(3)道中
東京駅まで40分弱。
途中で路線を乗り換えてからはずっと、私たちは同じ座席に座っていた。改札から繋いだままの手のひらが暑い。お風呂上がりのようにふやけているかもしれない。
私が身じろぎをするたびに、朝川はぎゅっと私の手を引き止めてきた。私はそれがくすぐったくて、彼女の少し角張った肩に寄りかかった。
「ねぇ、今何時」
私は片手に握りしめたスマホを見下ろしながら朝川に聞いた。朝川は鞄からスマホを取り出して、じっと画面を見てから答えた。
「10時41分」
「もうみんなマフィン作ってるね」
「小雛なら、うちらの分まで残してくれそうじゃない?」
「今LINEすれば間に合うかな」
私は手のひらに置いたままだったスマホを起動して、緑色のアプリをタップした。ずらりと並んだトークの見出しに、昨日までの会話の最後が表示されていた。
私は母親の名前を一瞬なぞってから、その下の小雛の名前を叩いた。
フリック入力で簡潔にマフィンの行方を尋ねる。
既読はつかない。
焦燥に駆られて、絶対に二人分残しておいてと付け足し、裸で踊るクマのスタンプを連打した。
それでも返事が来ない画面を数秒見つめてから、私は画面を閉じた。
『まもなく、東京。東京』
女性の無機質なアナウンスを聞いて、私は朝川の肩から頭を離した。それから電車内を見回すと、私と朝川以外、乗客がいなかった。
隣の車両をドア越しに覗いてみる。左右の座席が埋まるほど、大勢の人がそこにいた。
私は視線を正面に戻すと、ゆっくりと速度を落とす車輪の振動に身を委ねた。
効果音と共にドアが開く。
座席から立ち上がって外に出ようとすると、出入り口のサラリーマンが私の蛍光ピンクを見てギョッとした。割り込んできた中年女性も、ベビーカーを押す女性も、私たちから大きく距離をとってくる。
しかし、朝川は彼らに見向きもしないで、むしろ広くなった道をずかずか歩いて行った。朝川に手を引かれる私も、自然と胸を張って大股になった。
階段を降りて、案内板に従って広い駅内を進む。
『18番ホーム 東海道・山陽新幹線 広島行』
朝川のスマホの画面で文字が踊る。
彼女が進む道には無駄がない。
私はだんだん速くなる朝川の歩調に追いつくのに必死だった。
階段を駆け上がってホームにたどり着く。すると駅員が向こうから走ってきて、手袋越しに私の手を引いた。
「罹患者はこちらです」
はっきりとよく通る声がホームに響く。
周囲でスマホに夢中になっていた人たちが、一斉に私たちの方を向いた。雑踏も一瞬で遠のいて、じわじわとまた騒がしくなる。さっきまでの賑わいと違って、コソコソとした囁き声が明らかに増えていた。
私は駅員に捕まれた腕を引き離した。
「自分で歩けるから」
駅員は無機質な黒い目を私に向けると、小さく会釈をして歩き始めた。
朝川が私の右肩を優しく叩く。私は曲がりかけていた背筋を伸ばして、颯爽と駅員の後に続いた。
数秒後、ホーム内に白くて大きな列車が滑り込んできた。強い風でスカートがはためき、私の蛍光ピンクが暴れ回る。
そうして私の前で停車したのは、どこもかしこも真っ白な罹患者専用車両だった。完璧に密閉された窓と、代替可能なシーツが張られた座席は食品工場を連想させる。車内には他にも、私と同じ蛍光ピンクを首に下げた男性が一人いた。
無言で車内に入ると、駅員に呼び止められた。
「どうぞ。車内で食べてください」
渡されたビニール袋の中には、みっちりと食べ応えがありそうな四角い駅弁が入っていた。しかも紙パックの緑茶まで入っている。
「ありがとう」
微かに笑顔を浮かべながら言うと、駅員は無表情のまま深くお辞儀をした。私も軽く会釈して、朝川の手を引きながら奥の席へ向かった。
窓際に座ろうとしたら、猫のように素早い動きで朝川が滑り込んできた。席を取られてしまった私は、彼女の隣に座りながらニヤニヤ擦り寄った。
「景色そんなに見たかったの?」
「ああ、うん、そう。超見たい」
朝川は裏返った声で言うと、深々と背もたれに寄りかかった。私は私で、人が少ないのをいいことに、通路側に足を投げ出してふんぞり返った。それから、駅員にもらったビニール袋を座席テーブルに乗せる。
「毒とか入ってないよね」
朝川が袋の中を覗きながら囁いた。私は弁当を取り出しながら意地悪く笑う。
「そんなことしなくても罹患者なら勝手に消えるじゃん」
「佐久間っ」
「あはは」
咎める朝川にヘラヘラ笑って、お茶の紙パックを彼女に渡した。ついでに自分の分も取ってみると、紙パックの表面にはマジックペンで可愛らしい手描きイラストが描かれていた。
「ほら、毒なんか入ってない」
その絵を見せつけながらドヤ顔になる。
すると、タイミング良くスカートのポケットからぶぶっと振動が伝わってきた。すぐにスマホを取り出してみれば、小雛から大量のスタンプと短い返事が来ていた。
「小雛から、等価交換。ちんすこうを一箱まるまる寄越せだって」
「マフィン一つで? 真理の扉開いちゃうよ」
「あはは。持っていかれちゃうね」
「もー佐久間!」
「今のは朝川が悪くない?」
ブラックジョークに花を咲かせて、ストローを差し込み口へ突き刺す。きゅっと頬を寄せて吸い上げた苦い緑茶が、やけに美味しく感じられた。
半分ほど飲んだあたりで、新幹線のドアが閉じられる。外から隔離されて、いよいよ車内の白さが際立った。
私は肘掛けに頬杖をついて、朝川の横顔越しに光を眺めた。
「どこでもドアが欲しいなぁ」
「分かるー。どうせなら海外行きたいよねぇ」
「じゃあ今からでも成田行く?」
「えー、飛行機の待ち時間で捕まっちゃう」
「だよねぇ」
ヘラヘラ笑いながら、私はすっかり軽くなってしまった紙パックをビニール袋へ突っ込んだ。それからスマホの充電が70%を切っているのを見て、すぐに鞄にしまった。




