第29羽 FIRE BIRD
新幹線米原駅からタクシーでトリ娘コンテストの会場に乗り付けると、アタシはすぐに人の輪に囲まれてしまった。
みんな被災地の惨状を知り、アタシが無事なのか、また大会で飛べるのかをずっと気にしてくれていたんだ。
「ノーツ! おかえり~!」
「棄権しても誰も文句は言わへんやろうに。実家流されてもうたんやろう?」
クラウドパルとシャイニングスタァ先輩が真っ先に駆けつけてくれていた。
「ノーツのユニフォームに着いてる黒い布、もしかして喪章?」
目ざとく指摘してきたのはバートライア。
「そう。青葉さんと新幹線の中で話して、着けることにしたんだ」
「誰か親しい人が亡くなったの?」
「町内の顔見知りが何人か亡くなったのもそうだけど。それよりも、被災したみんなが苦労している中でアタシがこの大会に出ることへの、ケジメみたいなもんかな」
ぐっ、と喪章ごとユニフォームを握る。
「わかりますわ」
振り向くと、輪の中からナスカ先輩とマエストロが進み出てくるところだった。
「ちょっと、ノーツ。少し顔色が悪いじゃない。寝てないんじゃないの?」
目ざとい人がここにもう一人いた。
「はは、分かる? さすがに昨日は寝れなくて」
「準備も含めての大会ですわ、ウイングノーツ」
「……ですね。いろいろと心配かけました」
「勘違いしないでよね。アンタに無理して飛ばれて倒れられたら、後味が悪くなるって言いたいの!」
「そういうことですわ。でも……貴女がその喪章を背負ってこのプラットフォームに立ってくれたこと、誇りに思います」
ナスカ先輩がそっとアタシの肩に手を置く。
マエストロもフンと鼻を鳴らしながら、アタシの背中をパンと叩いた。
ライバルたちからの、彼女たちらしい激励。
「ありがとう。こっちの事情は気にしないで、お互い全力を尽くそうね」
「当ったり前よ」
「当然ですわ」
ふと、絆という言葉が頭に浮かぶ。
ちょうどあの地震の後から、テレビやラジオのあちこちで聞くようになった言葉。
使われすぎて陳腐に思えることもあったけど、今日ほどそれを実感したことはなかった。
アタシは独りじゃない。岩沼のみんなや、ここで出会った仲間たちがいる。
そして、岩沼や東北で頑張ってる人達だって、決して独りぼっちじゃないはずなんだ。
「みんな……ありがとう! 今日は全力で飛ぼう!」
◆
『現在プラットフォーム上は、富士川トリ娘スカイスポーツ学園、ウイングノーツさんです』
『さあ、優勝2回、準優勝2回を誇る学生三強の一角、ウイングノーツの登場です! 今回は震災からの復興と言う想いを胸に飛ぶとのことです!』
実況の紹介を聞いて、改めて気を引き締める。みんなにアタシが飛ぶところを見せるんだ。
「ゲート、オープン!!」
審判員の叫びとともに、白の旗が青空に上がる。
アタシは正面の空だけを見据えた。
「いきますっ!! 3、2、1――ゴーッ!!」
気合いと共に駆け出し、プラットフォームの端を強く蹴り出す。
すぐに両腕の青白い翼が向かい風を捉えた。
バサッ! バサッ! バサッ!
『ウイングノーツ、今琵琶湖の空へとテイクオフ! 東北の風使いは、琵琶湖の風を味方につけることができるのか!?』
「風は強いけど、直進します!」
頭の中の位置把握能力で飛ぶ方向を確認する。
北西に向けて飛び出したアタシを押し戻そうとする強い向かい風。それでも、まだ風の方向が一定な分、対応できる範疇。
1キロ、2キロ。
そして、3キロメートル地点を超えた。
ここまでは順調な滑り出し。震災前の調整のおかげか、風を捉える感覚も完璧。
前方左手に見えるのは多景島。まずはあれが目標だ。
前方の風の変化を読もうと、湖面に視線を移した――その時だった。
――ドクン。
水深が深くなって、濃くなった湖水の色。
強い向かい風で波打つ湖面。
それらが、アタシの脳裏に、あの日の記憶を強制的にフラッシュバックさせた。
流されていく。
アタシの愛した岩沼の街が。神社が。商店街が。
「うっ……うぷっ……!」
猛烈な吐き気が襲いかかる。喉の奥まで酸っぱいものが競り上がってくるのを、必死に噛み殺した。
顔を上げて、水平線を見るようにする。吐き気は収まったが、頭の中に何かもやもやとした違和感があった。
『ノーツ! 右に曲がってる! 左に! 左に戻して!』
ノイズ越しにかすかに聞こえる青葉さんの声でふと気付く。
「青葉さん……方角が、分からない……っ!」
自分がどこにどの向きで飛んでいるのか分からない。さっきまで普通にあったはずの空間の感覚が無くなっている。
視界が急速に狭くなり、ただ眼下の黒い水面が、アタシを飲み込もうと迫ってくる感覚だけが肥大化していく。
「青葉さん、青葉さん!? 聞こえてる!? 指示を、アタシに指示を頂戴……っ!」
アタシは半泣きになりながら、インカムの向こうのパートナーに助けを求めた。
