31 行雲の草原
翌朝、俺たちは果てしない草原の真っただ中にいた。
見渡す限り、緑の大海原。
風が運ぶ光の波の上を、白い雲が帆船のように流れていく。
第8階層《行き雲の大草海》――。
気持ちのいいところだった。
「ここは第7階層と違って、ほぼ完全に平坦なマップなんだ。まんま草と雲しかない」
「すごい開放感ね。ダンジョンって感じじゃないわ。この雲、どこから流れてくるのかしら?」
「周縁部に柱が並ぶピロティ構造の階層だからな。外の雲が勝手に流れ込んでくるってわけ」
「牛さんや羊さんの放牧によさそうですね」
「家畜なんて放したら、一瞬でモンスターの餌食だろうな。――伏せろ」
草の海の向こう、雲の合間を馬の群れが駆けていった。
もちろんモンスターだ。
「ここは馬系のモンスターが多いんだ。《半馬鬼》や騎乗ゴブリン、夜は《骨馬鬼》も出る。健脚揃いだから、一度捕捉されると逃げるのが難しい」
「見事に隠れる場所がないわね。もしかして、雲を隠れ蓑にするの?」
ネコカは猫耳アンテナでおっかなびっくり周囲をうかがっている。
「ああ。《調教師》なら野生馬をテイムできるんだが、俺たちは忍者っぽくいくしかないな」
水遁《霧隠れの術》で濃霧を発生させ、敵の目を逃れる案もある。
しかし、そうすると、チユパパ捜索に差し障りが出るのが悩ましいところだ。
「スキル《足跡追及》――」
足跡は第7階層へ通じる中央階段から伸びてきて、草地で途切れている。
「草葉の陰で足跡がなくなるのは縁起悪いな。ほら、幽霊って足がないっていうだろ」
「不謹慎な軽口叩いてないで捜すわよ。どうする? 大声で呼んでみる?」
「おい、チユ。ネコカが叫ぶってよ。ニャアアってよ」
「スマホ、引っ掻きなさい!」
「ご主人、了解ですニャ!」
「ごすずん、りょかいニャ!」
「ぁいたたたた……」
「ふっふふ!」
チユは俺たちに合わせて笑顔を見せてくれた。
だが、その目は父の影を捜して周囲を見渡している。
「広大なマップね。どっちに進んでいいのかもわからないわ」
「俺なら中央階段を中心に渦巻き状に探るな。マッピングの話だが」
「この近くにはいないですよね。ここは人通りが多いですから」
3人で地図と睨めっこしながら意見を出し合う。
たまに、スマホがニャアと鳴いた。
「地図の意味がないわね。起伏も岩も木もないし。なによこれ、ただの緑の紙じゃない」
「ここに線がありますよ」
おいしそうなチユの指が地図上をなぞる。
「ケンゾー、なにかわかる?」
「小川だな。罠の川だ」
「罠の川?」
「ですか?」
ネコカとチユが双子みたいなシンクロ率で小首をかしげた。
「細くて浅い川なんだ。草に埋もれて近づかなければわからないくらいの。でも、水場だから移動制限がかかる。走っていると急にブレーキがかかるんだ」
「なるほどね。馬の魔物から死に物狂いで逃げていると、知らぬ間に小川にドボンして追いつかれるってことね」
「そういうこと」
『オベ4』はこの手の性格の悪い罠が多い。
小さなせせらぎのひとつさえ、ふとした拍子に冒険者を殺す凶器に変貌するのだ。
俺はポンと手を打って、言う。
「よし、この小川の周辺を捜すか」
「罠の上をわざわざ歩くの?」
「モンスターたちはその罠に向かって獲物を追い込む」
「罠のそばにはいないってことね」
「その通り。追い込み漁の盲点を突く。でも、それだけじゃない」
俺は水筒を傾けて水を飲むジェスチャーをした。
「人間が生き延びるには水がいる。もしチユパパがこの階層で生き延びているなら、水場周辺にいるはずだ」
「名推理ね、ケンゾー。悔しいけど、ことゲームに関して、あなたは天才的だわ」
「なぜ悔しい? 仲間が優秀なのは喜ばしいことじゃないか」
「あなたが優秀なのはなんだか嫌なのよ。生理的に」
俺は深い悲しみに沈んだ。
すぐさまチユが引っ張り上げにかかる。
「ケンゾーさんは本当に頼りになります! 素敵ですっ!」
「違うわよ、ケンゾー。今、チユはステーキって言ったのよ」
「どう行間を読めば、頼りになるケンゾーさんがステーキにされる?」
「ふふふっ!」
