第15羽 Revolution
トリ娘の朝は早い。
夜が開けきらないうちに準備を始め、明るくなってきたところでフライトを始める。
早朝独特の、痛いほど澄んだ空気。この静寂が、アタシはとても好きだった。
飛行練習が早朝に行われるのは、日中に滑走路やグラウンドが塞がるという事情もあるが、何よりも朝一番が最も風が安定しているからだ。
飛行フォームの確認や新しく取り入れたことの効果検証など、再現性が欲しい場合は特に重要。そして、それはまさに特訓中のアタシに当てはまった。
「OKそこまで! ゆっくり降りてきて!この前みたいに転ばないでよ!」
「はいっ!」
翼を横に水平に伸ばし、滑空の体制で減速しながら足を下ろす。
ガッ、とスパイクが地面を捉えた。
すぐにトッ、トッ、トッ、トッとステップを踏むように前方へ跳ね、勢いを殺していく。バランスを取るために翼は真っ直ぐ横に伸ばしたまま。目は数歩先の地面から離さないように。
「はい! お疲れ様ー!」
グラウンドの端で止まったところで、青葉さんがビデオカメラを持ってやってきた。
その隣にはいつの間にかクラウドパルと見慣れない女性がいて、一緒に歩いてきている。
ふわっとしたボブカットの髪に大きめのメガネをかけた小柄な女性で、黒髪ロングで凜とした雰囲気の青葉さんと並ぶと対照的だ。目が合うと、彼女は小さく微笑んだ。
「大分カタチになってきたわね。本人も見てみる?」
青葉さんが液晶モニタをこちらに向ける。
再生された動画の中、羽ばたくアタシの身体は、頭の先から爪先まで、綺麗に地面と真っ直ぐ平行に伸びていた。羽ばたいてもブレずに姿勢を保っている。
思っていたよりもうまく出来ていてアタシは一人で頷いた。
「あら? ウイングノーツさんの飛び方はアップライトではなかったですか?」
パルちゃんと一緒にアタシの後ろからモニタを覗き込んでいた女性が、メガネを押し上げながら不思議そうに尋ねる。
「さすがに気付いたわね」
青葉さんが振りかえってニヤッと笑った。
そう。今アタシと青葉さんが変えようとしているのは根本の飛び方――飛行スタイル――なのだ。
これまでのアタシや、現大会記録保持者ソラノセプシー先輩、パワー型のバートライアなどが採用している『アップライト』は、上半身を斜めに立てて肩の上下運動で羽ばたくオーソドックスなスタイル。力を込めやすい反面、進行方向に対して胴体が正面を向くため、空気抵抗もあり、横風を受ける面積も広くなってしまう。
「この時期にリカンベントに変更するのは、やはり前回の風の影響ですか?」
『リカンベント』――それは『横になる』という英語の意味そのままに、地面に対して体を横に水平にして最小限の空気抵抗で進むスタイル。
その代わり、羽ばたきの方向が体にとって上下から前後になるので使う筋肉や力の入り方が違う。何より、空中を時速数十キロで突き進みながら、頭を前にして寝た姿勢を維持するには、鋼鉄のような体幹の筋力が必要となる。
「ご明察。これまでも仕込みはしていたんだけど、前回大会の後にノーツ本人から提案があったのよ。それで、次の大会に間に合わせるために急いで調整中ってワケ。3位に入って、幸か不幸か次の出場がもうほぼ決まっているからね」
「でも、スタイルを変えたばかりにしては姿勢が安定していて綺麗ですよ。体幹が鍛えられている証拠ですね。素晴らしいです」
「でしょ? 軽くて、強くて、絶対に折れない。それがうちのノーツの強みよ。ディスタンス初出場の時なんか、あれだけ真っ逆さまに湖面に叩きつけられて、骨一本折らなかったんだから」
アタシとしてはあまり思い出したくない記憶でもあるが、青葉さんの自慢げな言葉が嬉しくも気恥ずかしい。なんか黙ってもいられないので、初対面となる女性に挨拶することにした。
「あの、初めまして。改めまして、ウイングノーツといいます。体幹については、青葉さんやパルちゃんに教えてもらった高温加圧トレーニングのおかげです」
「あ、ご挨拶が遅れてすみません! 私、春風希望と申します。この度、新人トレーナーとしてこちらの学園に赴任いたしました」
ペコペコと恐縮したように頭を下げる春風トレーナー。
「春風さんのことは午後に紹介するつもりだったんだけどね。本人が朝練を見たいって言うから来てもらったの。……実は」
青葉さんが急に真剣な目になり、一歩後ろに下がっていたクラウドパルへと視線を移した。
「彼女をこのタイミングでうちのチームに呼んだのには理由があるの。――パルちゃん専任のトレーナーとしてね」
パルちゃんは、いつもの脳天気な笑顔を封印して静かに頷いた。
◆
「そういうワケで」
昼食時の富士川河川敷。とりあえずまだ秘密の話だからと、クラウドパルがサンドイッチを持ってアタシを連れて来た先がここだった。
「私はまだこのチームにはいるけど、青葉さんはノーツ専属になるの。そして私は春風さんとペアを組んでイチから……ううん、ゼロからやり直すことにしたんだ」
「……したんだ、って。それ、パルちゃんの希望だったの?」
