20 夕焼けの帰路にて
貴族街くんだりに足を伸ばしていたら、すっかり日が傾いてしまった。
ヒィロポリスは火の海のように真っ赤だ。
しかし、長く伸びた影の中にいるとカラッとした涼を感じる。
過ごしやすい時間だ。
それでも、ため息が出てしまうのは、今日はまだ1匹もモンスターを倒していないからだろう。
一日を無為に過ごすと夕日に笑われる――。
そう言ったのは小学校の頃の担任だったか。
「ああ、地平線のシュレッダーが今日という日のHPを削っていく。長いロード画面の始まりだ」
「それ、ロマンチック……なのかしら」
「さあな。だが、ポエミーではある」
「情趣に乏しいポエムだこと」
ネコカの長い黒髪が赤い砂原に波打っている。
「今からオベリスクに行くのは閉園間際の遊園地に行くようなものね」
「遊園地が一番つまらない時間だ」
「ちなみに、一番つまる時間は?」
「深夜の遊園地だな。閉園後の不法侵入」
「侵入者は入り口ゲートの上にさらされるわ」
「首だけでか?」
「首だけでよ」
「体をさらさないでくれるなんて心広きこと砂漠のごとしだな」
俺は完熟マンゴーみたいな太陽におーいと声をかけ、手招きした。
「平清盛が夕日に向かって扇を振れば、たちまち太陽が戻ってきて一日をやり直せたらしい。俺の場合は……あー」
「戻って来ないわね。むしろ逃げ出してるわ、大急ぎで」
「源氏なのか、俺は」
「源氏はあなたなんて知らんって言うでしょうね」
「明日、朝日が昇ったら扇を振ってみよう。太陽が東に沈んだらウケるなw」
「はた迷惑よ。…………いえ」
ネコカは足を止めた。
沈む日を背負っているせいか、顔が真っ黒に見える。
「はた迷惑なのは私ね。ごめんなさい。私のせいであなたの一日を無駄にしちゃったわね」
「そりゃま、冒険はできなかったが……無駄ではなかったな。ほかのプレイヤー事情もわかったし」
「本当によかったの? 私なんかの側について。トップクランに所属するアドバンテージがわからないあなたじゃないでしょ?」
情報網、戦術理論、育成ノウハウ、アイテムの所持量やマネーパワーなどなど。
トップクランに籍を置くアドバンテージは十指では収まりきらない。
でも、
「俺は元来ソロプレイヤーだからな。牛後にも鶏口にも興味はない」
「じゃあ、私と組むのも嫌なんじゃない?」
「猫耳には興味しかない」
「あなたなら牛口になれたのに」
「柄じゃない。ナイナイ尽くしだ」
というか、シンプルな話、オニョモの態度が気に入らない。
あいつの仲間になってチーズケーキ食うか、猫耳美少女と組んで双頭猫をナデナデするか。
迷うのは甘党くらいのものだろう。
「ネコカこそ、よかったのか?」
俺は平板な声で問う。
……つもりが、咎めるような響きが微妙に出てしまった。
構わず続ける。
「本気で塔攻略を目指すなら、《銀蝋の翼》に加盟するのが一番の近道だ。俺をダシにして拝み倒せば十分チャンスはあったんじゃないか? それこそ勝算がな」
ネコカのプライドはオベリスクといい勝負だ。
高すぎて頭が下げられない。
俺と組んだときもそうだ。
『私をキャリーさせてあげる』
などと高飛車な物言いをしていた。
俺は一度断ろうとして、ネコカが震えていることに気づき、OKした。
唇を真っ青にするほどの懸命さが俺を動かしたのだ。
「ニーチェ先生もこうおっしゃっている。お前が人から反対されるのは、お前の伝え方が糞だからだ、ってな」
「違うわ。ニーチェ先生はこうおっしゃったの。人が反対するときは、たいてい伝え方が気に入らないときだ、と」
「つまり、ニーチェ先生はこうおっしゃりたいわけだ。お願いは土下座して地面につぶやけ、ってな。お前はそうしなかった」
「要するに、実利よりプライドを優先した愚か者だと言いたいのね、あなたは」
「ニーチェ先生がだな」
ネコカは俺を3秒くらい睨んでから、砂を蹴った。
赤い砂粒は唐辛子パウダーみたいだった。
よだれが出る。
