第8話 魔力暴走
お姫様抱っこの体勢のまま、私はレオン様に連れられて医務室へと到着した。
扉が開いた瞬間、中にいた医務の女性教官が、驚きのあまり言葉を失って私たちを凝視した。レオン様はそんな視線を全く気に留める風でもなく、私を近くの椅子へと静かにおろした。
「こいつが足を挫いちまったんだ。先生、診てやってくれ」
「レオン……。あなた、また授業中に他の生徒を怪我させたの?しかも今度は、魔導学科の女の子じゃない」
先生が呆れたようにため息をつく。その口ぶりからして、レオン様が演習中に他の生徒を負傷させるのは、これが初めてではないらしかった。
「俺じゃねぇよ。いや……結果的に俺のせいだけどさ、わざと怪我させたわけじゃねぇって」
レオン様は頭を掻きむしりながら、バツが悪そうに視線を逸らした。先生は私の前に膝をつき、丁寧に足首の状態を確認し始める。
「あなた、魔導学科の生徒ね。お名前は?」
「アリス・ステラ、です」
「アリス。ああ、あなたが噂の……」
先生が何かを知っているような目をした。すると、隣にいたレオン様が、なぜか誇らしげにニカッと歯を見せて笑った。
「先生、こいつの光魔法、すげぇんだぜ!俺の身体強化を乗せた剣を、真っ正面から弾きやがった。大したもんだ」
「はいはい、レオン、あなたはもう授業に戻りなさい。これ以上ここで騒がれると手当ての邪魔よ」
「ああ、わかったよ。じゃあな、特待生。また後でな」
レオン様はそう言うと、嵐のように医務室を出て行った。
静かになった室内で、先生が手際よく私の足首に白い包帯を巻いていく。
「少し腫れているわね。歩きづらいなら杖を貸すけれど、どうする?」
「いえ、大丈夫です。ありがとうございます」
「そう。私はちょっと用事で職員室に顔を出してくるから、痛みが引くまでここのベッドで横になって休んでいなさい」
先生はそう言い残し、医務室の扉を閉めて出て行った。
一人きりになり、私はベッドに腰掛けて、包帯の巻かれた足首をそっとさすった。じわじわと痛む足を眺めていると、さっきまでの出来事が脳裏に蘇って、急に顔が熱くなった。
……抱きしめられたり、お姫様抱っこされたりなんて、今までされたことなかったから……。
思い出しても心臓がドキドキと鳴り止まない。けれど、すぐに私はぶんぶんと首を振った。
(変に意識してしまうのは私だけよね。向こうはただ、私の魔法の強さにしか興味がなさそうだったし)
そのとき、私はハッと自分の手のひらを見つめた。
そうだわ。私、自分の光魔法を使えば、これくらいの怪我ならすぐに治せるじゃない。
レオン様の勢いに圧倒されてここまで運ばれてしまったけれど、本来なら医務室に担ぎ込まれる必要なんてなかったのだ。早く魔法で治療して、授業に戻ろう。そう思い、私が手のひらに魔力を込めようとした、そのときだった。
カチャリ、と静かに医務室のドアが開いた。
先生が戻ってきたのかと思って顔を上げると――そこに立っていたのは、現れるはずのない人物だった。
「ヴェロニカ様……!?」
「あら、アリス。そんなに驚いてどうしたの?私はちょっと、体調が悪くて医務室に休みに来ただけよ」
ヴェロニカ様はフッと不敵な笑みを浮かべ、ゆっくりと部屋の中に入ってきた。どこからどう見ても体調が悪そうには見えない。怪しさ全開の彼女は、私のベッドの脇まで来ると、楽しげに目を細めた。
「で、どうだったかしら?学園一のイケメン騎士、レオン・バルツァーにお姫様抱っこされた気分は?」
冷たい汗が、私の背中を伝った。
なぜ、彼女がそのことを知っているの?模擬戦の時間は、ヴェロニカ様のクラスは別の場所で授業を受けていたはずだ。おまけに、事故が起きてからまだほんの数分しか経っていない。誰かから噂を聞く時間なんて、絶対にないはずなのに。
導き出される答えは、一つしかなかった。
「……これも、あなたの知っている『フラグ』というやつですか?」
「そうよ。あなたがレオンと急接近して、恋に落ちるきっかけになる大切なイベント。今、彼のことを思い出してどんな気持ち?まあ、私にはあなたの気持ちなんて大体お見通しだけどね」
ヴェロニカ様は勝ち誇ったように言った。
(この人は、私がここに運ばれることも全部知っていて、わざわざここに来たんだわ。……まさか、さっき先生が用事で席を外したのも、この人が裏で仕組んだことなの?)
