第10話 挙式①
◆第10話 挙式①
― 2024年10月14(月曜日・祝日) 東京 ―
チュンッ、チュンッ、チュンッ――。
カーテンの隙間からは夜明けを告げる一筋の光が部屋へ差し込んでいた。
「ん、んっー…」青年は仰向けの状態でゆっくりと両手を上げて伸びをした。
横にあるスマートフォンの電源をつけると、AM6:00という時刻が映し出されていた。
目覚ましをかけていた時間よりもずっと早く起きちゃったな――。青年はそう心の中で呟くと、徐に体を起こし、ベッドから降り立って窓を覆うカーテンを両手で開けた。
その日は快晴であった。そして鳥の囀りさえも澄み渡って聞こえ、どこか神聖なものに思えた。
青年は窓の外を見ながらスーッと大きく息を吸って目をゆっくりと閉じた。そうしてゆっくりと息を吐きだし終わると、静かに目を開きながら顔を上げた。
「さて、少し早いけど準備を始めようか」
青年は机に置かれているタイムスケジュール表と2つ綺麗に並べられた小さな魔法の箱を優しい眼差しで見つめると、柔らかく目を細めた。
◇◆◇◇◆◇
<@シャルマンヴェール SHINJUKU>
「聡ー!!こっちよ、こっち!!」
馴染みのあるよく通る声が少し先から聞こえてきた。その声の先には大きく手を振る母親と微笑みを浮かべる父親の姿があった。
青年の足並みは少しだけ早くなった。
「母さん、親父…。今日は来てくれてありがとう。それにしても来るの早いね」
「『ありがとう』って、何を当たり前のことを言ってるの! 私はあんたの親なんだから当たり前よ!」
張りのある声で母さんはそう言ってくれた。いつもは煩わしく感じていたその声が今日はどこか頼もしく、安心感を与えてくれるものに思えた。
親父はいつもの如く口を噤んでいた。だがその口角はしっかりと上がっており、とても温かい眼差しをしていた。
目は口ほどにものを言う、か――。青年には何となくその言葉がよぎった。
「親族控室はあと5分くらいすれば入れると思うから、会場の中に入ろうか」
青年がそう言うと、3人は会場の入り口に向かって歩き始めた。
「花形家のお義父さん、お義母さん、それから幸は10時前頃に到着予定だってさ。それから、東京にお住いのお義母さんのお姉さんとその旦那さん、それからお義父さんの弟さんと奥さんも来てくださるんだって」
「そうか…。こちらは我々両親だけの参加で申し訳ないな」親父は小さな声でそう言った。
「いや、これは俺の望んだことだから。全く問題ないよ。それに向こうのご両親にもその旨は伝えてあるから」
前を歩いているので父親の顔を直接見たわけではないが、その首が俯いている姿は容易に想像がついた。
――青年は2週間前に実家に帰った時の会話を思い出していた。
≪2024年10月1日 @横浜市 今川家実家 回想≫
「再来週に結婚式を挙げるだって!!??」二人は声を揃えて驚きの声を上げた。
「あぁ…。そうなんだ。急な話でごめん…。」
息子が困惑した表情をしているのを察すると、
「え、い、いやよかったじゃない!!と、とにかく結婚はおめでたいことよ!!」
と母親がフォローをいれた。
「ありがとう…。そう言ってもらえると助かるよ」
青年は弱弱しい声でそう言った。
「で、でもね、母さん。あんたのお嫁さんになる子とまだ会ったこともないのよ!一体どんな子なの…?」
母親の至って冷静な問いの背後には狼狽の色がちらついて見えた。
「……」青年は話すべき内容はしっかりと頭の中でまとまっていたにもかかわらず、言葉に詰まった。
父親は何か物ありげそうだなと、状況が見えるようになるまで、いつものように口を堅く閉じていた。
「へ、変な女性じゃないわよね…? 例えば出会ってすぐに結婚を要求してくる子とか…。お付き合いしてどれくらい経つの? 向こうのご両親にはお会いしたことある? そもそもおいくつくらいの方? その子の写真はある? 後、どこで出会った子なの? まさか出会い系サイトとかではないでしょうね!?」
母親の表情は一転して小さい息子を心配する保護者のような様になっていた。
ハハハッ…。青年は心の中で乾いた声で笑った。
――俄かには信じがたい話だよな。それに本当のことを話したところで、結婚は反対されるかもしれないな…。
「母さん、『出会い系サイト』なんて今はもう死語だよ。出会ったのはマッチングアプリっていう今若者の間で流行っている、婚活とかを行っている男女が出会えるアプリだよ。昔と違って今はすごく安全だし、本人確認書類とか提出しないと登録できないんだ。まぁ、結婚相談所のもう少し自由度の高いお気軽版みたいな感じかな。今は付き合ってちょうど1年くらいになるよ。黙っててごめんね」
「まだ母さんはその子との結婚を認めたわけじゃないからね!それに、そういう話はまずあちらの子が両親に挨拶に来てからするものよ!!」
母親は今度は感情的になっていた。すると父親が母親の肩にそっと手を置いた。
「まずは聡の話を最後まで聞いてからにしよう」
父親の重い口がそう諭した。
「俺がこれから結婚する相手は、花形 幸さんという方なんだ。とても聡明で、品のある女性だよ。訳あって親父と母さんに挨拶に来れておらず、本当に申し訳ございませんとお伝えください、と言われているよ」
「その『訳』とやらを聞かせてくれないか」
父親は鋭い眼差しでそう言った。
