33 遭難のワケ
「ガンケン、どうして帰ってこなかったんだ? 娘さん、心配して街中駆けずり回っていたぞ」
別に咎めたわけではないが、ガンケンは宗教裁判にでもかけられたような苦悶の表情になった。
「面目ない。塔行の途次、思わぬ危難に行き当たってしまったのだ」
塔行ってなんだっけ。
ネコカと目線で話し合う。
ほらあれだ、滝行の塔バージョンだ、と2秒くらいで思い出す。
「その危難というのは?」
「うむ。この階層の主に見つかってしまったのだ」
階層の主――フロアボス。
草原を吹き抜ける風が、ごう、とうなった。
巨大なナメクジのように這う雲が向きを変える。
風向きが変わったようだ。
「かれこれ4日前になるだろうか、あれに出くわしたのは」
険しい顔にわずかな怯えがよぎった。
シリアスな雰囲気のところ悪いが、ガンケンのファッション、だいぶ面白いな。
本来ゆったりとしているはずの法衣が全身タイツのようにピッチリ張り付いている。
それほど屈強な体をしているのだ。
要塞みたいに武骨で、デカイ。
この父をどうコネればチユができあがるのだろう。
奥さんが豆粒サイズの美人なら、2で割ってチユになるだろうか。
「急襲を受け、私はかろうじて雲の中に逃げ込んだ。それ以来、身動きが取れなくなってしまったのだ。夜陰に紛れて逃げようともしたのだが……。しかし、どういうわけか、またここに戻って来てしまうのだ」
「魔響を浴びたんだな」
音系の魔法や武技を『オベ4』では《魔響》と呼ぶ。
俺が使う剣技――奇剣《鼓打膜》もそのひとつだ。
特殊な超音波でダウンを狙う。
「ここの階層主は方向感覚をあべこべにする魔響を使う。獲物を逃がさないためにな」
コントローラーで前方を入力すると後方へ進み、右に倒すと左に進む。
脳が混乱する厄介な状態異常だ。
とはいえ、4日も経てば、とっくに効果は切れているはず。
ガンケンがここを動けずにいるのは純粋な迷子だろう。
景色に変化がない真っ平らな草原地帯。
目印にできるものはない。
夜ともなると、なおさら。
人間は目印のない空間を歩き続けると、まっすぐ歩いているつもりで徐々に曲がってしまう。
そして、巨大な円を描いた挙句、元の位置に戻ってくる。
輪形彷徨と呼ばれる、そんな恐ろしい現象が実際にあるのだ。
「ケンゾー殿、貴殿はここの主に詳しいと見える」
そりゃもう。
比喩とかではなく100回以上討伐している。
もう友達まである。
「第8階層主、怪乱馬《アンドスキアス》。謳い文句は《疾走せる草原の覇者》――。一角ヅノを生やした半人半馬で、右手にラッパ型の打撃武器、左手にボウガンを持つ。このラッパってのが魔響の出どころだな。ラッパ鎚とか、パ鎚とか、ラッパハンマーとか、パンマーとか、呼び方はいろいろだが、とにかく、高威力・広範囲・高頻度の3K音響攻撃で畳みかけてくる」
アンドスキアスは、平地においては、ほかに類を見ないほどの機動力を持つ。
怪音波で方向感覚をバグらせ、まっすぐ走れなくなったプレイヤーを圧倒的な走力で翻弄する。
そういうコンセプトの怪物だ。
「典型的な猛攻型で、防御行動や回復行動はほぼまったくしない。ただ走り、ただ殴り、距離が出来たら矢を放つ。相手を倒すか見失うまで永久に追いかけてくる。詳細なステータスは公開されていないが、有志の検証だとHP240・攻撃基礎値102・防御力64で、各種耐性は火耐性が72、水耐性が76、氷耐性70、雷47、風84で――」
「えっと、ちょっと待ちなさい」
美麗な眉をいびつに歪めてネコカが割り込んできた。
「まさか、あなた、100体いる階層主の情報、ステータス値も何もかも、全部丸暗記しているんじゃないでしょうね?」
「しているが?」
「あきれた。その熱意があれば宇宙飛行士にだってなれるんじゃない?」
「あきれた? 全部覚えていて、なぜあきれられるんだ?」
ひとつも覚えていなくて軽蔑されるなら理解できる。
だが、ボスの概要、攻撃パターン、弱点、攻略法、ボス部屋の特性、ドロップアイテムとその確率などなど。
どれも記憶して然るべき基礎知識だ。
「塔の攻略に絶対的に必要な情報だぞ。知り尽くしている賢者にあきれたとはなんだ?」
「こう考えてみなさい、ケンゾー。クラスメイト全員の名前と顔と生年月日と好きな動物、嫌いな食べ物、住所、電話番号、メールアドレス、スリーサイズ、星座に血液型に蒙古斑の位置と形……。全部丸暗記しているリア充がいたら、あなたはどう思う?」
「キモすぎて、みんなでいじめると思う」
「つまり、そういうことよ」
「そういう、ことか……」
納得した。
俺はキモい。
ごめんなさい。
「でも、俺のキモいは役に立つ。人類にとって有益なキモさだよな?」
「まあ、そうね。いじめないでおいてあげるわ」
「俺は格別の慈悲に思わず涙した……」
話を戻そう。
「アンドスキアスは動くものを、特に逃走しようとする獲物を優先して攻撃する仕様だ。ジッとしていたガンケンの判断はド正解だったってわけだ」
「ただ臆していただけであるが、そう言ってもらえるなら、取るに足らぬ我が面目も守られるというもの」
ガンケンは武人のようにぎこちなく微笑んだ。
そして、嵐の到来を案じる鷹みたいな目で周囲を見晴らす。
「奴は神出鬼没。いつ現れるとも知れぬ。ケンゾー殿、恥を承知でお頼み申す。私と我が娘を安全な場所まで護衛してはくれまいか」
「それはもう喜んで。そのために来た」
俺は布袋っぽい笑顔で承った。
ネコカも俺の陰で頭をコクコクする。
それじゃ帰りますか、と踵を返す。
と、そのとき、何か聞こえた気がした。
雪崩のような真っ白な雲の中に、一瞬何か見えた気がする。
俺は耳をすませた。
隣では、ネコカの猫耳がぴくりと動く。
「……」
「…………」
聞こえるのは、小川のせせらぎであり、風の音。
大自然のメロディーだ。
その音色が、不意に途切れた。
「……」
息を呑む静寂の中に、土が爆ぜる音が響く。
それは、ひづめの音だった。
俺が剣に手をかけるのと、雲を突き破って怪馬が現れるのはぴったり同時だった。