全身に鳥肌が立つような恐怖を覚えながらも、私は彼女を真っ直ぐに見据えて言い返した。
「私は、あなたが本物のヴェロニカ様ではないことを知っています。あなたの思い通りには、絶対にさせません」
「思い通りになっていないかしら?現に、あなたはもうレオンのことが気になり始めているじゃない」
図星を突かれ、私は息を呑んだ。私の心を見透かして操ろうとする彼女のメタ的な知識が、本当に恐ろしかった。けれど、私はここで屈するわけにはいかないのだ。
「……でしたら、ヴェロニカ様。あなたの知っている未来の通りになるというのなら、あなたが破滅することも、もう止められないのではないですか?」
「そうかもしれないわね」
ヴェロニカ様は冷酷な笑みをその唇に湛えた。
「だから、やり方を変えることにしたのよ。アリス、あなたを『バッドエンド』に進ませるわ。考えてみれば、ゲームのアリスのバッドエンドでは、悪役令嬢であるヴェロニカがその後どうなるのかまでは詳しく描かれていなかったもの。あなたが破滅すれば、私の安全は保たれるわ」
「私の……バッドエンド……?」
不吉な言葉に、胸が激しくざわつく。
「何ですか、それは……!」
「そうねぇ、一つだけ教えてあげるとしたら――ユリアンが死ぬわよ」
「えっ!?」
頭を鈍器で殴られたような衝撃だった。ユリアン様が、死ぬ?
「嘘よ……そんなの……!」
「仕方ないじゃない、あなたが私に協力しないのが悪いのよ?私だって、本当は誰も死なない平和な結末が良いけれど、私の命がかかっているんだもの。ま、せいぜい私の掌の上で、必死に踊ってちょうだい」
ヴェロニカ様はひらひらと手を振ると、そのまま流れるような動作で医務室を出て行ってしまった。
一人残された私は、激しい恐怖と混乱で震えが止まらなかった。
彼女は未来を知っている。その知識を使って、世界を自分の望む形へ動かそうとしている。
私がこれから何をしても、すべて無駄なのだろうか。ユリアン様を救うことすらできないのだろうか。
(……いや、待って。ヴェロニカ様が、わざわざここまで来て私にそんなことを言いに来たのはなぜ?)
恐怖に呑まれそうになる頭を、必死に動かす。
私はさっき、怪我を自分の魔法で治して授業に戻ろうとしていた。そのタイミングでヴェロニカ様が現れた。私をこの医務室に閉じ込め、授業に戻らせないようにすることこそが彼女の目的のはずだ。
(だとしたら……私の正解は、今すぐここを出ることよ!)
