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(4)世は情け

 黒人形(ブラックドール)。

 正式名称、突発性黒形症候群。

 本人の努力次第で生き残れる、致死率変動型の変わった病だ。


 感染者がやるべきことはたった一つ。最初に発症した地点から出来るだけ距離をとり、次の日の朝まで逃げ切ること。


 昔は移動手段が少なかったためにほぼ全員が死に至った病だが、行政の援助で逃走ルートが確保できてから、黒人形に殺される感染者は激減した。

 しかし、黒人形の世間の理解度は以前として低いままだった。教科書でちゃんと説明された若者はともかく、ニュースを聞き流す社会人の半数は、いまだに黒人形が接触感染すると思い込んでいる。


 黒人形は空気感染も接触感染もしない。電話やメールと言った電波を通じて、血縁者から感染することだけは研究ではっきりしている。

 しかし、それ以外の感染経路はまだ解明されていなかった。


 もし感染してしまったのなら、ただ運が悪かったと受け入れるしかない。




「ん……今どこ?」


 いつのまにか眠ってしまっていた私は、重い瞼を擦りながら窓を見た。新幹線はちょうどトンネルを通っているところで、仄暗いコンクリの壁が延々と流れていた。


「よく眠れるな」


 低い男性の声がした。驚いて反対側の座席を振り返ると、先に車内にいた見知らぬ男が、じっと私を見つめていた。


「黒人形がここまで入ってくるとは思わないのか?」


 不躾に言葉を重ねてくる男に、私は刺々しく威嚇した。


「その前に、あんた誰?」


 男は一瞬動きを止めると、目を逸らしながら小さく「オキタだ」と答えた。私は音の響きに少し興奮しながら、席からオキタの方へ身を乗り出した。


「漢字は? もしかして沖田総司と同じ?」

「いや、尻尾の尾に、北海道の北で、尾北だ」

「なぁんだ。でも珍しい名前だね」

「ああ……」


 尾北はだんだんと声のトーンを落として、私からついに顔を背けてしまった。それっきり会話を終わらせても良かったが、私は隣の朝川が眠っているのを確認してから、いそいそと男の隣の座席へ移動した。

 いきなり隣に座ってきた私に、尾北は一瞬肩を強張らせた。


「何してる」

「話し相手になってよ。先に話しかけたのあんただし、責任とって」

「…………はぁ」


 たっぷり十秒後、尾北は掠れたため息を吐いた。


「これから死ぬのに何を話すんだ」

「尾北さんは逃げ切る気ないの?」

「逃げたいさ。でも確実に助かるわけじゃない。捕まったら死ぬしかない」

「新幹線に乗れば勝ち確じゃん。心配しすぎだって」

「ダメなんだよ、新幹線じゃ!」


 腹の底が震えるほどの大喝を浴びせられて、私は大きく飛び上がった。尾北は私の目を見てあっと口をつぐむと、少し間を置いてからヒソヒソと小さな声で続けた。


「確かにここは密閉されてる。けど完全じゃない。通気口ぐらいの隙間だったら、奴らは簡単に侵入できる。実際、俺と一緒にいたあいつは、俺の目の前で、ちょうどあのあたりで……」


 尾北は出入り口付近の座席に視線を彷徨わせながら、徐々に早口になっていく。


「食われたんだ。いや、食ったと言った方がいい。あっという間だった。あいつの付き添いだった俺は必死に引き剥がそうとしたんだ。だけど、本当にあっという間で、全身真っ黒になって、溶け出して……あれは、人間の死に方じゃない」


 尾北は落ち窪んだ目を両手で覆い隠して、そのまま蹲ってしまった。


 黒人形で死ぬ人の映像は、一度だけYouTubeにアップロードされたことがある。私は見たことはないが、面白半分で見ていた男子がその場で嘔吐するぐらい、ひどい映像らしかった。


