第9話 天才魔導士
あの大規模な演習場での出来事を境に、学園の他の生徒たちの私に対する態度は、少しずつ、けれど確実に変化し始めていた。
何かにつけて「これだから平民は」と影口を叩いていた女子生徒たちは、私と目が合うと気まずそうに視線を逸らして大人しくなり、あの日魔力暴走を起こして倒れてしまった男子生徒にいたっては、意識が回復してすぐに「ステラさん、本当にありがとう。今までのこと、本当にすまなかった」と、涙ぐみながら私にこれまでの非礼を謝罪してくれたのだ。
自分の力が誰かを救い、認められたという事実は、私の心に小さな、けれど確かな自信を植え付けていた。
そんなある日のこと。放課後、私が授業の復習でノートをまとめていると、ガラリと前扉が開いてヴェロニカ様が部屋へと入ってきた。彼女は真っ直ぐに私のデスクの前まで歩み寄ると、有無を言わせない視線を投げかけてくる。
「ヴェロニカ様……?何か、私に御用でしょうか?」
「カイルがあなたに用があるんですって。アリスを連れてきてほしいって頼まれたのよ。さあ、行くわよ」
「カイル……?って、まさか、高魔導学科のカイル・リーズベルト様ですか!?な、なぜ私を……」
頭の中が一瞬で大混乱に陥る。リーズベルト子爵家の令息であり、学園で優秀とされる高魔導学科でも特級クラスのトップ。そんな雲の上の天才が、なぜ私を?というか、子爵家のカイル様が公爵家の令嬢であるヴェロニカ様をパシリのように使って私を呼び出すなんて、力関係としてもおかしな話だ。
「ほら、アリス。ぼさっとしないの。あいつ、待たせるとすぐに帰っちゃうんだから、早く行くわよ」
ヴェロニカ様は私の疑問に答えることなく、翻したドレスの裾を揺らして歩き出す。考える余裕もなく、私は広げていたノートを素早くカバンにしまい込み、彼女の背中を追うようにして、慌ててついていった。
◇
連れてこられたのは、高魔導学科がある別棟の、一番奥。重厚な木製の扉には「研究室1」と書かれたプレートが掲げられていた。
ヴェロニカ様は躊躇なくノックをすると、返事も待たずに扉を開けた。
室内に広がっていたのは、無数のガラス器具や薬品の独特な匂い。そして、その中央にある大きな作業机の前に、黒髪の男子生徒が座っていた。
制服の上から不格好な白衣を羽織った彼は、入ってきた私たちを切れ長の瞳で一瞥する。彼こそが、天才魔導士カイル・リーズベルト様だった。
「何だ、ヴェロニカか。まだ僕に何か用か?」
「冷たいわね。あなたがアリスを連れてこいって言ったんじゃないの」
ヴェロニカ様が呆れたように肩をすくめると、カイル様の視線が、彼女の後ろに隠れていた私へと移った。
「……ああ。君がまともに僕の言うことを聞くとは思わなかったけれど、もう連れてきたんだね」
「とにかく、中に入るわよ。アリスも入ってちょうだい」
ヴェロニカ様に促され、私はおずおずと実験室へと足を踏み入れた。驚いたのは、二人の会話の距離感だった。公爵令嬢に対して、カイル様は全く物怖じせず、むしろやけに親しげに、遠慮のない言葉を交わしている。
「アリス、見ての通りこの無愛想な男がカイルよ。学園の自称・天才魔導士さんね」
「自称した覚えはないよ。相変わらず性格の悪い言い方をするな、ヴェロニカは」
「ふん、何とでも言いなさい。……アリス、私とカイルは家が近くて、昔からの幼馴染なの。だから私に対しても、いつもこんな偉そうな態度で話しているのよ」
幼馴染だとしたら……今のヴェロニカ様の中身が別人だということに、彼は気づかないのかしら?