「光よ、癒やしの息吹を……!」
私は両手を足首にかざし、一気に魔力を解放した。眩い光が包帯を透過し、患部を優しく包み込む。痛みが急速に引き、腫れが引いていくのが分かった。
手応えを感じた私は、すぐに包帯を解き、ベッドから飛び降りた。
足の痛みは完全に消えている。私は医務室の扉を勢いよく開け、模擬戦が行われている演習場へと全力で走った。
◇
息を切らせて演習場に到着した瞬間、私はその異様な光景に目を見張った。
様子が明らかにおかしい。敷地内のあちこちで、何名もの生徒たちが泥にまみれて倒れ、苦しそうに呻き声をあげている。通常の模擬戦による負傷にしては、あまりにも被害が甚だしすぎた。
「アリス!?お前、足は大丈夫なのか!?」
前線の方から、レオン様が焦った様子でこちらに駆け寄ってきた。
「レオン様!これは一体、何があったのですか?」
「魔導学科の奴が魔力暴走を起こしやがってな!周囲の奴らを敵味方関係なく吹っ飛ばしたんだ。」
魔力暴走…!魔力のコントロールが不慣れな状態で無理に魔法を使いすぎて起こる。自分で魔力を止められなくなって魔力が体中から放出される現象だ。
「俺は魔法は専門外だから止めようがなくてな。そいつの魔力が尽きるまで、周りの奴らを盾で守るくらいしかできなかった」
レオン様が指差した先には、一人の男子生徒が完全に意識を失って地面に倒れていた。その身体からは、魔力の気配が完全に消え失せている。
「魔力切れの状態で放置していたら、魔力欠乏症を起こして、このまま昏睡状態になってしまう可能性があります!意識が戻っても魔法が使えなくなるかもしれません。」
「ああ、だから教官たちが魔力回復のポーションを飲ませようとしてるんだが、意識がねぇから全然喉を通らなくてな。今、高魔導学科の特級クラスから応援の専門医を呼んでるみたいだが、間に合うかどうか……」
先生たちは必死に生徒の口元に瓶を当てているが、生徒はピクリとも動かない。このままでは命に関わる。
(先生たちの応援を待っている時間なんてないわ!)
私は迷わず、倒れている生徒のもとへと駆け寄った。
「先生、ちょっと退いてください!」
「ステラさん!?今は手が離せないんだ、危ないから離れていなさい!」
「今から私が、彼の身体の中に直接魔力を流して回復させます。早く離れて!」
私のただならぬ気迫に押され、先生たちは慌てて生徒から手を離した。
私は生徒の胸元に両手をかざし、純粋な光の魔力を紡ぎ出した。
(光魔法は、あらゆる不調や病を退ける癒やしの力を持っていると文献にあった。魔力欠乏症も一種の病であるなら、絶対に治せるはず……!)
私は自分の魔力を極限まで細く、優しくコントロールし、彼の体内の枯渇した魔力回路へと滑り込ませた。滞っていた彼の魔力を刺激し、自己回復力を爆発的に高めていく。全神経を集中させるにつれ、私の額から汗が滴り落ちた。
やがて――男子生徒の胸が大きく上下し、「う、ううん……」と小さな声を漏らして、うっすらと目を開けた。
「おお……!意識が戻ったぞ!」
周りの先生たちから、一斉に歓声があがる。
いつの間にか高魔導学科の先生も来ていた。
私はふう、と深く一息をつき、光魔法の展開を解除した。少しふらついたけれど、何とか持ちこたえる。
「まだ魔力の回復は完全ではありません。すぐに静かな場所で休ませてあげてください」
「すごいな、ステラさん……。まさか光魔法で、他人の魔力の回復までしてしまうなんて……!」
「いえ、私はそんな…。彼の自己回復力を高めただけです。」
先生たちが驚愕の目で見つめるなか、ドン、と私の肩に大きな手が置かれた。
「物凄いことだぜ、お前!自分の力で一人救ったんだ、もっと自信持てよな!」
いつの間にか隣にいたレオン様が、眩しいほどの笑顔で私の肩を叩いた。その真っ直ぐな称賛に、私は少し照れ臭くなって俯いた。さっきまで私を平民だと馬鹿にしていた魔導学科の生徒たちは、気まずそうに顔を背けている。
私がもう少し来るのが遅ければこの男子生徒の意識は戻せなかったかもしれない。それがヴェロニカ様の狙いだったら、防ぐことができてよかった。
けれど、そんな喧騒から遠く離れた演習場の入り口で、一人の生徒が足を止めてその光景をじっと見つめていた。
高魔導学科の特級制服を身に纏った、端正な顔立ちの男子生徒。
「先生たちが血相を変えて走っていくから何かと思えば……あれが、失われたはずの『光魔法』か。へぇ、実に興味深いね」
高魔導学科の生徒の中でトップに君臨し、若き「天才魔導士」と名高いカイル・リーズベルトは、不敵な笑みを浮かべながら、アリスの放った光の残滓を冷たい瞳で見つめるのだった。




