第22羽 Over Drive
宮城県岩沼市。
航空神社前の駐車場には、朝から人だかりが出来ていた。
「じゃあ行ってきます、バァちゃん! みんなもお見送りありがとう。元気でね!」
「頑張らいん、ノーツ」
「おう、頑張れよ! ノーツ!」
「テレビ中継見で応援するよ!」
「まだ美味しい料理食わせでけっからな!」
「おじさんも天ぷらありがとう! 美味しかった!」
トリ娘コンテストで初優勝したアタシは、休みと合宿を兼ねて地元の岩沼に戻ってきていた。
いわゆる、凱旋ってやつだ。
近くにフライト練習の出来る角田飛行場があるのも、合宿には好都合だった。
もっとも、そこで練習していたら「こんばんTV」の取材と優勝記念のインタビューがついてきたのだけど。「有名税」というクラウドパルの言葉が頭に浮かぶ。
「青葉さんも。ノーツをよろしくお願いします」
「お祖母さん、お任せください。こちらこそ沢山のお土産をいただいてしまって……」
これから一緒に帰る青葉さんの車のトランクは、大量のお土産で埋まってしまっていた。学園に戻って荷物を整理したらすぐ大会に向かうと伝えていたので、お土産は日持ちの良いものを選んでくれている。
「また来るね!」
名残惜しいけど、琵琶湖がディフェンディングチャンピオンになったアタシを待っていた。
みんなの応援を力にして、今回こそはプラットフォームまで戻ってくるんだ。
◆
「――そう簡単にはいきそうもないか」
はためく大会旗を見上げて、アタシは溜息をついた。
『今大会も風が荒れ狂っています! ここまで挑んだ3人とも50メートルの壁を越えられていません! 』
実況の絶叫もかき消されそうな風。
そして、その風の中プラットフォームに立っているのは、ナスカ先輩。
『さあ、次は『女王』ナスカ選手! 琵琶湖の女王はこの風を乗り越えて帰ってこれるのか!?』
そう、彼女がどう飛ぶのか。それをよく見て、自分たちのフライトに活かさないといけないのだ。
桟橋前で出番を待っているアタシとマエストロは固唾を吞んだ。
「この程度の風、ねじ伏せなくて何が女王ですか! ――3、2、1、スタート!」
先輩が、気高い叫びと共にプラットフォームを蹴る。
真っ直ぐに、順調に見える滑り出し。
……だけど、今日の琵琶湖は甘くなかった。
刻々と変わる風向きに流されて、ナスカ先輩は右に左にと大きく蛇行し始めていた。
「はぁっ……はぁっ……はぁっ……」
おそらく向かい風。1キロくらいしか進んでいないのにもう声に疲労の色が出ている。
「なんなんですの、この風はっ! 重いっ!」
――次の瞬間。
左斜め下からの突き上げるような突風が彼女を襲った。一気に身体が傾く。
「曲がらな……キャアアアァァァーッ」
バッシャーン
そのまま、ナスカ先輩は横に薙ぎ倒されるように水面に叩きつけられた。
『なんてことだー! こんな女王の姿は見たことがない!』
アタシも、マエストロも目を見開いて言葉が出ない。
『只今の、スカイスポーツ学園、ナスカさんの記録は、――1390メートル40でした』
アナウンスの後の観客の反応も戸惑いまじりでバラバラだ。
「……さあっ! そろそろ私の出番ね!」
重い雰囲気を振り払うように大きな声を上げたのは、傍らの友。
「前大会の骨折。治ったって聞いたけど、ホントに大丈夫なの? マエストロ」
アタシも何か声を出したくて、思わず聞かなくてもわかることを聞いてしまった。
「例の高温加圧トレーニングと併用して強化しつつ治したから大丈夫よ」
それより自分の心配をしたら、と彼女は颯爽とプラットフォームを登っていく。
でも、その振る舞いとは裏腹に表情が固いのを、アタシは見逃さなかった。
前回は、飛行禁止区域である地上に落ちてしまったため失格だったのだ。汚名挽回のためにも彼女の中で期するものはあるはずだった。
『現在プラットフォーム上は、富士川スカイスポーツ学園、マエストロさんです』
『さあ、学生三強のもう一角が登場です。誰も満足に飛べてない中でどんなフライトを見せてくれるのか!』
何かを期待している実況を鼻で吹き飛ばしてから、彼女はプラットフォームを飛び出した。
ゆっくりと、真っ直ぐに進んでいくマエストロ。
『今1キロ通過! 先ほどナスカ選手が迷走した場所を、優雅に優雅に進んでいきます!』
実況はそう言うが、アタシにはとても優雅に見えなかった。尾翼が細かく動き、身体も細かく激しく揺れたり傾いたりを繰り返している。風と闘っている証拠だ。
「風が思ってたよりひどい! 一度下がったら浮上できないじゃない!」
インカムに向けて叫ぶマエストロ。
それでも、体幹で無理やり機体を水平に保ち、翼で荒れ狂う大気を切り裂いていく。
『マエストロ選手、3キロメートルを突破!』
その鬼気迫るフライトを見ているうちに、アタシは身震いするのを抑えられなかった。
アタシとはまた違う、風の乗り越え方。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ、はぁっ、翼が……重い……」
段々高度が下がっていっても、湖面ギリギリで粘る彼女。
それでも、やがて力尽きたかのように頭から湖面に吸い込まれていったのだった。
『只今の、スカイスポーツ学園、マエストロさんの記録は、――3998メートル51でした』
泣き崩れるマエストロ。行雲トレーナーと抱き合う姿が映るモニターを背にして、アタシはプラットフォームへと足を向けた。
前回の失格に続いて満足のいくフライトが出来なかった悔しさは、アタシも身にしみてわかる。
前々回、みんなが上手く飛んでいる中で向かい風に翻弄されて飛べなかった自分がそうだったから。
『現在、プラットフォーム上は、富士川スカイスポーツ学園、ウイングノーツさんです』
そして今日の風向きは、前々回大会と同じ強い向かい風。
『さあ最終滑走、ディフェンディングチャンピオンのウイングノーツ! マエストロ選手を超えて2連覇なるか!』
「ゲート、オープン!」
白旗が上るのを見て、身体の中の何かが滾る。
そう、アタシは、アタシを乗り越える! 同じ失敗は繰り返さない!
