よく来てくれたね」

 声の先には背筋がピンと伸びた白髪の紳士が漆黒の衣服を身にまとって佇んでいた。何故か彼の姿を見て青年は涙が出そうになった。


 「はい……」

 青年は覇気の無い声で返事をした。


 「さぁ、雨脚も強いので、早く中に」

 そう言うと青年は義父に導かれ、会場の中へと足を運んだ。


 斎場の中に入ると、凛とした佇まいでありながら、本堂には立ち入らず、どこか遠くの方を茫然と見つめる淑女の姿があった。

 「お義母さん……」

 青年は弱弱しい声で呼びかけた


 女性はハッとした表情ですぐに娘婿の方へ向きを正した。

 「足元の悪い中ご足労をおかけしました」

 青年の声音に呼応するように、力ない声で彼女は青年の到着を労い、両手を重ね深々とお辞儀をした。


 「娘はこの本堂の奥で眠っています。どうか……顔を見てあげてください」

 義母はまだこの現実が受け止め切れていないような、心ここにあらずの様相で、かすれ切った声でそう言った。


 青年は本堂の中へとゆっくりと歩を進めた。そして中央の奥には彼女の遺影と棺が据えられていた。

 遺影は、健康的で血色がよく、少しふくよかな頃の彼女の笑顔の写真であった。

 


 (彼女にもこんな健康的な姿の頃があったんだな……)

 青年は、自身が知っている彼女の姿とは少し違う顔写真に少しだけ戸惑いを覚えた。

 (俺が知っているのは、彼女が闘病生活に苦慮しながらも、懸命に生きようと頑張っている姿だ……。彼女がこんな目に合う必要が一体どこにあったのだろう……)


 青年は心の中で静かにそう呟いた。


 一呼吸を置いてから、青年はゆっくりと棺の御扉みとびらを開扉した。

 百合の香りが鼻いっぱいに広がった。

 そしてその花の中には百合と同じ色をした彼女の小さな顔があった。

 眠っているようであった。

 幸……。青年は彼女の顔へゆっくりと手を近づけた。ひんやりとした感覚があった。

 この冷たい感触が、目の前に映し出されている光景が現実そのものであるということを残酷に突きつけてきているようにも思えた。


 青年はゆっくりと目を閉じた。

 

 「幸……。君は君の人生を全うすることができたのかな。いや……本当はもっともっと長生きしたかったよね。僕は少しでも君のことを幸せにすることができただろうか……?なぜ君がこんなにも早く旅立たなくてはならないのだろう……。おかしい。理不尽すぎる。この世界は残酷すぎる」


 そのような考えが青年の脳裏を渦巻いていた。

 

 青年はしばらくして義母の元へ戻った。

 「幸さんのお姿をしっかりと目と心に焼き付けました…………すみません、これ以上言葉がでてこなくて」


 「ありがとうございます。これで娘も報われると思います。あ、サトシさんにお渡ししなければならないものがあります」

 そう言うと義母はこちらへ、と手招きをして控室に向かった。


 義母は鞄の中から包みを取り出し、テーブルの上でほどいた。


 「娘の遺品です。娘が大切にしていた花のネックレスと、指輪です。ネックレスはサトシさんからプレゼントされたの、と出かける際にはいつもつけていました。それからこちらの指輪。きっと結婚式で倒れた後、病院でほんの一瞬意識を取り戻した時にサトシさんにつけてほしいと娘がせがんだものですよね。この二つは金属とガラス類なので副葬品として入れることはできないそうです。ですので、娘の形見としてサトシさんにお渡ししようと思いましてね……。そうは言っても、頂いたものをお返しする形となりますので、『形見』と表現するのは適切ではないかもしれませんが……」


 青年はかぶりを振った。


 「いえ……。これらの品は幸さんとの思い出の品です。僕の元で、大切に保管させていただきます」


 そう聞くと、義母はほんの少し安堵の表情を見せた。


 すると控室の奥に、供花らしきものが置かれていると青年は気づいた。

 


 「お義母さん、あちのらお花は祭壇に供えなくてもよいのですか?」

 「え、えぇ……あちらのお花は少し特別なものでして、夫とお話してこの葬儀では供えないということになりました」


 「特別……?」

 

 青年がそう漏らすと、義母は一瞬狼狽の色を見せたが、親族一同も集まっているため、すぐに本堂の方に戻りましょう、と話題が切り替えられた。

 


 「そうですね。本堂へ戻りましょうか」

 青年はそう言うと義母と共に控室から立ち去った。


 葬儀はご両親の意向もあって、『家族葬』という形態であった。

 参列者の中には、結婚式に出席していた親族の姿もあった。

 青年はあの時の彼女らの表情を克明に覚えているが、今はそれについて心を乱されることはなかった。というよりも、そう言った感情の揺れ動きが日を追うごとに小さく、そして失われていくような感覚があった。

 ちょうど目に映る景色から色彩が失われていくのと同じように。


 そろそろ読経が行われる時間が近づいてきた。

 参列者が徐々に着席しつつある中、青年は粗相無きよう用を済ませるため、御手洗いへ早足で向かった。

 その通り道に、先ほど訪れた控室があることに気が付いた。


 青年は一瞬立ち止まった。先ほど見た供花のことが頭を過ったからだ。

 何ら変哲の無い供花であったが、控室に置かれているという一点が青年の微弱な欲求を掻き立てた。


 青年は静かに控室の扉を開け、誰もいないことを確認した。

 そして気取られぬよう忍び足で供花の元へと駆け寄った。


 (立派な花だ……。この花は……胡蝶蘭……か?)

 青年はなぜか胸がざわつく感覚を覚えた。そして札名(ふだな)が不自然に背面を向けられていることに違和感を感じた。まるで何かを隠しているかのように。


 青年は恐る恐るその札名に書かれている名前を上からのぞき込むようにして確認した。


 『黒川 雅也』


 青年は硬直した。口の中がみるみる乾いていく感じがした。

 以前もこの名前を見たことがある……。

 どこだ……。

 それを思い出すのにそれほど時間はかからなかった。

 幸の病室へ毎週のようにお見舞いの花束を贈っていた男だ……。

 青年の眉間には無意識に皺が寄っていた。

 だめだ、今はそんなことを考えている場合じゃない。早く戻らないと。

 

 青年はそう自分に言い聞かせ、すぐに控室を出た――。

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