ともかく、捜索の指針は決まった。
雲の流れに合わせてソロソロと草原を進む。
あっという間に体はずぶ濡れになったが、不快さはない。
むしろ、ひんやりして心地よかった。
小川に到着。
人の姿・気配・痕跡、いずれもなし。
「上流と下流、どっちに行くかだな」
「折り返すと二度手間になるわね。二重に捜索できるとも言えるけど」
「俺が忍者スキルで小川を爆走してくるってのが一番手っ取り早いか。でも、ここの階層主は徘徊型なんだよな。討伐推奨レベルは24。ネコカなら十分いけるラインだが……」
しかし、階層数×5で考えると、要求されるレベルは40。
少し不安が残る。
「徘徊型ってなんですか?」
柔らかそうなほっぺに人差し指を当ててキョトンとするチユが可愛いので、俺は幸せな気分になった。
「階層主の行動パターンのひとつだ。一番多いのが玉座型――階層主の間に王様みたいにふんぞり返っているタイプだ。徘徊型はマップを歩き回って獲物を求める狩人タイプだな」
ほかには、所定の条件を満たすと登場する条件型や、一定のルートを周り続ける回遊型がいる。
「徘徊型だけは行動の予測がつかない。不意の遭遇戦が大半で、しかもあいつら、初手大技で仕留めに来る」
狩人というのは得てしてそういうものだ。
「じゃ、じゃあ、あの雲の壁の中にいてもおかしくないんですね!? いきなり後ろから来るかも……!?」
チユはストーカーに怯える女の子みたいにキョロキョロした挙句、お巡りさーん、という感じで俺の片腕にしがみついてきた。
「わたし、こんな怖いところでケンゾーさんと離れたくないです! 一緒にいてください!」
チユの必死さがそのまま抱き着く力となって表れている。
体同士が密着するのは必定。
俺は雲のベッドよりも柔らかいものに出会い、溶けるような眠気を抱いた。
「だめ、ですか?」
怯え切った上目遣いで、すがるように見つめてくるシスター・チユ。
白い髪が修道帽からこぼれ出て首にかかった。
俺はこのままチユを押し倒して寝たい気分だったが、鋭い爪みたいなもので尻を刺されて、あえなく覚醒。
「じゃあ、なるべく二人のそばにいよう。でもなぁ、このマップ、突っ走るとBGMが変わって最高に気持ちいいんだよな」
「あなた、手段が目的化しているわよ」
「…………ホントだ」
ネコカの鋭利な指摘で俺はハッとする。
あのまま走り出していたらチユパパのことなんて綺麗サッパリ忘れて風になっていたかもしれない。
結局、雲の流れに合わせて下流に進むことにした。
ぴちゃり、と音がする
水面下を鉛筆のような細い魚が忙しそうに泳いでいる。
せせらぎから顔を出した石の上では、4ツ鎌のカマキリが魚に狙いを定め、その上をスイーッと銀のトンボが滑っていく。
「俺の知らないモンスターがいるな」
「モンスターじゃないわ。普通に小動物よ」
「小動物……」
「そりゃいるでしょ。モンスターという強力な生態系を維持するための下層生物が。スポットライトが当たらないだけで、舞台の端にはたくさんの脇役や裏方がいるものよ」
なるほど。
客席にいた頃は見えなかったものが、舞台に上がったことで見えるようになった、と。
「モブキャラみたいなものか。なんかシンパシー」
「感じてんじゃないわよ。惨めね……」
ネコカが肩にそっと手を置いてくれた。
惨めさにブーストがかかった。
しばし、虫取り少年の気分で水と草の境目を見ていると、大きな生き物がムクッと立ち上がった。
そいつは熊のようにデカく、坊主頭で、法衣を身にまとってそびえていた。
「これも新種のモンスター?」
「どう見ても人間じゃないの」
コントする俺たちの横で、チユが息を呑んだ。
「おとぉたま……」
「今おとぉたまって言った?」
熊坊主のほうもカッと目を見開く。
「エイルんるん……」
「エイなんて?」
まあ、なんでもいい。
これはつまりアレだ。
父娘の感動の再会ってやつだ。
「おとぉたま!」
「エイルんるん!」
がばっ、と抱き合う二人。
水しぶきが再会を祝うように虹の橋を架けていた。
「虹の橋って縁起悪いな……」
「黙ってなさい」
グサァッ。