「行きます……っ! 3、2、1――ゴーッ!!」
駆け出して、向かい風で浮かないように少し斜め下にダイブする感じで踏み切った。
スピードに乗ったところで、水平飛行に移ろうと、少し尾翼を動かす。
「ぐ?! ああああぁぁぁっ!」
その直後、突如として両方の翼に痛みが走った。まるで上の方にねじ切られそうな強い力。いや、本当にねじ切られる……?
『ノーツ! スピード落として!』
青葉さんからの切迫したインカムが入る。
『向かい風で相対スピードが出過ぎて翼にねじれが起きてる! このままでは翼が折れてしまうわ! スピード落として!』
「は、はいっ!」
すぐに羽ばたきのピッチをおとした。失速しない程度に羽ばたきながら、尾翼の向きを微調整して水平飛行を保ち続ける。
痛みを我慢して脂汗が流れるが、それも少しずつ落ち着いてきた。
『よーし! 立て直した! 少し流されちゃってもいいから、無理して風に逆らわないで!』
「了解!」
青葉さんからのインカムで少しホッとする。あとは、いつも通りの自分の勝負だ。
風の渦は前回よりも複雑にアタシに襲いかかってくる。正面かと思えば、次の瞬間には真横に変わる。少しジンジンと痺れる腕が気にはなるが、風読みと身体の制御に気持ちを集中させた。
『さあ、前回チャンピオンウイングノーツ選手がマエストロ選手を猛追している! 今、3キロを通過!』
「あと1キロで1位!」
羽ばたく翼にも気合が戻る。
それでも、時折襲いかかる強烈な横風によって、アタシはジリジリと左に流されていた。
『少しずつ、少しずつでいいから修正して!』
「はいっ」
(流れに逆らわず……でも方向には修正をかけて……っ! もっと、もっと強く羽ばたけば……っ!)
自分に言い聞かせて翼を躍動させる。
真っ直ぐ飛ぶのではなく、風をいなしながら斜めに飛ぶ。フッと身体が風に乗って進んでいる感覚を感じた、 その瞬間だった。
――バツンッ!!!
アタシの右腕のあたりで、何かが激しく弾け飛ぶような、不穏で鋭い音がした。
「え――」
驚いて、右を見る。
アタシの翼が。
アタシの腕が。
スローモーションのようにゆっくりと。
肩の付け根から背中に向かって不自然に折れ曲がっていくのが見える。
「うああああああああぁぁぁぁぁぁァァァッ!」
翼が折れたと頭で理解した直後、右腕の付け根に真っ赤に焼けた鉄の棒を突き刺されたかのような、凄まじい激痛が走った。
咄嗟に左手で右肩を押さえる。
もう、羽ばたいている場合じゃない。
右肩を抱えたまま、アタシは真っ逆さまに琵琶湖に落ちていった。
◆
クラウドパルに後で聞いたところでは、観客席が絶叫した後しばらくはお通夜のように静まりかえったらしい。
無理もない。
順調に飛んでいたように見えた優勝候補が、突然翼が折れて真っ逆さまに落ちたのだから。
『しょ、衝撃的な結末でしたが、勝負の行方は! 果たしてどちらが勝ったのか?!』
呆然とした実況が、気を取り直して勝負の結果発表を促す。
『只今の、富士川スカイスポーツ学園、ウイングノーツさんの記録は――』
救助ボートの上で応急処置と痛み止めをしたアタシは、両腕を動かせずにじっと発表を待つことしかできなかった。
『――3672メートル31でした』
……あと300メートル、足りなかった。
いや、それ以前に、自分自身がまだまだ足りてなかったということなんだ。
拭えない涙を流しながら、このまま落ちたままではいられないと琵琶湖の空に誓うのだった。




