第5羽 風のゆくえ
「……うーん」
翌日、トレーナー室。
アタシのディスタンス部門転向の希望を聞いた青葉トレーナーは、腕を組んで天を仰いだまま固まっていた。テーブルに置かれたコーヒーからは、もう湯気も立っていない。
「あの……やっぱり、無理でしょうか」
おずおずと尋ねると、青葉さんはパッと目を見開き、アタシの顔をじっと見つめた。その鋭い眼光に射すくめられて思わず目をそらす。
「あ、やっぱりダメですよね、そうですよね……」
アタシがうつむきかけた時、彼女は深く、大きなため息をついた。
「……ダメだなんて一言も言ってないわよ」
その言葉に、弾かれたように顔を上げる。
「私は元々、アナタはディスタンス部門向きだと思ってた。初めて琵琶湖で会った時からね。腕――つまり翼長も長いし、持久力もある。誤算だったのは、編入直前に滑空部門のエントリーが通っちゃったことくらいかしら」
「あの時から、そう思ってくれていたんですか?」
驚いた。あの時のアタシは、自分が飛ぶことすら迷っていたのに。
「問題はタイミングよ。今日がエントリーの締め切りで、滑空部門は既にエントリー済み。さらに次の大会まで、3ヶ月を切っているの。今からゼロベースで羽ばたきを習得するのは並大抵のことじゃないわよ。……地獄を見る覚悟、あるかしら?」
「望むところです!」
食い気味に答えたアタシの目に、青葉さんは満足げな笑みを浮かべた。
「よろしい。なら、滑空部門のエントリーも残したまま、ディスタンスにもねじ込むわ。できる限り出場のチャンスは広げておきたいからね」
「分かりました! ……あ、でも、もし両方とも出場できることになったらどうすればいいんですか?」
思わずしてしまった素朴な疑問に、青葉さんは笑いもせずにこう言った。
「決まってるじゃない。――両方出るのよ」
◆
「アンタ、本気で言ってんの?」
夕食。学園の食堂でカレーをつつきながら、マエストロが呆れ果てた声を上げた。
「いや、凄いよね~! 2部門同時出場なんて、伝説になっちゃうよ~!」
「パル、そこじゃないわよ。……ノーツ、アンタ現実を見てるの? この私が一回出場を見送って準備したのに、本番であのザマよ? それを2ヶ月ちょっとでどうにかなるなんて思ってんの?」
マエストロの鋭い正論が胸に刺さる。けれど、アタシはカレーを食べる手を止めて、彼女の瞳を真っ直ぐに見つめ返した。
「分かってる。……でも、のんびりしてられないんだ。ソラノセプシー先輩のあのフライトを見て、何もしないなんてアタシにはできない。まずは飛ぶ。あとは落ちて怪我しないように、死ぬ気で対策するだけだよ」
アタシの熱に毒気を抜かれたのか、マエストロは引き下がってため息をついた。
「……まあ、青葉トレーナーが許可したなら、外野が言うことはないわね」
「マエストロ。……ありがとう。心配してくれて」
「ばっ……!」
マエストロは顔を真っ赤にすると、下を向いてカレーをかき込んだ。
「べっ、別に心配なんてしてないわよ! ただ部門転向の経験者として……っ!」
「お〜、ツンデレ炸裂~」
「パルは黙ってて!」
そんなやり取りに、バートライアと顔を見合わせて苦笑いする。
「みんな、自分がやりたいこと、できることを必死に模索してるんだね。凄いよ」
バートライアの言葉に、クラウドパルが身を乗り出した。
「あ、あたしにだって青葉トレーナー直伝の秘密兵器があるもん!」
「何よそれ」
「……え。え~と。む~」
パルちゃんは、言おうか言うまいか迷うように唸った後、こちらを振り向いた。
「そうだね~。ここでは秘密だから、明日、チームメイトのノーツにだけはこっそり教えてあげるよ~!」
◆
その翌日。パルちゃんに連れられて行ったのは、学園の片隅にある金庫のような頑丈な小屋だった。
「これが昨日行ってた秘密兵器なの? ……高温加圧室って書いてあるけど」
「そうだよ〜! 中はちょっと暑いけど、頑張って!」
扉を開けた瞬間、ムワッとした熱気が襲ってきた。6畳ほどの空間には計器が並び、不気味なほどの重厚感がある。
「まずはこの圧縮スーツを着てみて。……下着も全部とってね」
渡されたのは、黒いビニールのようにテカテカした全身タイツ。
かなりピチピチで苦労して身を包むと、全身を万力で締め付けられているような圧迫感に襲われた。体のラインが露わになり、なんだか無防備な気分になる。
「ここは高温高圧の負荷をかけながらトレーニングするための装置なの。あたしたちトリ娘の骨は炭素が多いから、この環境で追い込むことで体幹を鍛えつつ強くて軽い肉体に作り変えるんだって。じゃ、炉のスイッチ入れるからあとは頑張って~」
――それからの2時間は、文字通りの灼熱地獄だった。
汗が滝のように流れ、意識が朦朧とする中でプランクを続け、体幹を鍛え上げる。肺を焼くような熱い空気。締め付けられる肉体。でも、この苦しみを自分の力に変えるために、なんとか耐えるしかなかった。
「ノーツぅ、生きてる〜?」
ホッとするようないつも通りの声が、トレーニングの終了を知らせた。扉が開いて、アタシは這い出るように小屋を出る。
「……はぁ。なんとか、続けられそう。でも、このスーツ、脱げないんだけど」
「あはは! 最初はみんなそうなるんだよ。切るしかないね。身体が適応して上手くいくようになれば、するりと脱げるよ。あとは、あらかじめ体にローション塗っておくのもコツかな」
