第20話 迫りくる厄災
今朝、私は学園の事務室に退学届を提出した。両親には「授業の難易度が高すぎてついていけない」と嘘の理由を告げ、どうにか説得したのだ。
受理されるまではまだ数日間学園に通わなければならないけれど、これ以上誰も巻き込まないよう、余計な関わりを持たずに静かに過ごそう――そう心に決めていた。
「おはようございます、アリスさん」
教室に入ると、いつも一番早く教室にいるフェリクス様がいつものように優雅な微笑みで声をかけてくれた。
「……おはようございます、フェリクス様」
短く、当たり障りのない返事だけを返し、私は俯いて自分の席へとついた。
ごめんなさい、フェリクス様……。でも、これでいいの。
◇◇◇
放課後。一刻も早くこの場を去ろうと急いで帰宅の準備をしていると、教室の扉が勢いよく開いた。
やってきたのは、高魔導学科のカイル様だった。校舎も違う特級クラスの彼が、なぜわざわざ魔導学科Bクラスの教室に……?疑問に思う私の元へ、カイル様は迷いのない足取りで近づいてきた。
「アリス……君、学園を辞める気かい!?」
「っ……!」
まだ一部の先生しか知らないはずなのに、なぜ――息を呑む私の姿を見て、教室に残っていたノア君とフェリクス様が瞬時に反応した。
「おい!辞めるってどういうことだよ!?」
「アリスさん……本当ですか?」
ノア君が机を蹴るようにして立ち上がり、フェリクス様が真剣な眼差しで私を直視する。
「……はい。私には、やっぱりこの学園の生活は難しすぎました。実家のパン屋のお手伝いに専念しようと思っています」
「お前……!俺に辞めるなとか言っておきながら、自分が辞めるのかよ!」
「もしかしてアリスさん……一昨日の図書室での出来事が原因ですか?」
フェリクス様が気遣うように尋ねてくる。
「違います!ごめんなさい……でも、もう決めたことなんです」
俯く私を見て、カイル様は深く重い溜め息を吐いた。
「そうか……君の魔法は、きっとこれからこの国の大きな力になると思っていたのだがね。……ヴェロニカも、相当ショックを受けていたようだよ」
「ヴェロニカ様が……ですか?」
顔を上げると、カイル様は頷いた。
「ああ。君が退学届を出した理由を知らないか聞きに行ってみたんだが、初耳だったみたいでとても驚いていたよ。そのあと、僕が話しかけてもまるで聞こえていないみたいに、どこかへ歩いて行ってしまったんだ」
ヴェロニカ様が?私が自主的に学園を辞めれば、ヴェロニカ様にとっては破滅を回避できたはずなのに……。私の行動に、何か問題があったのかしら?
嫌な胸騒ぎが広がっていく。そこへ、焦った様子のユリアン様とレオン様が教室へと駆け込んできた。
「アリス!ヴェロニカを知らないかい!?」
「ユリアン様……?いえ、私は何も……」
息を切らすユリアン様に、カイル様が声をかける。
「ユリアン殿下。ヴェロニカなら午後の授業の直前に見かけましたが、何かあったのですか?」
「迎えの従者が『ヴェロニカ様が来ない』と言ってきたんだ。周りの生徒に確かめたら、彼女、午後の授業に出ていなかったみたいなんだよ」
午後からヴェロニカ様がいなくなった……?どうして?
「やっぱり、一人でさっさと帰っちゃったんじゃないですかね、ユリアン様」
レオン様が気楽な調子で肩をすくめるが、ユリアン様の表情は固い。
「だとしても、何も言わずに授業をサボるような真似をするやつじゃない」
「……アリスが学園を辞めるのが、そうとうショックだったのかな」
カイル様がぽつりと呟いた言葉に、レオン様が叫んだ。
「えっ!?アリス、お前学園辞めるのかよ!?」
「アリス……学園を辞めるって、本当なのか……!?」
ユリアン様までが信じられないといった目で私を見つめてくる。
「っ……!いえ、今は私のことよりヴェロニカ様です!」
(なんだか嫌な予感がする……!もしかして今のこの状況は、ヴェロニカ様にとって一番良くない展開になっているんじゃ……!?)
その瞬間――。
ドズズズズズンッ……!!!!
腹の底に響くような凄まじい地響きが起き、校舎全体が激しく揺れた。
「な、なんだ!?地震か!?」
ノア君が倒れそうになりながら叫ぶ。揺れは数秒で収まったものの、廊下から担任の先生が慌ただしく顔を出した。
「全員、すぐに校庭へ避難しなさい!急いで!」
「とにかく外へ出よう。もしかしたらヴェロニカも外にいるかもしれない」
カイル様の指示で、私たちは急いで校庭へと避難した。
◇◇◇
避難した校庭には、まだ下校していなかった生徒たちが集まっていたが、そこにヴェロニカ様の姿はなかった。
「ここにもいないようだな……。やはり何か事件に巻き込まれたのかもしれない」
ユリアン様が痛ましげに表情を歪めた、その時だった。
周りにいた生徒たちの間で、ざわめきが波のように広がっていった。
「何だ……?みんな空を見上げて……」
レオン様が生徒たちの視線の先――上空を仰ぎ見る。
はるか上空の雲を突き破り、何かが一直線にこちらへ向かって飛翔してきていた。遠くからでもはっきりと分かる、尋常ではない大きさ。
「ど、ドラゴンだぁぁぁっ!!」
誰かの悲鳴が校庭に響き渡った。
全員が一斉に同じ空を見上げる。漆黒の巨大な翼を広げ、圧倒的な威圧感を放ちながら一直線に学園へと迫ってくる。距離が縮まるにつれ、その威容が露わになっていく。
全身を覆う禍々しい黒鱗に、灼熱の威圧を放つ金色の瞳。
「あの姿……!文献にあったエンシェントドラゴンか!?」
カイル様が驚愕の声を上げた。
エンシェントドラゴン……!大昔にこのアストリア聖王国を襲い、国土の四分の一を壊滅させたという、最悪の厄災!
「でもエンシェントドラゴンって、昔、火の聖女によって封印されたって伝承じゃなかったか!?」
レオン様が剣の柄に手をかけながら叫ぶ。
「ああ。当時の火の聖女でさえ倒すことができず、封印するのが限界だったと伝わっている。その封印場所は誰も近づけない所としか記録されておらず、具体的な場所は失われていたはずだ……!」
カイル様が叫ぶように答える。
「そんなおとぎ話に出てくるようなバケモノが、なんでこんな場所に飛んできてんだよ!」
ノア君が顔を青ざめさせながら結界の構えをとる。
やがて学園の上空に到達した黒竜は、巨大な翼で羽ばたきながら、ぴたりと旋回を止めた。そのあまりの巨体に、学園全体が巨大な影に覆われる。
「……ドラゴンの背の上に、誰か乗っていますね」
フェリクス様が静かに上空を指さした。
「あれは……!?」
ユリアン様が目を見開き、息を飲んだ。
黒竜の頭上に君臨し、見下ろしてくるその人物は、優雅にドレスの裾を揺らしながら艶やかに微笑んでいた。
『皆様、ごきげんよう。……最後のお別れの挨拶に伺いましたわ』
最悪の厄災であるエンシェントドラゴンを従えていたのは、失踪したはずのヴェロニカ様だった。




