第6羽 second flight
白い砂浜、透き通った青い湖面。そして、その中央に傲然とそびえ立つ、鉄パイプの巨塔。
アタシは再び、このトリ娘コンテストの聖地――琵琶湖に戻ってきた。
「……なんか、あっという間だったな」
桟橋の手前からプラットフォームを見上げて小さくつぶやく。
あの日、バァちゃんと電話で泣き明かしてから2ヶ月半。
羽ばたきトレーニングと、熱気に満ちた高温加圧室での特訓。グラウンドで初めて「ふわっ」と体が浮いたあの瞬間の感触が、今も翼の先に残っている。
一方で、あまりにいろいろなことを詰め込んだせいか、何か地に足がついていないような感覚も残っているのも確かだった。
「いつもそんなもんだよ〜」
隣にいるチームメイトのクラウドパルが言った。何かやり残したことはないか、もうちょっと何かできなかったか。大会直前はいつもそんな気持ちになるのだと笑う。
「本当は忘れ物は無いのに、旅行に出掛けたとたん何か忘れ物したように思っちゃうことと一緒だよ〜」
「うーん、なんかちょっと違うんじゃないかな」
分かるような分からないような例えを言って笑うパルちゃんの明るさに少し救われた気分になるけど、もやもやは消えない。反対側にいる青葉さんは、さっきから湖面を真剣な目で見つめている。
「パルちゃーん! ノーツー!」
「あ、バートライア!」
呼ばれて振り返ると、湖岸に集まっている集団の中からバートライアが手を振っているのが見えた。走ってこちらにむかってくる。
「ちょうど見かけたから。頑張ってね、2人とも。湖岸から応援してるから」
「ありがとうバートライア」
手を取り合ってエールに応える。
「ところで、バートライアたちは今何してるの?」
「うん。出場出来なかった組で何人かに分かれて、他の選手のトレーニングを見学したり、手伝ったり、情報交換してたりしてたところ。学園以外の選手もいるわけだし、出れない分の時間を使っていろんなことを見ておかないとね」
「そうなんだ」
聞きながら、バートライアの背後にいる人たちの中にテレビで見たことのある常連勢が何人かいることに気づいた。
「……上の人も結構いるんだね」
「そうそう、普段交流のない先輩たちの話もこの機会に聞けるから意外に貴重なんだよね」
そういう意味じゃないんだけど、という言葉をアタシはグッと飲み込んだ。たとえ常連勢でも、よほど上位の結果でないと次の大会に必ず出られる保証はないんだ。
心臓が早鐘を打ちはじめる。
「……ウイングノーツさん。桟橋へ移動してください」
「あ。はっ、はい!」
スタッフの事務的な声で、我に返ってプラットフォームに向かう。
前回と同じく桟橋を通ってプラットフォームに登りながら、アタシはさっきのもやもやとした不安を消せずにいた。バートライアと一緒にいた常連の先輩たちの姿も浮かぶ。彼女たちはこれまでアタシの何倍何十倍もの時間をかけて積んできているはずのに、飛べないんだ。
それに比べて、ほんのちょっと前に《《浮いた》》程度で浮かれていたアタシが登っていい場所なのか。階段を一段登るごとに、翼が重くなっていく。
頂上に着いたアタシの目の前には、ただただ広大な、どこまでも続く蒼い湖が広がっていた。
風が、強い。
前回と同じ場所に立っているはずなのに、足が竦む。
緊張で、尾羽がガチガチに固まっている。
(……自分は、ここに立つ資格があるのだろうか)
前回はただ出られたことで嬉しかったが、出られたことによる責任とプレッシャーを感じたのは今回が初めてだった。
「ゲート、オープン!」
審判員の白旗があがった。
思考を振り払う。青葉さん、そしてパルちゃんとの特訓を思い出して、上書きする。
「行きます……っ! 3、2、1、ゴー!」
全てを力に変えるべく、アタシは地を蹴った。全力で羽ばたく。空気を、層ごと掻き分ける。
練習通り。練習通りにやれば、浮く。浮くはずなんだ。
プラットフォームの先端が迫る。
「飛べ……飛べええええっ!」
渾身の力で翼を振り下して飛び出した、その瞬間だった。
――ガツッ。
左足の甲に、硬い感触が走った。
プラットフォームの角に、足を引っ掛けてしまったんだ。
「あ――」
平衡感覚が消失する。
視界がぐるりと回り、真っ青な水面が猛スピードで迫ってくる。
羽ばたくことすら許されず、アタシはただ真っ直ぐに、琵琶湖に墜落した。
……………
…………
………
……痛い。
冷たい。
救助ボートに引き上げられ、濡れ鼠になったアタシは、ただ震えていた。
ひどい落ち方をして体中痛い。幸い出血や骨折のようなものはないけど、違う何かが砕けたようにも思えた。
