第20羽 風になる
トンッ。
置いた昼食のトレーの中身を見て、同じテーブルのみんながギョッとしたのが分かった。
「え? それ、ノーツのお昼?」
「そうだよ」
聞いてきたバートライアをはじめ、他の3人の前にはS定食のハンバーグが置かれている。
一方でアタシのは。
「え、だって、ササミの蒸し鶏と、納豆と卵しかないじゃん」
「うん」
「うんっ、て。悔しいのは分かるけどアンタ何考えてるの?」
さすがのマエストロも呆れてる。
「もちろん、ずっとこれだけの食事でいるつもりは無いよ。でも根本から自分の理想の飛び方を見直すためにも、もう少し絞りたいんだ。これはその決意というか気合というか」
「朝と夜はそれなりに食べてるのね?」
「うん。完全に炭水化物抜きだと、かえって筋肉が分解されちゃうからね」
お母さんみたいな心配をするバートライアに微笑み返す。
「ま、他人のトレーニング方針にとやかく言うつもりはないけど」
言いながら殊更にハンバーグを大きく切り取って頬張るマエストロ。
「どんな風が来ようとも安定して飛べるだけの力は、どのみちつけないとね」
目の奥の輝きを見る限り、彼女も何か考えているところはあるらしい。
そして、その力こそ、これから私が身につけたいものだったんだ。
◆
その週末、アタシと青葉さんは彦根港のボート桟橋にいた。青葉さんは、モーターボートの舳先に立って何かゴソゴソしている。
「ノーツ。初めて3位になったときだったかな、1キロほどうまく強風にのって飛べてたのを覚えてる?」
「あ、はい。あのときはなんとなく風の変わり目が分かって、体や翼の向きとかをタイミングよく合わせられたんだと思ってます」
「それよ」
青葉さんはアタシの回答に満足げに頷いた。
「そのなんとなくを、確実な技術として身につけるのよ。まずは事前のデータと前日の予報から当日の琵琶湖全体の風の流れを予測する」
指さされたボートの床には、琵琶湖の地図とそれにびっしり書き込まれた時間ごとの風向き予測が散らばっていた。
「この分析は私の役目ね。それによってフライトプランを立てて、アナタはそれを頭に入れて本番に臨む」
「はい」
「そしてここからがアナタの仕事。風の傾向はデータで分かるけど、それが実際にいつどうなるのかはその場で分からないといけない。臨機応変に対応するには観察力と判断力が重要よ」
青葉はボートの舳先に括り付けられた台を指さす。
「この合宿ではあれに乗って、風を読む特訓をするわ。水着は着てきたわね? じゃ、早速始めるわよ」
まだ冷気を含んだ夜明けの琵琶湖に、一艘のボートが滑り出す。
アタシは水着の上に薄いラッシュガードを羽織っただけの姿で、ボートの船首に立って吹き付ける風を全身に浴びていた。
「ノーツ! 今からアナタの巡航速度に追わせてボートを走らせるわよ! 前方の湖面の波の立ち方、空気の湿度の変化、五感の全てで進む先の風がどうなっているのか、どうなるのかを読み取るのよ!」
冷たい飛沫が顔を叩く。アタシは極限まで集中力を高め、薄明の湖面を見つめた。
あそこだ。
わずかに水面の色の変わり目がある。
ボートがそこを通過しようとした直前、風の向きがガラッと変わった。予想より早い変化に、備えていた体がぐらつく。
「くっ……!」
「遅い! あなたは湖面よりも上空にいるんだから、風の境が波の境よりもずれてることも考えて!」
「は、はい!」
何度も、何度も、湖の上を行き来する。
太陽が昇り、昼が過ぎても、想定往復コースをなぞってアタシの風読みクルーズは続いた。
(――あ)
視線の先、きらきらと光る湖面の一角。他とは明らかに違う、細かな漣のパターン。
ボートがそこに達する3秒前、アタシの首筋の産毛が、ゾクッと直感的に逆立った。
――来る。右からの、強い突風。
