第19羽 月並みに輝け
『只今、プラットフォーム上は、富士川トリ娘スカイスポーツ学園、ウイングノーツさんです』
アタシは、アナウンスを受けてスタート位置に進んだ。
『琵琶湖が狭くなったトリ娘のために折り返しルール導入!』
『折り返し地点のブイを旋回してプラットフォームに戻ってくれば最長36キロメートル!』
『琵琶湖往復コースを制するのは誰だ!』
大々的なキャッチフレーズで折り返し飛行の新ルールが導入された新・トリ娘コンテストの第1回目――前回大会は、文字通り嵐の幕開けとなった。
台風の影響による強風でほとんどのトリ娘がまともに飛ぶことが出来ず、大会途中でノーコンテスト、つまり中止となったのだ。
強風に煽られるまま、アタシはその場で旋回するように回転して落ちて、記録134メートル47。
マエストロも、まともに羽ばたくことができずに着水して218メートル67。
ナスカ先輩に至っては最終滑走だったので飛ぶことすら出来なかった。
今回こそ飛びたい! そして史上初の折り返しを決める!
みんなそんな想いで2回目の今大会に臨んでいるのがヒシヒシと伝わってくる。
既にアタシより先のフライト順だったマエストロは、折り返し地点まではいかないまでも12キロ以上を飛んで暫定1位となっていた。
少なくともそこまでは飛ばないと。
『さあ、ウイングノーツ選手です。前々回大会は琵琶湖対岸まで到達したという強豪の登場になります』
『実力は十分にありますからね。史上初の折り返しに成功して戻ってくることも可能では無いでしょうか?』
そう。ナスカ先輩が後ろにいる今、アタシが最初にそれを成し遂げるんだ。
「いいですか? ゲート、オープン!」
審判員の白旗が上がる。
頷いて翼を広げた。
「行きます!――3、2、1、ゴー!」
かけ声と共に駆け出す。いつものように風を受けて揚力を得て、プラットフォームを思いっきり蹴った。
……蹴った。はずだった。
蹴ったときのプラットフォームの手応えが弱い。
ブワッと、胸のあたりを厚い空気の塊が押して体がフワフワと浮き上がっていた。
「高いっ!……どうすれば……っ!」
強い向かい風が翼と体の下に潜り込み、アタシをぐんぐんと上空へ押し上げていく。
地上でのテストフライトでは、これほど強い向かい風の中での高度上昇は想定していなかった。
「青葉さんっ!」
呼びかけたけど、反応が無い。ボートが出たばかりでまだ無線をつなげていないのかもしれない。
必死に尾翼を動かし、体重を前方にかける。
スッと体が下に進むが、スピードが乗った瞬間再びフワッと上に浮いてしまった。
下がって、進む。上がる。下がって、進む。また上がる。
強い向かい風を受けて波のようにうねうねしてなかなか真っ直ぐ進まないことに、イライラと焦りが募ってきた。
湖面は下に遙か遠い。
スピードを上げるとまた上昇してしまうので羽ばたきも緩めている。いっそのこと、思いっきり下向きにダイブして一気に立て直そうか。
そう考えた瞬間。
「あ――」
翼の周りの空気の力が、ふっと抜けるような感覚。完全に風を捉えきれなくなった。
この感覚は覚えている。
失速だ。体が傾き始める。
「まだまだぁぁぁぁっ!」
そのまま向かい風に煽られて落ちていくのを、必死の羽ばたきと翼の動きで持ちこたえようとした。
いくらなんでも、このまま落ちるのはイヤだ。
左に流されながらも、なんとか水面ギリギリで体を引き起こした。
『よし!』
無線がつながって青葉さんの声が聞こえたことにホッとする。
このまま低空で飛びきろうと前を向いたとき。これまで向かい風だった強風が右から襲ってきた。
「あっ!」
右翼が持ち上げられたと思ったときには、もう遅かった。水面ギリギリだったアタシの体は、何も出来ないまま左翼から湖水に沈むことになったのだった。
……水面に浮かぶ。
プラットフォームが右手に近く見える。対岸はおろか、折り返しのブイすら遥か彼方。
『只今の、ウイングノーツさんの記録は、140メートル10でした』
公式アカウントが、なすすべも無く落ちたアタシの耳に、冷たく響いた。
◆
『さあ、ナスカ選手! 18キロ地点の竹生島を横目に見て、これから旋回を開始するぞ!』
興奮している実況。
選手待機所にあるモニターに、ナスカ先輩が島の周りを大きく左回りに回っているのが映っている。
果たして、無事に旋回することができるのか?
