第六章 抜け道
第六章 抜け道
監査の日程が近づくにつれ、俺の中の緊張は日に日に高まっていった。
88番から得た断片的な情報を頭の中で組み立て、俺は少しずつ計画の輪郭を固めていった。監査官が訪れるのは、月初めの水曜日。施設側は、その日だけは普段と違う「模範的な運営」を演じるらしい。作業内容も、衣服も、その日だけは監査官の目を意識したものに変わるのだと、配膳係の女性がこっそり教えてくれた。
「その日だけは、看守の態度も変わるんだよ。」彼女は小声で言った。「外から見える部分だけは、ちゃんとしてるように見せかけるのさ。」
そこに、俺は突破口を見出した。
監査官が施設内を視察する際、必ず立ち寄る場所がある。事務棟の面談室だ。そこでなら、看守の目を完全に盗むことは難しくとも、監査官と直接言葉を交わす機会が、わずかながらあるはずだった。
「面談室に入れるのは、模範囚だけだ。」88番は言った。「お前がそこに行く理由を、何か作らなきゃならない。」
俺は考えた。この施設で「模範的」とされる行動を取り続ければ、あるいはその機会を得られるかもしれない。屈辱に耐えながらも、俺はこれまで以上に「従順なTS娘」を演じることにした。それは、俺のプライドが最も抵抗した選択だった。だが、目的のためには、演技すら武器にする必要があった。
数週間、俺は徹底して看守の指示に従い続けた。反抗的な態度を一切見せず、与えられた作業を黙々とこなした。その甲斐あってか、ある日、看守の一人が俺にこう告げた。
「お前、態度がだいぶ良くなったな。今度の監査の日、施設長の付き添いとして面談室に顔を出すことになった。行儀よくしてろよ。」
その言葉を聞いた瞬間、俺の心臓は跳ね上がった。だが顔には出さず、俺はただ小さく頷いた。
「……ついに、来たか。」その夜、88番に耳打ちすると、彼は硬い表情で頷いた。
「油断するなよ。施設長も、お前が何か企んでないか、目を光らせてるはずだ。」
「分かってる。」
俺は、監査官に何を伝えるべきか、頭の中で何度も練り直した。長々と話す時間はないだろう。だとすれば、短い言葉で、この制度の本質を伝えなければならない。感情に訴えるのではなく、事実だけを、簡潔に。
──この施設で行われていることは、更生ではない。制度という名の下に正当化された、組織的な人権侵害だ。
その一言に、俺はすべてを込めるつもりだった。
監査の前日の夜、俺は自分の部屋でひとり、静かに天井を見上げていた。この一年で失ったものは、数えきれない。だが、俺はまだ、失っていないものがひとつだけあった。
──声を上げる意志。
それだけは、この制度も、この施設の誰も、俺から奪うことはできなかった。
明日、俺はその声を、初めて外の世界に届ける。