 私はぎゅっと顔を顰めながらも、できるだけ穏やかに尾北へ話しかけた。


「……付き添い、したことあるんだ。尾北さんは」


 ああ、と首肯とも感嘆ともつかない声をあげて、尾北は項垂れた。


「高校の同じ部活のメンバーだった。陸上部であいつとはいつも一位を競ってた。足の速さには自信があったんだ。……もう十年も前の話になる」

「ふーん、十年ねぇ……」


 まだ十六年しか生きていない私には、十年後なんて想像もつかない。中学校の頃に十年後の自分に手紙を書こう、なんて授業があったが、あの時も適当なことしか書けなかった気がする。封筒に入れた手紙の中身も覚えていない。


 ただはっきりとしているのは、尾北が付き添いをした誰かは、自分と同い年ぐらいで人生が終わってしまったのだ。


 その上で私は、尾北のことを羨ましいと思えなかった。


「あんたみたいな大人になるぐらいなら……」


 私は言いかけて、やめた。尾北の苦しげな表情が、もっと恐ろしいものに豹変しかけていたから。


 新幹線が揺れる。トンネルを抜けて、窓から昼間の日差しがパッと差し込んだ。


 光を受けた尾北の動向がきゅうっと小さくなるのが見える。私は指の隙間から彼の顔を見つめながら聞いてみた。


「──尾北さんはさ、この新幹線でどこまで行くの?」

「……終点までだ」

「ふーん、一緒に大阪で降りない? 美味しいもの一杯あるってよ」


 終点は広島だ。私にとっては、地元から離れてしまえば、広島も大阪も対して変わらない観光地でしかなかった。

 だが、尾北の表情は再び強張った。


「いや、大阪より広島の方が距離を稼げる。それに美味しいものだなんて、食べている間に殺されるかもしれないんだぞ」

「あはは、最後の晩餐ってやつ?」


 ふと思いついた単語を口にしてみると、尾北の顔が怯えから呆れへ変わった。


「……君は、頭が悪そうなのに意外と物知りだね」

「友達が勝手に教えてくれるだけ。ちゃんとした意味なんて知らないもん」


 ようやく人間らしい顔つきになった尾北に私は笑った。尾北は珍しいものでも見るように目を瞬かせると、鋭利な目元を柔和に細めてみせた。意外と優しいその顔つきに、私は不意を突かれてどきりとした。


「確かに、こんな遠くまで行く機会は滅多にないから、食べ歩きも悪くないかもな。死ぬことに怯えるよりは有意義だ」

「でしょ?」


 得意げに私が身を乗り出すと、尾北は少し恥ずかしそうに顔を逸らした。だがすぐに澄まし顔に戻って、まじまじと私の顔を見てきた。


「もしよかったらなんだが、広島にも美味しいものは沢山ある。事前に下調べしていたから、俺ならすぐに案内できるけど、どうだ?」

「それって一緒に来いってこと?」

「君は関東方面から来た。なら感染地点より遠くなるし、大阪より安全だ。それに旅は道連れ、世は情けというだろう?」

「なにそれ、どういう意味?」

「一人旅より二人旅の方が安心する。だから仲良くしようっていう意味だ」

「ふーん、またひとつ賢くなったわ。帰ったらなすび先生に自慢するね」

「はは……で、どうなんだ?」


 尾北の真剣な眼差しを、私はまっすぐ見つめ返した。

 尾北は良い人だ。出会ったばかりの私を心配してくれるし、何かあったら私を連れて逃げてくれそうだ。そういう人と一緒にいられるのはとても心強いし、観光だって楽しいに決まってる。


 でも、私はやっぱり先生が勧めてくれた大阪に惹かれた。


「折角だけど今日はいいや。私には朝川がいるし。尾北さんはひとりぼっちで心細いかもだけど、案内できるぐらい広島のこと知ってるんでしょ? だったら、地元みたいなもんだろうし、私がついて行かなくても平気でしょ」

