第5話 ヴェロニカの狙い
翌日のお昼休みも、私はヴェロニカ様に誘われ、食堂で一緒に昼食を食べていた。
目の前には、白磁の皿に美しく盛り付けられた焼き菓子がある。
「今日はね、私の屋敷の料理長に特別に作ってもらったクッキーを持ってきたのよ。とても美味しいから、一緒に食べましょう?」
ヴェロニカ様はそう言って、優しい笑みを私に向けてくる。パメラさんとミレイユさんも「まあ、素敵ですわ」などと言いながら、和やかにお茶を楽しんでいる。
公爵令嬢からの直々のもてなし。本来なら平民の私など到底あずかれない光栄なことなのに、今の私には素直に喜べなかった。
頭のなかを占拠しているのは、昨日の放課後、図書館で聞いてしまった、ヴェロニカ様のあの奇妙で不気味な独り言だ。
『図書館でのユリアンとアリスの密会イベントは、これからは私が毎日昼食に誘っていれば阻止できる』
彼女の優しさは、私をユリアン様から遠ざけるための計算されたもの。そう思ってしまうとすべてが疑い深くなって考えてしまう。
「どうしたの?アリス。なんだか暗い顔をして。お口に合わなかったかしら?」
ヴェロニカ様が小首を傾げ、覗き込むようにして尋ねてきた。
ハッとして、私は慌てて笑みを作った。ここで彼女に怪しまれて、警戒を強められてはたまらない。
「い、いえ!そんなことはありません、とっても美味しいです!……そうだ、私、午後の授業の準備がありますので、今日はこれで先に失礼しますね」
そう言って、私は逃げるように席を立とうとした。今からなら、ほんの少しだけでも図書館へ行って、ユリアン様の顔を見られるかもしれない。そんな淡い期待を抱いた、そのときだった。
「……図書館に行くの?」
ヴェロニカ様の声が、それまでの明るさとは打って変わって、ひどく静かなトーンへと落ちた。
一瞬、背中に冷たい氷を押し当てられたようにビクッと身体が強張る。見透かされている。やっぱり、彼女は私がどこに行こうとしているのかを全部知っているのだ。
「は、はい……。あの、次の授業で使う参考書を借りようと思いまして。本は高価で、私のような平民には滅多に買えませんから……」
必死に言い訳を紡ぎ出す私を見て、ヴェロニカ様は一瞬だけ何かを考えるような目をしたが、すぐにまた、いつもの明るい口調へと表情を切り替えた。
「それなら私も行くわ!クッキーなんていつでも食べられるもの。パメラ、ミレイユ、あなたたちはここでクッキーを食べてていいわよ」
「えっ!?ヴェロニカ様、図書館などへ行かれるのですか?」
驚く取り巻きの二人を置いて、ヴェロニカ様はすっと席を立った。
やっぱり彼女は、私がユリアン様と会おうとする瞬間を、異常なまでに警戒し、妨害しようとしている。
「でも……本当に、ただ本を借りるだけですよ?」
「いいのよ。私はもっとアリスとお話ししたいって思っているんだから。さあ、行きましょう?」
あまりにも強引な態度。けれど、平民の私に公爵令嬢の決定を覆す権利などあるはずもない。私は「……わかりました」と視線を落とし、彼女の後に続くしかなかった。
◇
図書館に到着し、広大な静寂が広がる空間に、私とヴェロニカ様の二人分の足音だけが小さく響く。
次の午後の授業は算術だ。私は目的の参考書が並ぶ、部屋の少し奥まった棚へと足を向けた。ヴェロニカ様も、退屈そうに私の後ろをついてくる。
彼女は棚に並ぶ背表紙を手でなぞるようにしながら、ふと、ボソッと小さな声で呟いた。
「算術ねえ……。魔法以外の座学の授業って、本当に小学生レベルなのよね……」
ショウガクセイ?
