第28羽 飛ぶ時
筆者注※ 津波の描写があります
「……青葉さん、無事……!?」
「ええ……なんとかね。ノーツ、怪我はない!?」
土埃まみれの顔を上げる。
境内の石灯籠は砕け散って、社務所の瓦も落ちていたけれど、幸いにもアタシたちの身体も翼も、大きな怪我はなかった。
「そうだ! バァちゃん! バァちゃん!」
灯籠の石につまずかないように注意しながら走って、社務所の扉に飛びつく。地震で少しガタついたけど、なんとか開いて中に駆け込んだ。
「バァちゃん!」
「こごさいるよ」
御札や破魔矢が散乱した社務所の中で声のする方に振り向くと、ちょうどバァちゃんが机の下から這い出ようとしているところだった。
「良がった!」
「あんだこそ大丈夫かい?」
「うん、アタシは大丈夫」
「良かったわ……。でも、喜んでばかりはいられないわ。どこが震源か分からないけど、ここは沿岸だから津波に注意しないと」
携帯が繋がらないことを確認した青葉さんが立ち上がって外の境内に出た瞬間、防災無線のサイレンが鳴り響いた。
大津波警報発令。
沿岸地域の人は直ちに避難するように、防災無線がこだましながら警告を伝えている。
「急いで私の車に乗って避難するわよ! お祖母さん、ここの津波指定避難場所は?」
客間に置いてあった自分たちの荷物をまとめて持ちながら青葉さんがテキパキと動く。
「玉倉小学校だ」
「そこの道をまっすぐ西に行ったところね! お祖母さんも必要なものを持って。逃げましょう! ノーツ、お祖母さんの準備を手伝ってあげて!」
沢山の車が内陸に向かって走り出している。
玉倉小学校に着いたときには既に大勢の人が避難していて、最大10メートルの津波という情報から全員校舎の3階や屋上で待機することになった。
やがて。
黒い波がゆっくりと、そして段々速く、陸地を覆い始めるのが見えた。
「嘘……だよね……」
窓際で海側の様子を見ていたアタシは、その場に崩れ落ちそうになった。
誰か嘘だと、夢だと言って欲しかった。
目の前に広がる見慣れた街並み。
アタシたちの家と神社が。何度となく歩いた道が。いつも見ていたまわりの田んぼが、林が。その手前に流れる川までも。アタシの生まれ育った街の全てが、黒い水に飲み込まれていく。
「危ないから窓から離れて!」
黒い津波はいつの間にか、眼下の校庭にも襲いかかってきていた。校庭に停めてあった住民の車が薙ぎ倒されて流れていく。青葉さんの車もあの中にあったはずだ。
この小学校だけが黒い海の真ん中に取り残されたかのような、この世のモノとは思えない光景。アタシは涙も流せずにその場で立ち尽くすことしかできなかった。
◆
震災直後の1ヶ月は、地獄と言っても過言でないくらい酷いものだった。
ガス、水道、電気のすべてが停止。アタシたちは生存することそれ自体が最優先となり、被災した人々の片付けや避難所の手伝いに追われた。
(アタシ、もう……飛べないかもしれない)
避難所の片隅で、アタシは何度も自分の泥だらけの手を見つめていた。
バァちゃんの神社は津波の直撃を受け、定食屋『笹九』をはじめとした商店街の店舗や住宅も、みんな黒い泥水に流されてしまった。何人かは逃げ遅れたのか行方不明になっている。
こんな状況で、トリ娘コンテストなんて、空を飛ぶなんて、そんな贅沢が許されるはずがない。アタシの心からは、飛ぶ理由が完全に消え失せようとしていた。
やがて翌月。インフラが少しずつ動き始めると、アタシと青葉さんはボランティアに登録した。
交通機関が復旧したところで学園に戻るという選択肢もあったが、このまま去るわけにもいかず、最低限のトレーニングと勉強をここで続けることにしたのだ。指導員として青葉さんがいたことも許可が下りる根拠になった。青葉さんの両親は今は秋田に住んでいて今回の地震で大きな被害を受けずに済んだから、アタシの付き添いに専念できるとのことだった。