大会史上初の折り返し飛行に挑むナスカ先輩に、会場の誰もが注目していた。
ナスカ先輩が長い距離を飛んだ後でも旋回できることは、前々回大会の琵琶湖大橋で証明済だ。問題なく回ってこられるだろう。
アタシは、選手待機所の片隅にうずくまった。
「……なにやってんだ、アタシ」
本当は今ナスカ先輩が受けている歓声を、アタシも受けているはずだった。周りの人たちが「ウイングノーツなら、18キロの折り返しなんてあっさり決めてくれるはずだ」と言ってたし、その期待も大きかった。
会場に詰めかけた大勢のファン、クラウドパルやマエストロ、他の仲間やライバルたち、岩沼のばぁちゃんやみんな、そして誰よりもここまでアタシを強くしてくれた青葉さん。
その全員の期待を、情けない形で裏切ってしまった。
自分の不甲斐なさが、慢心が、焦りが、すべてが情けなくて仕方がなかった。
………。
……どのくらい、そうしていただろうか。
「ここにいたのですか」
聞き覚えのある声に顔を上げる。
「ナスカ、先輩……」
「お嬢様、表彰台の方に向かわないと」
「分かってるわ。ちょっと待って頂戴」
日比トレーナーを振り切って、ナスカ先輩はうずくまるアタシの前に立った。
「ウイングノーツ。貴女は何者ですか」
何者、とは。
「私は何回もの大会で優勝して女王の二つ名を持つに至った生徒会長。さらに先日、FSIの記録飛行で、お母様とソラノ先輩を超えて日本記録保持者になりましたわ」
まさか。
見上げてこちらを射下ろすような目線と向き合う。
「そして、今回も折り返しを成功させて、大会中止を挟んで二連覇も達成しました」
「……っ」
「それに比べて、貴女は何者ですか? たった一回、対岸へ届いたからと満足して、たった一回、風を読み違えて水面に叩きつけられたくらいで、そんなところで惨めにうずくまっている。――笑わせないで頂戴」
先輩の言葉は、冷徹なナイフのようにアタシの胸に突き刺さった。
「お嬢様!」
言い咎めようとした執事は手で制された。
「悔しいですか。絶望しましたか。ならば、そのままそこで濡れネズミのように泣いていなさい。それで自分を諦めるというのなら、それまでの器だったということですわ」
そこまで言い切ったところで、ナスカ先輩が背を向ける。
その背中を見つめながら、アタシの頭の中は、真っ白な熱さに満たされていた。
――そうだ。
アタシは、何を勘違いしていたんだ。
一回対岸に行けたからって。
あの子に「もっと先へ行く」って約束したからって。
まるで自分がもう、一人前のトップトリ娘になったような気でいたんじゃないのか。
ナスカ先輩やマエストロが見ている世界は、ここじゃない。もっと、ずっと遠くだ。
失敗した? 墜ちた?
当たり前じゃないか。実力も経験も十分にないアタシが、あの人たちと同じ空を飛ぼうとしたんだから。
「……待って、ください」
喉の奥から、乾いた声が出た。
うずくまっていた両足に力を込める。
「アタシは……まだ、何者でもありません」
一歩、前に踏み出す。
「だから、ここで終わるつもりもありません。何度だって、飛んでみせます。少しずつでも……みんなが求める自分になるために。そして、先輩を、先輩の記録を超えてみせます」
「期待せずに待ってますわ。……さて! 急がないと表彰式に間に合いませんわよ!」
結局、ナスカ先輩はアタシを振り返らずに表彰式に走って行ってしまった。でも、最後の言葉はなぜか声が大きくて、どこか嬉しそうに聞こえた。
横を向くと、ちょうど今来たらしい青葉さんの姿があった。
「先に言いたいこと言われちゃったわね」
真っ赤な目をして、そう言った。殴り書きのノートパッドを何枚も抱えている。
気持ちは同じだ。目を合わせて大きく頷く。
――このままじゃ、絶対に終わらせない。