怪訝に思いながらもカイル様の様子を窺ったが、彼はヴェロニカ様をいつもの彼女として扱っており、中身の変異には全く気づいていないようだった。それほどまでに今の彼女の演技が完璧なのか、それとも、この世界の仕組みが不自然さを隠蔽しているのだろうか。
「それで……その、カイル様。私にどのようなご用件でしょうか?」
私が緊張しながら尋ねると、カイル様は作業机の上の書類を片付け、真剣な眼差しを私に向けた。
「この前、魔導学科の生徒を魔力欠乏症の昏睡から救っただろう?その時に君が使った『光魔法』のプロセスについて、詳しく聞きたくてね」
「私の、魔法についてですか……?」
「ああ。他人の体内に外部から魔力を強制循環させて、魔力回路を傷つけずに自己回復力を引き上げるなど、通常の魔導医療では不可能だ。何が起きたのか、君自身の口から説明してほしい」
カイル様の瞳には、純粋な知識への渇望が宿っていた。私はあの日、必死に感覚を研ぎ澄ませて行ったことを思い出しながら答える。
「あれは……一度、彼の体中へ、私自身の光の魔力を細く流し込みました。光魔法は他のどの属性とも反発を起こさない特殊な性質を持っています。だから、他人の体内に流しても魔力が弾かれたり、拒絶反応を起こしたりしないんです。それで、彼自身の眠っている魔力回路を優しく刺激して、自己回復力を高めました」
「なるほど……!」
カイル様は私の言葉を聞くなり、顎に手を当ててブツブツと独り言を呟き始めた。
「同属性の魔力であっても、個人の波長によって強さや性質が異なるため、他人の体に流せば普通は回路が乱れて崩壊する。だが、光魔法にはその拒絶反応がそもそも存在しないのか……。素晴らしいな、やはり僕の仮説は間違っていなかった」
ふとカイル様の机の上を見ると、そこには魔力欠乏症に関する膨大な研究メモや、実験に使ったと思われる様々な薬液の瓶が乱雑に並んでいた。彼は独り言を止め、私を真っ直ぐに見つめた。
「アリス・ステラ。君のその力で、魔力欠乏症を治してほしい人がいるんだ」
「それって……アランのこと?」
隣にいたヴェロニカ様が、口を挟んだ。アラン。その名を聞いて、私は首を傾げる。
「アラン……?ヴェロニカ様もご存知なのですか?この学園の生徒でしょうか……」
「いや、アランは僕の弟だ。今年で10歳になる」
カイル様は少しだけ痛ましそうな影を瞳に落とし、静かに語り始めた。
「弟は7歳の頃、非常に強力な魔力に目覚めてね。だが、当時の彼の幼い身体ではその膨大な魔力をコントロールすることができず、結果として最悪の魔力暴走を引き起こしてしまった。その結果、一命は取り留めたものの、魔力欠乏症に陥ったんだ」
「弟様は、今はどうされているのですか……?」
「身体自体は健康で、日常生活に問題はない。ただ――体内の魔力が完全に枯渇し、二度と魔法を使うことができなくなってしまった」
カイル様の一言に、私はすべてを察した。普通の人であれば、魔力がなくても何不自由なく生きていける。けれど、彼らは由緒正しき貴族だ。貴族社会において、魔力の有無やその大きさは、その人間の価値やステータスに直結する。カイル様は、最愛の弟の将来を案じて、彼の魔法の力を取り戻すために、こうして魔力欠乏症の治療研究を続けていたのだろう。
「そうね、アリスならアランの魔力欠乏症を治せるわよ。でも、そんな貴重な魔法を無償で使わせるわけにはいかないんじゃない?」
ヴェロニカ様がニヤリと笑いながら、再び会話に割り込んできた。
「もちろん、無償などとは言わない。アリス、君が僕の弟を救ってくれるなら、謝礼として大金貨1000枚を支払おう」
「だ、大金貨1000枚……!?」
私は驚愕のあまり声を裏返らせてしまった。私の実家のパン屋『ステラベーカリー』の一ヶ月の総売上ですら、大金貨10枚程度なのだ。とんでもない巨額である。
「い、いえ!そんな大金、受け取れません!まだ実際に治せるかどうかも分かりませんし……」
「あら、いいじゃない、大金貨1000枚くらい。人助けなんだから、ちゃんともらっておきなさいよ」
ヴェロニカ様が私の肩を叩き、しきりに謝礼を受け取るよう促してくる。
(……どうしてここで、ヴェロニカ様が口を挟んでくるのかしら?)
私は胸の内で、彼女に対する警戒を強めた。私が謝礼をもらうこと、あるいはカイル様の弟を治すことが、ヴェロニカ様にとって何か都合の良い「フラグ」に繋がるのだろうか。また何か裏で良からぬバッドエンドを画策しているのではないかと、疑念が頭をよぎる。
けれど――ヴェロニカ様の都合や思惑なんてどうでもよくなるほど、目の前で弟のために必死なカイル様の姿は、本物だった。彼がどれほどの絶望のなかで研究を続けてきたかを思えば、私の光魔法で少しでも力になれるなら、協力しない理由なんてどこにもなかった。
私はぐっと拳を握り、決意を固める。
「……カイル様。弟様のこと、私に出来る限りのことをして、必ず治してみせます。ただ、謝礼については、すべてが終わった後に改めて考えさせてください」
「そうか!……ありがとう。早速だが、今から僕の屋敷へ向かおう。ヴェロニカ、君はもう用済みだから帰っていいぞ」
「まあ!アリスを連れてきてあげたのは私よ?少しはお礼くらい言いなさいよね」
「ああ、感謝しているよ」
カイル様は心ここにあらずといった様子で、ヴェロニカ様に素っ気なく告げた。彼の頭の中は、すでに弟を治せるかもしれないという希望だけでいっぱいになっているようだった。
「さあ、急ごう、アリス」
カイル様は白衣を脱ぎ捨てると、大股で実験室を飛び出して行った。
「あっ、待ってください、カイル様!」
私も慌てて彼の後ろを追いかける。部屋に残されたヴェロニカ様を振り返ると、彼女は満足そうに微笑みながら、「頑張ってね、アリス」と小さく手を振っていた。
(あの様子だと、やっぱり……カイル様も、ヴェロニカ様の言う攻略対象の一人なんだわ)
ユリアン様、レオン様、そしてカイル様。
ヴェロニカ様が仕組んだ舞台の上を走らされているような感覚に陥りながらも、私は弟を想うカイル様の背中を追いかけ、夕暮れ時の廊下を夢中で駆け抜けるのだった。