「別にいいわよ。レベルの低いプレイヤーなんて損な役回りを押しつけられて苦労するだけだもの。オトリに使われて早死にするかも」
オニョモを見る限り、ありそうな話ではある。
「それに、連中は山があれば登りたいってだけなのよ。ゲームクリアを目指してはいるけれど、それは現実世界に戻りたいからじゃない。心底この世界が好きだから、やり込みたいってだけ。ただの馬鹿者よ」
むしろ、この世界ではそれこそが健全で、かけがえのないものだと俺は思う。
もちろん言わないが。
「ネコカ、イソップ寓話を知っているか? キツネとブドウって話だが」
「知っているわよ。木が高くてブドウを採れなかったキツネが、あんなもの酸っぱいに決まっているコン、って負け惜しみを言ったのよね。今の私みたいに」
「自分を客観視できているならいい。無謀なチャレンジャーの末路はゲームでもリアルでも同じだコン」
ゲームと違うのは、この世界がやり直しの利かないパーマデス方式ってことだ。
死んだら死ぬのだ。
最悪だ。
「それにしても、ニーチェにイソップ寓話って。ゲームばかりのカスみたいな人生かと思ったけど、ケンゾーってちゃんと教養も積んでいるのね」
「は? ゲームばかりの人生がカスなわけないだろ。最高だ。俺は死ぬまでゲームだけしていたいし、死んだらゲームの世界に行きたい。それが俺の夢で――おっ! 俺は今、夢の世界にいる! 興奮で鼻血出そう……」
「見直して損したわ。カス確定。もう二度とスマホに触らせてあげない」
「え、ひどい……」
でも、とネコカは続ける。
「ケンゾー、私を選んでくれて、その……ありがと」
「おう」
と事もなげに返事しつつ、俺は内心、神域魔法で夕日を消し去ってやろうかと思っていた。
あのデカブツがむやみやたらに赤を振りまくせいで、台無しだ。
ネコカの渾身のデレ顔が塗り潰されてしまっている。
銃弾すら視認しうる俺の目をして、真っ白な頬を染め上げる赤い高揚を識別できない。
糞がァ。
「社交辞令で言ってあげただけなんだからね、あなたに気を許したわけじゃないんだからね、勘違いしないでよね、って言ってみろよネコカ」
「殴るわよ?」
ゲシッ。
俺の向こうズネを蹴飛ばすと、ネコカは顔を隠す感じで歩を速めた。
俺は夕日に一発ガン垂れて、弾む黒髪を追いかける。
そして、冒険者ギルド前に差し掛かったそのときだった。
「あんた、しつこいよォ!」
「ひゃあ!?」
女冒険者の罵声と同時に、黒い影が飛んできて俺たちの進路上に転がる。
それは抱き枕くらいのサイズで、抱きたくなるような魅惑の曲線をしていた。
そう、あのシスターさんである。
「誰か……お願い。助けて、ください……」
俺たちが去った後も助けを求めて狂奔していたらしい。
声はすっかり枯れ、砂で汚れた修道服はチャイナドレスみたいに裂けて白い素足をさらしていた。
そぞろエロスを……いや、哀れを催す有り様だった。
「ぁっ」
シスターが俺に気づいた。
まぶしさに細くなる垂れ目が光を帯びながら見開かれていく。
夕日の中に仏を見たという顔である。
しかし、シスターの面差しは一転して凍りつく。
俺の隣にいる番犬みたいな猫耳娘に気づいたからだ。
その番犬のほうはというと、バツの悪そうな顔で道端の砂を眺めている。
俺は相棒の背をそっと押した。
「ネコカ、命以外ならやり直せるものだぞ。セーブポイントなんてなくてもな」
「わ、わかってるわよ」
おずおずとネコカはシスターに歩み寄る。
素っ気なく手を差し伸べて、
「さっきはごめんなさい。いちおう、話だけなら聞いてあげてもいいわ」
「……ほんと、ですか?」
「聞いてあげるだけなんだからね。感謝しなさい。フン」
「あ、ありがとうございます……!」
仏のケンゾーこと俺はご利益がありそうな笑みで二人を見守った。
ただ、傍目には不審者の微笑みに見えたらしい。
ネコカの肩の上からスマホが白いジト目を投げかけてきた。