『只今の、富士川トリ娘スカイスポーツ学園、ウイングノーツさんの記録は、――16メートル45でした』
ウグイス嬢の声が、広大な会場に虚しく響き渡る。
16メートル。
滑空部門の時よりも、ずっと、ずっと短い。
あれほど死に物狂いでトレーニングして、パルちゃんの装置で自分を追い込んで、辿り着いた結果がこれだ。
ボートの上から見上げたプラットフォームは、相変わらず高く、遠かった。
◆
『現在プラットフォーム上は、富士川トリ娘スカイスポーツ学園、マエストロさんです』
アタシを乗せたボートが大会本部前の岸に着くと、すぐに次のマエストロのコールがかかった。
彼女には今回、冬季五輪のスキージャンプ代表だった萩原次郎という強力なアドバイザーがついていた。大会事務局からのオファーに飛びついたらしい。勝利に貪欲な彼女らしい選択だ。
『ゲート、オープン!』
マエストロが青白い翼を広げて走り出す。その加速は、以前とは比べものにならないほど鋭い。
けれど――。
「あ……!」
プラットフォームを蹴った彼女は、真横ではなく斜め下にダイブするように飛び出していた。
『マエストロぉ! 上げろ上げろぉ!』
中継モニターから萩原臨時コーチの叫び声が聞こえた。でも、斜めに突っ込んでしまった彼女はグングンと加速している。
何とか持ち直そうと翼を捩ったかに見えた瞬間だった。
――バキンッ。
鈍い音が風に乗って聞こえた。彼女の右翼が、信じられない角度で折れ曲がる。
「そんな……っ!」
バシャン!
叩きつけられるような着水音。救助ボートが慌ただしく走り出す。
ボートに引き上げられたマエストロが、折れた右翼を押さえながら泣いているのが見えた。
『……マエストロさんの記録は、――44メートル06でした』
「嘘でしょ……」
あの、自信に満ち溢れていたマエストロでさえ。
湖岸に呆然と立ちすくむ。
「これが、琵琶湖。トリコンなんだ」
その声に振り向くと、背後に銀髪のトリ娘が立っていた。何度も見たその姿。
「ソラノセプシー先輩……」
「これは皆言っていることではあるんだが」
前回大会が終わって現役を引退していた先輩は、戻ってくる救助ボートを見ながら話し始めた。
「トリコンは、一発勝負なんだ。どんだけ力があっても、ほんの少しのミスが命取りになる。いや、自分のミスでなくとも風や気象条件、様々なコンディションに翻弄される。それが琵琶湖の悪魔と言われるものなんだ」
現役時代の様々なフライトを思い出しているのか、先輩が遠い目をしている。
「だから、皆自分なりの最適解を見つけるために毎回毎回もがいているんだよ。今あそこに立っているフーシェだってそうだ」
プラットフォームを指さす。
今まさに、フーシェ先輩が駈けだしたとこだ。綺麗に踏み切って、真っ直ぐ飛んでいく。
そう。みんなそうやって積んできているんだ。こんなアタシがいきなり本番で飛ぶだなんて烏滸がましかったんだ。
「そうじゃない」
アタシの表情が沈んだのをみたのか、ソラノセプシー先輩はキッパリとした口調で言った。
「初めてだろうがベテランだろうが関係ない。思ったように上手く飛べないなんて、私もしょっちゅうあるよ。大事なのはそれを乗り越えて次に繋げることなんだ。私や、彼女もそうしてきた」
顔を上げた。フーシェ先輩の羽ばたきが目に映る。
「私達は鳥ほど自由には飛べない。でも、夢に向かって飛ぶことができる。私達は失敗しながら、くり返しくり返し、その夢をこえて飛ぶ鳥だ」
遠くなっていくフーシェ先輩の姿を追いながら、その言葉がアタシの心にずっと響いていた。
◆
「ノーツ」
学園に戻って数週間後。
学校の視聴覚室を出たところで青葉さんに呼び止められた。
「あ、青葉さん」
「最近トレーニングに来る時間が遅いから、前回のフライトが結構精神的にきてるんじゃないかと思って心配していたんだけど……そうじゃなさそうで安心したわ」
青葉さんは『トリ娘コンテスト 学生交流会』と書かれた入り口の貼り紙を見て、そう言った。
「はい。ソラノセプシー先輩の呼びかけで、カラダの作り方や飛び方の技術とかをみんなで持ち寄って意見交換しようってことになって。それに参加させてもらってました。少しでも多く学んで、もっと飛べるようにするために」
「いい取り組みだと思うわ。ソラノも案外面倒見がいいのね。……っと、それよりも。トレーニングに行く前にちょっと話があるんだけど、いい?」
「あ、はい。何でしょうか?」
応えながら青葉さんの視線を追うと、その先にはスーツを着たトリ娘。
アクティブガル、富士川トリ娘スカイスポーツ学園事務長。
なぜか、胸騒ぎがした。