「いや、それ先に言ってよ」
「ごめんごめん」
パルちゃんが軽く謝りながらハサミでパチン、パチンとスーツを切り裂いていく。
締め付けから解き放たれた瞬間、信じられないほどの解放感が体を包んだ。
「すごい……体が、軽い!」
お礼を言うのも忘れて、あまりの体の軽さにアタシは飛び跳ねてしまう。
「いやいやいやいや、それ錯覚だからね〜。ほら、スキーブーツ脱いだときに足が軽くなったように感じるアレだよ〜」
呆れたように突っ込むクラウドパル。
「そうなのか……さすがパルちゃん、この装置のことよく知ってるね」
「そりゃね~。あ、それとノーツ」
「なに?」
「服。着ないと風邪引くよ」
「……あ」
言われて自分の体を見る。素肌に直接スーツを着て、それを切り裂いたのだ。今、私アタシは生まれたままの姿で学園の敷地に立っていた。
「きゃああああ!」
「あはははは。お約束お約束~」
夕暮れで染まる校内に、アタシたちの笑い声が響く。
こうして、青葉トレーナーによる徹底したフォーム指導と、クラウドパルの秘密兵器による肉体強化が平行して行われていった。
滑空部門向けのトレーニングは一切行わず、羽ばたき方や空中での方向制御に全振りした内容が詰め込み式で叩き込まれる。夜遅く寮に戻って泥のように眠る日々が続く中で、こういうパルとのやりとりはホッとできる貴重な時間だったのかもしれない。
そんな無茶を続けていたある日。
青葉さんに呼ばれてトレーナー室に行くと、そこにはトリコン事務局からの封筒が2通あった。
1通は小さく、もう1通は大きい。
大きい方が出場通知、小さい方が落選通知ということはこれまでの経験で知ってる。問題は、どちらの部門で出場できるかだ。
「……まずは小さい方から開けるわね」
青葉さんのハサミが動く。アタシの心臓が、喉まで跳ね上がった。
「落選は……滑空部門ね」
ということは――。
「やった……! ディスタンス部門、出場決定!」
ディスタンス部門の登録番号通知書に、自分の名前を見つけて拳を握る。
『書類選考会の結果、貴殿は合格と判定され、上記の番号で登録されました。大会出場をめざし、トレーニングに励んでください』
書かれた定型文にも身が引き締まる。ついに、目指す戦場への切符を手にしたんだ。
「おめでと〜!」
遠慮してかトレーナー室の外で様子を窺っていたクラウドパルが、ノーツの声を聞いて飛びついてきた。
「ありがとう、パルちゃん。……他のみんなは?」
抱きあって喜びをかみしめながらも、気になっていたことを聞いてみる。
「あたしとマエストロもディスタンス部門出場決定。でも、バートライアは……」
「そっか……。残念だね」
厳しい現実。自分も何度も通った道。チャンスは有限だから、出られるからにはそれを最大限に生かさないといけない。
「バートライアの分まで、アタシたちが飛ぼう」
「うん……そうだね」
◆
大会まで残り2週間。
「いい? ただ翼を上下させるだけじゃ、空気の抵抗で上手く飛べないわよ!」
グラウンドで、青葉さんの檄が飛ぶ。
「降ろす時は風を受け止め、上げる時は羽根を捻って風を逃がす。鳥やあなたたちトリ娘の羽根一枚一枚にはそうしたしなりの機能がついているわ。特に、トリ娘は体が人間並みに大きいから、本当に飛ぶためには意識的に羽根の向きを変えてさらに抵抗を減らし、効率をあげる必要があるの。慣れるまでそれを常に意識して羽ばたいて!」
前傾姿勢を維持したまま、必死に翼を動かす。
腕の筋肉が千切れそうに熱い。翼の捻りを繰り返しているので指先の感覚が麻痺し、翼が自分の一部なのか、それとも重い枷なのか分からなくなる。
「よし、そのまま! 羽ばたきながら走ってみて!」
言われるがままに全力疾走する。走りながら渾身の力で翼を振り降ろした時だった。
「――っ!」
ふわり、と。
地面を蹴る足の重みが消えた。
ほんの一瞬。距離にして、わずか数メートル。けれど、アタシは確かに自力でで重力を振り切ったんだ。
その夜。
ベッドに倒れ込んだ私に、同室のシャイニングスタァ先輩が声をかけてきた。
「あんさん、大丈夫?相当無理してるみたいやけど」
「あ、はい。毎日腕と指の筋肉がつりそうですけど、なんとか」
「そらそうや。話聞いてる限り相当詰め込んどるやないの。無茶してるんやさかい疲れて当然やわ」
アタシの顔色がそれほど悪くないことを確認して、スタァ先輩は自分のベッドに座った。
「あ、そうだ。今日ようやく初めて体が浮いたんです」
「おめでとうさん。初々しおして、ええなぁ」
「ははは……。結局浮いたのはたった1回だけでしたけど。……でも、楽しいんです。少しずつ、変わっていく自分が分かるから。大変ですけど、つらくはないんです」
天井を見つめて答えると、先輩は少し寂しげに目を細めた。
「大変だけどつらくない、なぁ。……その気持ち、ようわかる。でも、本番で飛べへんかったら意味ないんや。絶対、怪我だけはせんといてな」
「はい。……おやすみなさい、先輩」
目を閉じると、さっきグラウンドで感じた、あのふわりとした浮遊感が蘇る。
空気の層を掴み、自分の力で進む感覚。
明日には、もっと遠くへ。
来週には、もっと高く。
そして琵琶湖では、あの対岸へと続く蒼い道を。アタシは、自分が新しい翼を手に入れた確信と共に、深い、深い眠りへと落ちていった。




