第19話 覚醒する悪役令嬢
(ヴェロニカ視点での話)
フェリクスがこの学園にやってきてから、すでに数日が経過していた。
学園の教室で、私――ヴェロニカ・アイゼンベルクは一人自席に座り、激しい焦燥感の中で思考を巡らせていた。
どうして……?どうしてまだフェリクスが動き出さないのよ……!?
この乙女ゲーム『きらめく星の恋人達』において、フェリクスの登場でストーリーは大きく変わる。本来なら、アリスを巡っていくつものバッドエンドフラグが乱立している時期なのに、あの子はまさかそのすべてを回避したというの……!?
フェリクスが現れた瞬間、私は心底胸を撫で下ろしていた。彼さえ来れば、アリスのバッドエンドはもう秒読み段階に入ったようなもの。そう高を括っていたからこそ、ここ数日は余計な介入をせず静観を貫いていたのだ。
ユリアンからも何度か話しかけられたけれど、無視に近い態度を取り続けていた。……もうすぐユリアンが殺されてしまうと思うと、下手に情が移って情けをかけてしまわないか怖かったから。
けれど、いくら何でもおかしいわ。まだ回収されていないフラグはあるはず……。でも万が一、それさえもあの子に回避されてしまったら……逆ハーレムルートが完全に確立してしまう!
逆ハーレムルートの結末――それは、悪役令嬢である私の破滅。
それだけは、何としても絶対に避けなければならない。
こうなったら少し危険だけど、フェリクス本人に直接接触して、あいつがアリスをどう思っているのか聞き出すしかないわ。あいつの反応を見れば、今どのルートにいるのかが掴めるはず。
昼休み。私は食堂に姿を現したフェリクスを見つけ出した。パメラとミレイユに指示を出し、彼を私の席まで連れてこさせる。
「アイゼンベルク公爵家のご令嬢が、僕に何の御用でしょうか?」
フェリクスは貼り付けたような優雅な笑みを崩さず、礼儀正しく問いかけてきた。
「ゼノヴィア王国から来たという留学生が、一体どんな方なのか気になりましてね」
「そうですか。ですが、僕は特に何の取り柄もない男ですよ」
「ふふ、謙虚なのね。……カイルから少し聞いたわ。あなたの魔法について。……本当に風魔法なのかしら?」
「ええ、風魔法ですよ」
「風ねぇ…。私はてっきり影のようなものかと思ったけど。私の思い違いなのね」
「……」
本当はカイルから何も聞いてなどいない。けれど、私は少しカマをかけて揺さぶってみたのだ。
フェリクスは風魔法を使っているように見せかけているが、真の属性は闇。影を空気のように操って周囲の目を誤魔化しているだけだ。影の中に隠れることもでき、アリスを監視しているため自分の魔法を隠していた。ゲームの知識を持つ私にとって、そんな裏設定は当然知っていて当たり前の情報である。
一瞬、フェリクスの美しい顔から笑みが消え、瞳の奥に鋭い光が宿ったのを私は見逃さなかった。
「ふふ、留学生とは仰いますけれど、本当にただの文化交流が目的なのかしら?私はユリアン殿下の婚約者ですもの。このアストリア聖王国に何か良からぬことが起こるのは困るのよ」
「……そんな。僕は父に勉強しろと命じられてこの国へ来ただけで、それ以上に他意などありませんよ」
一瞬でいつもの柔和な笑みに戻したフェリクスだったが、確実に動揺は与えられたはずだ。
「まあ、いいわ。……ところで、あなたと同じクラスにアリスがいるでしょう?私はあの子と友達なんだけと、最近少し会えていなくてね。元気かしら?」
「アリスさんですか。彼女はとてもお元気ですよ。……お優しくて、素敵な方ですね」
「そう。それなら良かったわ。時間を取らせてしまってごめんなさいね、もう行って結構よ」
「そうですか。では、僕はこれで失礼いたします」
フェリクスはすっと一礼すると、学食の別の席へと戻っていった。
(あの様子じゃ、アリスに対して好意的なのか、それともまだ観察対象として見ているだけなのか分からないわね……。スパイとしての本来の目的を忘れさせないよう揺さぶりはかけたけれど、私はこれからどう動くべきか……)
◇◇◇
その数日後のことだった。
カイルが、これまで見たこともないような慌てた様子で私に駆け寄ってきた。
「ヴェロニカ!アリスが学園を辞めるって……!何か理由を聞いていないかい!?」
「学園を辞める……!?うそでしょ!?」
私は思わず素の声を上げて絶句した。
「君も知らなかったのか……!さっき特待生が退学届を出したという話を先生たちが話しているのを聞いたんだ。誰のことか確かめたら……アリスだった」
このタイミングで退学……!?嘘でしょ……これって逆ハーレムエンドの確定ルートじゃない!!まさかあの子、ユリアンとフェリクスの選択を回避したっていうの!?