「斜めに……!」
無意識に、身体が右前方へと沈み込む。
その直後、ボートを激しく揺さぶる突風が吹き抜けた。しかし、あらかじめ身構えていたアタシはその衝撃をいなすことができたのだ。
「今、の……!」
「今の感じ! 今、風を読んで反応できたわね!」
頷いて再び前を向く。
そうだ。風の力に負けて流されるのでも、真っ向からぶつかるのでもなく。風の動きを読んで、それに滑り込むように体と翼を傾けシンクロさせる。
それはまるで、目に見えない空気の波を乗りこなすサーフィンのような感覚だった。
◆
一泊二日の合宿を終えてアタシたちが琵琶湖から学園に帰ってくると、日曜日なのにグラウンドに人陰が見えた。
「あれ、希望じゃない」
青葉さんも春風さんが来ることは知らなかったようで、首をかしげながらグラウンドに歩いて行く。春風さんもこちらに気付いたようでお辞儀をした。
「お疲れさま。何を――」
しているの、と青葉さんが聞こうとした言葉は、クラウドパルの元気な大声でかき消された。
「あ! ノーツ! 青葉さん!! 見て見て!」
グラウンドで走っていたのはクラウドパルだったのだ。走ってコチラに向かってくる。
「春風さんのおかげでついに完成したの!」
そういって、パルちゃんはアタシたちにクルッと背中を向けた。
その腰には、テカテカと光る尾翼がついている。
「これって……」
「義足ならぬ『義翼』です。パルちゃんのイメージと体型、目指す飛び方に合うように私が設計と製作をしました」
「両手に持ってるコントローラで動かせるんだよ~!」
春風さんとパルちゃんが代わる代わるする説明に圧倒されてしまったが、要約するとこうだ。
そもそもの飛び方の感覚を身につけるためには、いきなり無尾翼でのフライトは無謀だと言うことで、人工的に尾翼をつけて補助して飛ぶ感覚を掴むことにしたんだそうだ。
幸い、トリコンのレギュレーションでも推進力の補助でなければ機械をつけるのはOKらしい。それで、この手の医工学を専攻していた春風さんに担当としての白羽の矢が立ったとのことだった。
「で、春風さんから義翼が完成したって連絡が来たからいてもたってもいられなくて学園に来た、と」
「そう! これであたしも次回はトリコンに挑戦できるよ~!」
無邪気に喜ぶパルちゃん。なんだかんだ言っても、編入してからずっと隣にいた彼女と再び一緒に挑戦できるようになったのは、アタシとしても嬉しかった。
彼女と手を取り合って喜んでいると、春風さんから声がかかった。渡されたのは、アタシのような形をした人形とラジコンのようなリモコン。
「え、これ何ですか? アタシに?」
「ちょうど持ってきていて良かったです。青葉さんに頼まれた、ラジコントリ娘になります」
「「ラジコントリ娘?!」」
驚いて青葉さんを振り向くと、彼女はニヤッと笑った。
「本当にありがとう希望! これがアナタのこれからの休日トレーニングよ、ノーツ」
「トレーニング?」
「これはドローンやラジコン飛行機のように空を飛ぶのよ。造りはトリ娘と同じ。ノーツには、コレをいろんな条件で飛ばして、どうすれば風に乗れるのかをラジコンで操作しながら感覚を掴んでほしいの」
「あ! 風を読んだ後の対応!」
「その通り! 今のアナタに足りないのは実際に飛ぶ練習量、いろんな条件で飛んだ経験だってのが前回露呈してしまったわ。だから、平日は大雨でも無い限り滑走路でのフライト練習を行い、休日もラジコンで風に乗る感覚を鍛えるの。大会も数日前に会場入りして風読みの調整。――次の大会に成果を出すにはそれしか無いわ。覚悟はいい?」
「はい! やります!」
――日本一の成果を出すためには、日本一努力するのよ!
その時のアタシの頭には、なぜかあの日のアクティブガル先輩の言葉が響いていた。