しかし、耳の奥に響くのはザーザーという冷たい砂嵐の音だけ。
「嘘っ……何も聞こえない……っ?!」
むなしく響くアタシの声。
原因は分からない――でも、最悪のタイミングで、インカムの無線システムが完全に沈黙していた。
『……っ! ……っ!』
青葉さんが横のボートから何か叫んでいるのは辛うじて見える。でも、その指示はアタシには届かない。
アタシは、独りきりで空に放り出されてしまったようなものだった。
方向感覚を失い、無線の指示も途絶えたアタシは、横風になった風に流されるまま、本来のコースから大きく外れていく。
やがて、目の前に陸地が見えてきた。
「岸が見えた……でも、これは対岸じゃない……!?」
さっき3キロを過ぎたばかりなのに、20キロ以上先の対岸に着くことはありえない。とすると、これは琵琶湖の東岸――彦根側で間違いない。
「戻ってる……?!」
ようやくアタシは、パニックと横風のせいで、スタート地点である彦根の方に向かってグルリと大きく逆走を始めてしまっていたことに気付いた。
遠く前方に見えるホテルレイクビュー彦根の屋根に、絶望が全身を駆け巡る。
ただでさえ不眠不休の強行軍。その上で、3キロ過ぎまで行ってから戻ってきてるのだ。
「まずい……もう半分くらいの体力をもっていかれてる……」
両足と腕の筋肉は乳酸でパンパンに腫れ上がり、肺は焼けるように熱い。
まだ折り返し地点まで行っていないというのに、アタシの体力はかなり消耗していた。
(帰って来れるのかな?……これで……)
脳裏をよぎる、敗北の二文字。
ここまで飛んだ他のトリ娘たちが強風で次々と2キロ未満で沈む中、アタシもここであの黒い水面に墜ちて、すべてを終わらせてしまうのか。
岩沼の、東北のみんなに、どんな顔をすればいい。アタシの飛ぶ戦う姿で、みんなを勇気づけるんじゃなかったのか。
何とか軌道を立て直そうと旋回する中で、ジリジリと高度が下がっていく。水面が少しずつ目の前に迫ってきていた。
また津波を思い出してしまう……!
ギュッと瞑ったまぶたの裏に浮かんだのは――泥まみれの避難所と、唐揚げ1つ。
『俺は、いや俺達みんな、お前が飛ぶところを見たいんだよ』
(笹木のおじさん……)
『たくさんの人が被害に遭った。俺たちの街も、こんなになっちまった。……だけどな、だからこそ、俺達の街のトリ娘に、琵琶湖で飛んで欲しいんだよ。みんなに、希望を見せてほしいんだよ』
(沢城のおじさん……)
目を開ける。
そうだ。アタシは何を怯えてるんだ。
あの津波は、たくさんの大切なものを奪っていった。――だけど!
「うわああああああああぁぁぁぁっっ!」
顔を跳ね上げ、頭に巣くった何かを吹き飛ばすように叫んだ。
位置がわからない? 無線が聞こえない? 体力が半分しかない?
それがどうした。
アタシのこれまでの人生、いつだって順風満帆なんかじゃなかった。
何かが、アタシの中で完全に吹っ切れた。
方向感覚なんて要らない。目で見える景色と肌で感じる風だけを信じて、力技でねじ伏せてやる。
体力が半分しかないなら、残りの半分で、世界がひっくり返るほどの出力を叩き出すまでだ!
「クソっ……フルパワーだああああぁぁぁっ!! 」
咆哮とともに、尾翼を捻り、両腕の翼を限界を超えて羽ばたかせた。
バサァァァァァッッッ!!!
水面スレスレ、わずか数十センチのところから、アタシの身体は爆発的な揚力を得て再び空へと跳ね上がる。
気付けば、前方に多景島が見えた。
「はは、やっと戻った……けど、だいぶ流されちゃったな」
空中で荒い息を吐きながら、正面の空を睨み据える。
その時だった。
ザザザッという大きなノイズ音がして、青葉さんの声がかすかに聞こえ出した。
『ノーツ! ノーツ! ウイングノーツ! 聞こえたら返事して! ノーツ!』
「聞こえてます! 青葉さん!?」
『ノーツ!? 良かった、無線が復活したのね』
何年ぶりかのような懐かしさを感じる声。そして、これまでずっと全力で叫んでいたと思われるかすれた声に、少し涙が滲む。
「ごめんね、青葉さん……ヘボトリ娘で」
『何言ってるのよ! ここからでしょ!』
青葉さんの言葉に頷いて、前を向く。
気付けば、位置感覚も戻ってきていた。現在4キロメートル付近。あれだけ大騒ぎして、振り出しに戻っただけだ。その大きな迷走で体力は限界に近い。進路も大きく流されている。
でも。アタシの心から、恐怖は一片たりとも残っていなかった。
「そうだね。アタシの人生は晴れ時々大荒れ。……イイねっ! いい人生だよ!」
『そうね、いろいろあったわね。でも、アナタが真の風使いなら、それら全てを乗りこなして魅せなさいっ!』
「はいっ!!」
そう。ここからだ。ここからなんだ。
アタシの残った体力の全て。この大空に、叩きつけてやる!!