脳内でゲームの知識が目まぐるしく駆け巡る。
――ユリアンとフェリクスが対立するイベント。アリスはフェリクスから『どちらを選ぶのか』と選択を迫られる。
フェリクスを選べば、そのまま彼との個別ルートへ。
ユリアンを選べば、ヤンデレ化したフェリクスによってアリスが襲われ、庇ったユリアンが死ぬバッドエンド。
ユリアンもフェリクスも誰も選ばない選択をしても、アリスが国の王子と深い交友関係にある以上、将来的にゼノヴィアの脅威になると判断したフェリクスによって暗殺ルートへと突入する。
そして……逆ハーレムルートにおける唯一の正解の選択肢。
それは――告白した上で、自ら学園を去る。という決断。
アリスが自らを引くことで、男たちが全員「彼女を引き留めなければ」と必死になり、一致団結して彼女を追いかける大団円ルートへと入ってしまうのだ。
今のアリスなら、ユリアンを選ぶか、おどおどして誰も選べないはずなのに……!なんでここで『正解』を選んでしまっているのよ!?
血の気が引いていく。
どうするの……!?このままじゃ、私が破滅する……!どうしたらいいの!?この後のシナリオって、一体何だったかしら!?
頭の中がぐちゃぐちゃに混乱し、視界が歪む。
「ヴェロニカ?どうしたんだい……?」
心配そうに話しかけるカイルの声を無視し、私はフラフラとした足取りで歩き出した。
目的もなく、ただ必死に足を動かして校舎の外へと出る。
破滅するなんて嫌だ……!死ぬのも嫌だ!追放されるのも嫌だ!!嫌だ、嫌だ、嫌だぁぁぁっ!!
頭を抱えて叫び出そうとした、その瞬間――。
ズキンッ!!!!
頭痛なんて生易しいものではない。まるで頭蓋骨を極大のハンマーで打ち砕かれたかのような、強烈で凄まじい衝撃が脳内を駆け抜けた。
「ぐっ……!?あがっ……痛い……!なに、これ……っ!?」
あまりの激痛に耐え切れず、私はその場に崩れ落ち、芝生の上で膝を折った。視界が真っ赤に染まり、意識が急速に遠のいていく。
……やがて。
鳴り止まなかった激しい頭痛が、嘘のように引き去っていった。
静まり返った中庭で、四つん這いになっていた私の唇から、ゆっくりと低く乾いた笑い声が漏れ出した。
「……ふふ……ふふふふ……っ。そういうこと、ね」
ゆっくりと立ち上がる。
その立ち姿、佇まい、そして瞳に宿る冷徹な光は、先ほどまでの「焦り狂う転生者」のそれとは完全に異なっていた。
「まさか……この世界がゲームで、私がその悪役だなんてね……」
冷笑を浮かべ、自分の爪を眺める。
消えていたはずの「本物のヴェロニカ・アイゼンベルク」の意識が、完全に覚醒したのだ。それも、これまで身体を乗っ取っていた転生者の持っていた知識を、すべて残さず引き継いだ状態で。
「忌々しいあの平民が主人公?……ふん、ふざけたお戯れですこと。こんな世界……どうせ破滅するくらいなら、私がこの手で滅ぼして差し上げますわ」
本物のヴェロニカは、転生者の記憶を振り返り、心底呆れたように鼻で笑った。
「大体、やり方が回りくどすぎるのよ。私が死ぬ原因があの不快な平民だというのなら……最初からさっさと殺しておけば良かっただけの話でしょう?」
深紅の瞳に、悪意と狂気が渦巻く。
「……まあいいわ。せっかく手に入れたこの知識……試してみましょう。あの禁忌を使って……アレを蘇らせてみせるわ」
不敵で妖艶な笑みを浮かべると、ヴェロニカは一度も振り返ることなく、優雅な足取りで学園を後にしたのだった。