朝から夕方まではスコップを握り、岩沼や名取の被災地へ向かった。瓦礫を取り除いて、津波が残していった泥をバケツで何度も何度も掻き出す。
「御神体無事だったぞー!」
航空神社の御神体と磐座が瓦礫の下から発見されたのは、瓦礫撤去を始めたことによる久しぶりの良いニュースだった。バァちゃんのホッとした笑顔が見れて涙が出てくる。
そして夜も、毎日避難所の脇で出来る範囲での筋トレや型の練習をした。
東北地方、特に太平洋側の被害は甚大なものの、次回のトリ娘コンテスト自体は予定通り開催することになったらしい。
それでもアタシは、まだトリコンで飛ぼうという決心まではつかないでいた。
◆
「ノーツ、トリコンの大会ってもうすぐじゃなかったか?」
避難所生活を続けていたある日。泥まみれの作業着で帰ってくると、笹九店主の笹木さんが炊き出しの唐揚げをアタシの口に一つ放り込んできた。
「美味いか?」
「うん……っ、すっごく、美味しいっ!」
「だろ? ……でな。お前、今でもまだここに残ってるだろ? どうするつもりなんだろうと思ってな。予定通り大会はやるって、青葉さんから聞いたぞ」
笹木のおじさんの質問は、そのまま今のアタシの迷いだった。
「正直、まだ迷ってるんだよね。飛びたいという気持ちと、飛ぶ理由なんか無いって気持ちと」
「ノーツ。……もしお前が俺達に遠慮して飛べないって言うなら、気にしないでくれ。俺は、いや俺達みんな、お前が飛ぶところを見たいんだよ」
「笹木のおじさん……」
でも、同じ町内の人が何人も亡くなった。岩沼市全部、そして宮城、東北を見れば沢山の人が亡くなっている。そして、アタシたちのように、避難所で不自由な生活をしている人はその何十倍だっているんだ。
そんな中で、アタシがトリコンに出て本当にいいのだろうか。
「そうだぞ、ノーツ」
黙り込んでいると、隣で豚汁を作っていた沢城のおじさんも話に乗ってきた。
「オメェの思ってることは分かるぞ。たくさんの人が被害に遭った。俺たちの街も、こんなになっちまった。……だけどな、だからこそ、俺達の街のトリ娘に、琵琶湖で飛んで欲しいんだよ。みんなに、希望を見せてほしいんだよ」
「沢城のおじさん……」
「なぁに、マサさん――お祖母さんのことなら心配するな。俺たちがここにいるから。オメェは、オメェしかできないことをやってくれ」
沢城のおじさんがドンっと自分の胸を叩くと、笹木のおじさんも大きく頷いた。
その言葉が、アタシの胸の奥底で眠っていた熱い塊を――飛ぶ理由を揺り起こしてくれたのだった。
「……っ。ありがとう……」
そして、出発の日の朝。
青葉さんの元には、岩沼や宮城県の人達からの応援メッセージがたくさん届けられていた。話を聞きつけた「こんばんTV」のディレクターが中心になって集めてくれたものらしい。
子供から、ご老人まで。紙にいろいろなペンで、筆で、思い思いのメッセージが書いてあった。もしかしたら、以前直接琵琶湖に応援に来てくれたあの子のメッセージもあったのかもしれない。
アタシをテレビで観て知ってくれた、アタシの知らない人達がこんなに沢山いて。
応援してくれている。
アタシに願いを乗せてくれている。
その事実を目の前で見せつけられて、アタシは嬉しさで涙がこぼれた。
「青葉さん、アタシ……やるよ」
アタシの中に、かつてないほどの激しい炎が宿ったのが分かる。
「被災したアタシが飛んでもいいのかって悩んでた。――でも、生かされた。翼もある。なら、出ないわけにはいかない! 岩沼、いや東北のトリ娘として、今アタシができる最高のフライトを、琵琶湖で見せてやるんだ!」
すでに、大会の前々日。
最低限のトレーニングしかこなせなかった身体と翼を抱えて、アタシと青葉さんは仙台発の新幹線に飛び乗ったのだった。