「彼女は『急性骨髄性白血病』という難病を患ってる。白血病の中でもかなり進行が早いもので症状も重い。今はもう自立して歩くことも難しい状態で、現在は入院して療養をしている。そしてこの病気は、現代医学では完治は難しいと言われていて、病気が診断されてからの5年以内の生存率は40%。後、再発を繰り返すたびに生存率がどんどん下がっていく」
母親は絶句していた。が、父親の顔は一層厳かなものになっていた。
「診断をされたのはいつ頃なんだ?後、再発も既にしているのか」
父親は質問を続けた。
「診断はちょうど6年前くらいにされたと聞いているよ。再発は…もう3回してる」
その時父親は青年の目つきから覚悟を読み取った。
「そうか…。お前は彼女がその難病を患っていると知った上で付き合うことに決めたのか?」
「…いや。病気のことを知ったのはつい2週間前だよ」
「あんたのこと騙してたってこと!?」
母親のいきり立った声が響き渡った。
青年はその問いに対して答えることができなかった。
「見方によってはそうとも言えるかもね。でも、俺にとってはそれはもうどうでもいい問題なんだ」
気づくとその言葉がぽろっと出ていた。
「どうでもよくないわよっ!! これから結婚する相手が重大な秘密を隠してたのよ? そんな女が今後どんな隠し事や嘘をつくことやら!」
父親は母親の方をギロりと見た。そうしてこれ以上はよせ、と制止の姿勢を見せた。
「一つだけ聞かせてくれ。その彼女となぜ結婚することに決めた? それは病気で苦しむ彼女のことを憐れんでか?それとも別の理由か?」
「わからないよ、自分でも。確かに病気で弱っていく彼女への憐みや同情の気持ちもある。でも、それ以上に彼女が生きた証を形として残したいんだ。そして結婚は彼女が夢見ていたことの1つ。それを叶えてあげたい。そんな細やかな願いさえも叶えてあげられないような男なら、俺は彼女の彼氏失格だよ」
「そうか…。だが、その考えは同情心と自己犠牲の精神によるものではないのか?俺たちは聡、お前の親なんだ。お前には幸せになってほしいし、母さんの言いたいこともすごくよくわかる。息子が体よく利用されているだけなんじゃないか、とそう思ってしまう気持ちも同じなんだ」
「同情心と自己犠牲か…。確かにそうかもしれないね。じゃぁ俺からも一つ質問させてくれないかな。それらと人を『愛する』ことの違いって何なんだ?」
父親はその言葉を聞いて少しの間黙り込んだ。
「少なくとも『愛する』ことは自己犠牲の上に成り立つものではないわ!! その子のためにあんたが不幸せになる必要なんてない!」
母親がまた取り乱した口調でそう言った。
青年はフッと笑った――。
「母さん、俺は彼女と結婚できることがすごく幸せだよ」
母親は納得していないような顔をしていることは見ずともわかった。
「人を『愛する』とはどういうことか、か。それは本当に難しいテーマだ…。そして、それには明確な一つの答えがあるというわけではない。聡、今回の結婚はお前の彼女に対する『愛』の形の表れであるということなのか」
父親はそう問うた。
「愚問だよ。俺は彼女のことを愛してるから結婚するんだ。まぁ人を『愛する』ということがどういうことなのかもよくわかっていないけど、今は彼女を少しでも幸せにしたい。その感情を、俺は『愛』だと思ってるんだ」
――非常に盲目的である。だが、一人の成人した男が決めた覚悟だ。それは親がとやかく干渉するべき類のものではないと、もう心のどこかで気づいていたのかもしれない。彼の信じる道を静かに応援して見守るとしよう――。父親はそう心で呟いた。
「そうか。では最後の質問だ。これから彼女と一生を共にすることでお前に想像を絶する悲しみや苦しみが待ち受けていることは想像に難くない。それらを受け入れる覚悟はできているということだな」
「正直、覚悟なんてできていないよ。そんなの、その時になってみないとわからない。それでも、今俺が彼女にできることは、結婚式を挙げるということだけなんだと思う」
「仮に結婚せず、今別れることが二人にとっての長期的な幸せな未来に繋がる可能性があってもか」
「ここで別れたら、もし彼女と結婚しなかったら、俺は絶対死ぬまで後悔することになる。仮にこれからどれだけ辛いことが待ち受けていようとも、この気持ちだけは絶対に揺ぎ無いものだよ」
父親はふーっ、と息を吐いた。
「聡、お前の気持ちはよくわかったよ。遅くなってしまってすまなかったが、改めて結婚おめでとう」
「ちょ、ちょっとあなた!!私はまだ――」
「息子がここまで腹を括って言い切った決断だ。親心として心配なのはすごくよくわかる。でも、俺たちが今すべきことは聡を信じて、祝福することなんじゃないか」
母親の口は真一文字に結ばれていた。
「納得がいかないなら、無理に祝福してくれなくても大丈夫だよ。後、結婚式にも来なくても大丈夫だから」
「あんたって子は本当に馬鹿ね…。子供の結婚式に行かない親がどこにいるのよ…」
母さんの目からは涙がこぼれていた。
ただ、俺はその時の母さんの涙がどのような感情からもたらされているかはわからなかった。が、ほんの少しだけ申し訳なさを感じた――。
≪回想終了≫
〔ピーン!〕
RINEの通知音が鳴った。
「幸と親御さん、もうすぐ到着するって」
聡は控室で腰かける父母に向かってそう言った――。