「勝手に納得してもらってるところ悪いけど、広島は全く俺の地元でも、親しみがあるわけでもない。でも……」


 尾北は一度言葉を飲んで、そっと窓の外へ目を向けた。


「あいつの分までと思えば、確かに心細くはないな」


 日差しを浴びて、尾北の瞳がキラキラしている。私はそれを猫のように見つめたまま、のっそりとポケットからスマホを取り出した。


「尾北。LINE交換しよっか」

「いきなり呼び捨てか。ちょっと待っててくれ」


 尾北は苦笑しながら私より大きなスマホを取り出して、QRコードを出してくれた。慣れた手つきで友達追加して、私は画面に表示された尾北の名前を見つめる。


 名前の下のひとことには、何も書かれていない。


 私は尾北とのトークを開きながらにやりと笑った。


「尾北、寂しくなったらいつでも私に連絡しな?」

「君というやつはとんでもない子だな。まぁ、ありがとう」

「どういたしましてっと」


 すぽん、と気の抜ける効果音と一緒に、私のトーク画面にスタンプを浮かべる。すぐに尾北からもお辞儀するスタンプが送られてきた。思えば、年上とこんな風に連絡先を交換するのは初めてかもしれない。

 私はまたにやりと笑って、猫なで声で尾北へ話しかけてみた。


「ねぇ尾北、お昼食べた?」

「いや……買う暇もなかったし、駅員のは遠慮したから」

「じゃあ私の残飯食べてくれない? お茶飲みすぎてお腹いっぱい」


 渾身の蠱惑的な笑顔でにじり寄ると、尾北は目を泳がせながら窓際に張り付いた。


「は? いや、しかし君は食べ盛りだろう。今のうちに食べておかなきゃ。そもそも自分が口をつけたものを他人に渡すなんて」

「尾北はもう友達だし、細かいことはいいじゃん。ね?」


 ぎゅっと尾北の二の腕に頭を乗せてから、私は耐え切れずに笑ってしまった。

 尾北はようやく揶揄われていたと気づいて、真っ赤になりながら手で顔を隠した。


「……ますます君は、とんでもない子だな」


 今の顔が、すごく好きだった。


『──まもなく、大阪、大阪』


 タイミング悪く女性のアナウンスが割り込んでくる。私は尾北から身を引き離すと名残惜しく席を立った。


「もう降りなきゃ。残念だね尾北。お弁当はまた今度ね」

「いらないよ」

「そうやって遠慮するから食べ損ねるんだよ」

「遠慮じゃない。本心だ」


 ムキになって否定し続ける尾北にケラケラ笑いながら、私はまだ窓際の席でぐっすりな朝川の肩を揺らした。


「朝川。そろそろだよ」

「んー……おはよ……あと一時間寝かせて……」

「もう大阪だってばー」


 ペチペチ頬を叩いても朝川は起きてくれない。私は諦めて朝川の隣に座り直し、口を手で隠しながら大きなあくびをした。それから背もたれ越しに尾北のほうを振り返って手を振ると、彼は控えめに笑いかけてくれた。


 そこから五分もしないうちに、窓の外の流れが緩やかになった。

 私は本格的に朝川を起こすべく、少し強めに頭を叩いた。


「あいったぁ!」

「もう行くよ」

「はいはい……」


 朝川がやっと荷物をまとめ始めれば、新幹線の扉が音を立てて開かれた。私はまだふらついている朝川の手を引っ張って、降りる直前に尾北を振り返った。


「じゃあね尾北。明日になったら電話する」

「ああ。また」


 本当は出発まで見送りたかったが、すぐにエスカレーターの方から私の蛍光ピンクを見た駅員が駆けつけて来た。


「どうぞ! こちらへご案内します!」

「はーい」


 愛想の良い駅員の後を追いかけながら、ちらりと車内を振り返る。この角度からでは尾北の顔はもう見えなかった。

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― 新着の感想 ―
[良い点] うぅ…!!二人の関係好きです、両方とも生き残ってくれえぇぇ(´;ω;`)
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