アタシの問いかけに、パルちゃんは答える代わりに、河川敷の滑走路を見つめた。昼休みを返上して、ダッシュを繰り返している他チームの生徒たちの姿が見える。
「ノーツも、マエストロも、みんなすごいところへ飛び始めちゃった。前回はバートライアも。あたしだけが、いつまでもプラットフォームのスタートラインに立つことすらできなくて。……正直に言うね。すっごく、悔しかったんだ」
パルちゃんの小さな拳が、制服のスカートをぎゅっと握りしめる。いつも屈託のない笑顔でみんなを応援していた友の、初めて見る剥き出しの感情だった。
「でもね、そのおかげで完全に吹っ切れたの。3人の背中を追いかけるために、みんなと同じ練習をして、みんなと同じ真似をしてちゃ、一生追いつけないって。あたしには、あたしのための、全く違う飛び方が必要なんだって気付いたの」
アタシを振り向いたパルちゃんの瞳は、驚くほど真っ直ぐで、澄み切っていた。
「春風さんは、あたしの突拍子もないアイデアを面白いって言ってくれた。でもね、あたしのやりたいことには、すごく時間がかかるの。……だから、次の大会からしばらくの間は出ないことにしたんだ。エントリーそのものを辞退する」
「えっ――!?」
思わず立ち上がろうとしたところを、パルちゃんの手が止めた。そしてそのままアタシの手を取って、両手で優しく強く包み込んでくる。
「だから、それまで。『チーム東北』のエースは任せたよ!」
いつもの笑顔で。
「大丈夫~、すぐに追いつくから。たぶん」
ニカッとおどけるパルちゃんに、アタシは我慢できずに抱きついた。華奢な体をぎゅっと抱きしめる。
「大袈裟だよ~ノーツぅ~」
「ううん。アタシ、頑張る。このリカンベントスタイルをモノにして、パルちゃんの分まで飛んでみせる」
「うんうん。湖岸から応援してるからね。ありがとう」
抱きしめ返してきたパルちゃんの小さい手が、ポンポン、とアタシの背中を優しく叩く。
その優しい力は、間違いなくアタシにとっての最強の原動力になったのだった。
◆
そして迎えたトリ娘コンテスト・ディスタンス部門の朝。
「少しでも風に対応できるようにと飛行スタイルを変えた矢先にコレだもんね」
青葉がプラットフォームの上をみて溜息をついた。
昨日の滑空部門では、風が強く吹いて大荒れの展開。だからこそ、昨晩は青葉さんと強風対策の飛行プランを夜遅くまで入念に練っていた。
なのに、今朝の琵琶湖は――不気味なほどに静まり返っていた。湖面はまるで一枚の巨大な鏡のように滑らかで、波一つ立点てていない。完全なる無風。
「ま、まあ! 羽ばたくディスタンス部門としては、無風の方が余計な外乱がなくて飛びやすいですし! アタシにとっては好都合ですよ!」
青葉さんの落胆を吹き飛ばすように、あえて大袈裟に声を出す。
風に翻弄される恐れがないという意味では、ディスタンス競技において無風は圧倒的に有利だ。純粋な体力と、新スタイルの巡航効率の勝負になる。
「それもそうね。でも、相手はあの琵琶湖よ。いつ牙を剥くか分からないわ。油断はしないで。……それじゃ、私はそろそろ伴走ボートの配置につくから」
アタシの出番は早いので、伴走ボートに乗る青葉さんとはすぐに別れないといけなかった。
「――湖上で、会いましょう」
「はい! 行ってらっしゃい」
駆け足でボート桟橋に向かう青葉さんの背中を見送る。
『湖上で会う』
それは最初の数百メートルを完全にクリアし、定常飛行に移った者だけに許されるインカム越しの再会を意味する。
風がないからと油断すれば、飛び出しの瞬間に水面に吸い込まれて終わる。アタシは頬を両手で強く叩いて気合を入れた。
『現在プラットフォーム上は、富士川トリ娘スカイスポーツ学園、ウイングノーツさんです』
場内アナウンスに続いて、観客席からの歓声が離れたプラットフォームの上にも聞こえてくる。助走距離を確保するためにゆっくりと後方へ下がって合図を待った。
『さあ、登場しました。ここでウイングノーツ選手です! 』
『前々回からグーンと記録を伸ばして、もう1千メートルは当たり前という感じになってきましたね!』
――簡単に言ってくれるなぁ。
実況と解説のやり取りを聞きながら苦笑いする。一度二度うまく飛べたからって、ずっとうまくいくほどトリコンは甘くないんだ。ナスカ先輩や、シャイニングスタァ先輩が悩んでいるのを見ていたからよくわかる。
ふと、脳裏の片隅に、初めてディスタンスに挑戦したときの恐怖の記憶が蘇りそうになった。
――誰が何と言おうと、気にするな。
深く、深く息を吸い込み、冷たい空気で肺を満たす。赤旗を掲げた審判員がプラットフォームの先端へと歩み出した。
世界から、すべての音が消える。
聞こえるのは、自分のドク、ドク、という心臓の音だけ。
眼の前に広がるのは、どこまでも青く、どこまでも平坦な、底知れぬ琵琶湖の鏡面。
「ゲート――オープン!!」
審判員のかけ声とともに、白旗が振り上げられた。
「行きますっ!!」
叫んで、翼を大きく動かす。
目指すは、あの水平線の、先。