私は本に伸ばしかけた手を止めそうになった。まただ。聞いたことのない、奇妙な単語。
やっぱり……ヴェロニカ様は、私たちの知らない『何か』を知っている…。
動揺が波のように押し寄せてくるけれど、私は気づかないふりをして、そのまま棚から一冊の参考書を抜き取った。
そのとき、背後の通路から、聞き慣れた声が響いた。
「やあ、アリス。昨日はいなかったけど、今日は勉強か?――って、ヴェロニカ?君がこんなところにいるなんて珍しいな」
振り返ると、そこには驚いたように目を丸くしているユリアン様が立っていた。
「ユリアン様……!」
私がその名前を口にするよりも早く、隣にいたヴェロニカ様が、流れるような美しい動作で完璧な一礼をして、挨拶をした。
「あら、ユリアン様。ご機嫌麗しゅう。ユリアン様こそ、図書館にいらっしゃるなんて珍しいですわね」
「ああ、あまり目立ちたくなくてね。最近はお昼休みによくここに来ていたんだ。……ところで君たち二人がいるなんて、知り合いだったのか?」
ユリアン様の視線が、私とヴェロニカ様の間を往復する。ユリアン様は、公爵令嬢で婚約者でもあるヴェロニカ様と私が一緒にいることを、純粋に不思議がっているようだった。
「ええ、つい最近、とても仲良しのお友達になりましたの。……ユリアン様も、アリスとずいぶん親しげなご様子ですけれど?」
ヴェロニカ様の言葉に、ユリアン様は人懐っこく笑った。
「そうか、それは良かった!実は俺もアリスと友達になってね。お昼時間に、ここでよく話をしていたんだ」
「まあ、そうなんですのね。アリスはクラスで皆と中々馴染めていないみたいに見えましたので……私、クラスは違いますけれど、心配になって声をかけさせていただきましたの。ねえ、アリス?」
ヴェロニカ様が私を振り返り、優しく微笑みかけてくる。
(そんな嘘を、よく平然と言えるのね)
ヴェロニカにされたイジメを思い出させられる。一番の主犯格はあなた自身なのに。
けれど、そんな真実をユリアン様の前で暴露できるはずもなかった。彼はこの国の第一王子で、ヴェロニカ様はその立派な婚約者だ。私のようなただの平民の言い分と、未来の王妃の言葉。どちらが信じられるかなど、火を見るより明らかだった。
私はただ、拳を小さく握りしめて俯くことしかできない。
「そうか。でも、ヴェロニカがついていてくれるなら安心だな」
ユリアン様は完全にヴェロニカ様の言葉を信じ、安心したように私を見て微笑んだ。
「アリス、ヴェロニカは俺の婚約者なんだ。もし学園生活で困ったことがあれば、何でも彼女に相談するといい。女性同士の方が、きっと会話も弾むだろう?」
その言葉を聞いた瞬間、私の頭のなかが血の気が引くように冷たくなった。
(しまった……!ヴェロニカ様の狙いは、これだったのね……!)
ようやく理解した。私とユリアン様が毎日お昼休みに図書館へ足を運んでいたのは、二人とも学園に馴染めなかったからだ。私が「学園に馴染めず一人きりで困っている平民」ではなく、「婚約者であるヴェロニカの友人」になったのだとしたら、私が一人で図書館にいる理由がなくなってしまう。
ヴェロニカ様はさらに追い打ちをかけるように、美しい笑みを崩さないまま言った。
「ユリアン様も、せっかくのお昼休みに図書館へこもってばかりおられないで、たまには外で身体を動かされたらいかがですか?」
「それもそうだな。……よし、レオンに声をかけてみよう。あいつ、昼休みも剣術の練習ばっかりしているから、たまには俺が相手をしてやらないとな」
「ふふ、レオン様は騎士団長であるお父様を目指して、いつも熱心に励んでおられますものね」
ヴェロニカ様の狙い通りに、会話が進んでいく。彼女は私を遠ざけるだけでなく、ユリアン様自身が毎日この図書館にやってくる理由も消し去ろうとしている。このままでは、ユリアン様との繋がりが完全に断ち切られてしまう。
強い焦燥感が私の胸を突き動かした。平民の私が、これ以上何を言っても無駄かもしれない。それでも――ここで何も言わずに引き下がることだけは、絶対に嫌だ。
「あの……!ユリアン様」
私は、震えそうになる声を必死に張り上げて、ユリアン様の青い瞳を真っ直ぐに見つめた。
「どうしたんだ?アリス」
「私にとって……、ユリアン様が、この学校で出来た、最初のお友達ですから。……だから、また、機会がありましたら、ぜひお話しさせてください」
今の私に言える、精一杯の抵抗だった。
ユリアン様は一瞬驚いたように瞬きをしたが、すぐにいつもの優しい微笑みを浮かべて頷いてくれた。
「ああ、もちろんだ。……そろそろお昼休みも終わるな。それじゃあ、またな、二人とも」
ユリアン様はそう言い残し、軽い足取りで図書館を出て行った。
彼が去った後、私は無言で参考書の貸出手続きを済ませ、ヴェロニカ様と共に図書館を後にした。教室の前まで来ると、ヴェロニカ様は何事もなかったかのように「じゃあね、アリス」と満面の笑顔で手を振り、自分の教室へと戻っていった。その笑顔が、今は何よりも恐ろしい。
やっぱり、確実だわ。あのヴェロニカ様は、私とユリアン様が親しくなるのを全力で防ごうとしている。
席に座り、私は机の上で深く考え込んだ。
けれど、どうしてこんなにも回りくどい方法をとるのだろう。公爵令嬢の権力を使えば、「王子に近づくな」と私を直接脅して学園から追い出すことだって簡単にできるはずなのに。それをしない、あるいは「できない理由」が、彼女にはあるのだろうか。
ふと、窓の外に目をやる。
さっきまで晴れていたはずの青空はいつの間にか消え失せ、どんよりとした灰色の雲が広がり始めていた。空気も心なしか湿り気を帯びている。
もしかしたら……雨が降るかもしれない。
ヴェロニカ様が昨日の図書館で必死に警戒していた、あの言葉が脳裏をよぎる。
『次は確か、雨のイベントね。絶対に、雨の日にアリスとユリアンを合わせるわけにはいかないわ』
もし雨が降ったら、今日、またあの人が何かを仕掛けてくるに違いない。
そう思うと手が震える。けれど、ユリアン様との大切な時間をこれで終わらせたくない。次は私から仕掛ける番だ。




