第2話 公爵令嬢の矜持と異世界転生
(ヴェロニカの視点での話)
「ヴェロニカ様。あの平民、いましたわ。どうやらテラスで昼食を食べるみたいです」
取り巻きの女子生徒が耳元でそう囁いた瞬間、私の口元には自然と冷ややかな笑みが浮かんでいた。
視線の先、日当たりのいい外のテラス席に、ぽつんと座っている女がいる。特待生のアリス・ステラだ。
風になびく彼女の髪は、腰に届きそうなくらいに長い綺麗な金色。……元は冴えない黒髪だったらしいけれど、稀少な光魔法に目覚めたせいで、そんな光り輝くような色に変異したのだという。
そのせいで平民のくせに、見た目だけは私たち貴族の令嬢にも劣らない。その上、勉強までできるようで、先日も貴族の生徒たちが大勢いる前で、難解な魔法理論の問題にすらすらと答えてみせた。本当に、虫唾が走るほど鼻につく女だ。
私は取り巻きを引き連れて、アリスが座っているテーブルの前まで優雅に歩み寄った。
見れば、手元にある小さな木箱には、何か適当な具材を挟んだだけの不格好なパンが入っている。それだけ。実に貧相で、惨めな食事だ。
(少し、身の程を教えてやりましょう)
私は形の良い眉をあざとくひそめ、冷徹な声を放った。
「あら、そんな貧乏くさいお弁当をこの学園に持ち込まないでくださらない?見ているだけで食欲が無くなりますわ」
そう言って、私は手袋をはめた手で彼女の弁当箱を容赦なく横へとはじき飛ばした。
ガタタッ、と乾いた音が響き、テーブルから落ちた弁当箱が床の石畳の上で無残にひっくり返る。中身のパンが転がり、土埃に汚れていく。
私の背後に控えていた取り巻きたちが、それを見てクスクスと品性のない笑い声を上げた。
「そうですわ。あなたのような平民の分際が、私たちと同じテーブルで食事をしようなんて図々しいのよ。ほら、その地面に落ちたエサを、這いつくばって食べたらどうかしら?」
(あら、面白いことを思いつくじゃない)
この生意気な平民女に、徹底的に身の程をわきまえさせてやるには格好の提案だ。私はさらに声を弾ませ、サディスティックに微笑んだ。
「ふふ、いいわね、それ。私たちが見ててあげるわ。ほら、早く食べなさいよ、特待生様?」
アリスは黙って下を向いたまま、肩を小さく震わせていた。そのまま泣いて私に謝るかと思いきや、彼女は泥のついた弁当箱を素早く拾い上げると、何一つ言葉を発することなく、そのまま脱兎のごとく走って逃げ出してしまった。
「あら、逃げましたわ。不作法な野良犬ね!」
私が吐き捨てると、取り巻きの令嬢たちも一斉にどっと笑い声を上げる。
まあいいわ。これだけ恥をかかせてやれば、あの女も少しは大人しくなるでしょう。平民のくせに、これでもまだ目立つような真似をするなら、その時は何度でも思い知らせてやるだけだ。
「貧乏平民がいなくなったら、なんだか急に食欲が回復したみたい。私たちもお昼にしましょう」
「そうですわ。ヴェロニカ様。行きましょう、あちらへ」
取り巻きたちに案内され、私たちは賑わう食堂の中へと入っていく。
向かったのは、学園の食堂のなかで一番奥にある、一段高くなったテーブルだ。この学園の席は一応「自由」ということになってはいるけれど、私が「ここに許可なく座るな」と厳命してあるため、今は誰も近づこうとすらしない。私の完全な指定席だ。
あの忌々しいアリス・ステラは、入学初日にこの席に座っていた。私が「そこは私が座るからどきなさい」と注意してやったとき、あの平民は何を勘違いしたのか「それなら一緒に食べましょう!」などと身の程知らずな戯れ言をほざいてきたのだ。思い出すだけでも不愉快極まりない。
席に着くと、給仕の手によって見事な宮廷料理が次々と運ばれてくる。
この魔法学園では「身分に関係なく生徒は全員平等」などという綺麗事が掲げられているけれど、そんなものはただの建前だ。学園を一歩出れば、そこには厳然たる貴族の階級社会が待っている。現実を分かっている賢い者たちは、今のうちに私に媚を売り、必死に取り入ろうとしてくる。
当然だ。私は泣く子も黙るアイゼンベルク公爵家の令嬢であり、アストリア国の次期国王と目されるユリアン・オーレリアス・アストリア第一王子殿下の、唯一無二の婚約者なのだから。今のうちに私に名前と顔を覚えさせておくことこそが、彼女たちの一族の未来を左右するのだ。
「さあ、あなたたちも座って食べなさい。この学校では皆平等なのだから、一緒に食事をするのがマナーでしょ?」
「はい!ヴェロニカ様!」
私が寛大に許可を与えると、取り巻きたちは嬉々として返事をし、自分たちの食事を運んできて私の周りを囲むように席についた。
このくらい周囲に気を配ってあげないとね。いずれこの国の王妃となる身なのだから、日頃から国民に寄り添う慈悲深さを見せておかなければ。
……まあ、あの平民女だけは完全に例外だけれど。
私は、先ほど逃げ出したアリス・ステラの顔を思い出し、胸の内で毒を吐く。
アリス・ステラ。街で馬車の馬が暴走して子供が怪我をした時、偶然近くにいた彼女が子供を助けるため魔法に目覚めたのだという。そして、重傷を負った子供の怪我を、まばゆい光魔法であっという間に治してしまった。
それを見た無知な庶民どもが、彼女を「聖女の再来だ」と騒ぎ立てたとか。
それで特待生として魔法学園に招かれるなんて、ちゃんちゃらおかしいわ。そんな都合よく強力な魔法が使えるなら誰も苦労しない。どうせ、あの女が自分を目立たせるために仕組んだ自作自演の茶番に決まっている。
ちなみに、私の持つ魔法属性は「火」だ。このアストリア国の国旗にも描かれている、太陽を象徴するもっとも高貴で強力な属性。歴代の聖女にも火魔法を使い、国を守った火の聖女と呼ばれた者もいた。
王妃として相応しいのは、どう考えても光なんていう胡散臭い魔法ではなく、私の火属性だ。私の方が、あの平民なんかより何百倍も優れているのよ。
そう、心の中でアリスへの対抗心を燃やし、優越感に浸っていた、そのときだった。
――ドクンッ!!
唐突に、脳髄を直接太い杭で貫かれたかのような、凄まじい衝撃が走った。
「っ……ああああっ!?」
経験したことのない激しい頭痛が私を襲う。私は悲鳴を上げ、思わず両手でガンガンと鳴り響く頭を強く押さえつけた。あまりの激痛に、視界が真っ赤に染まる。
「ヴェロニカ様!?どうされたのですか!」
「大丈夫ですか!?誰か、誰でもいいから早く先生を呼んでちょうだい!!」
周囲で取り巻きの令嬢たちが椅子をひっくり返し、慌てふためいて私に駆け寄ってくる気配がする。空間がうるさく騒ぎ立てている。けれど、彼女たちが何を言っているのか、今の私には一切聞き取れなかった。
代わりに、私の脳のなかに、私のものではない「見知らぬ記憶」が、濁流のようになってドクドクと強制的に流れ込んできていた。
にほん?こうこう?おしめん?
何よ、これ。何なのよこれ!!
わけのわからない単語や、見たこともない四角い建造物が立ち並ぶ奇妙な景色、鉄の塊が道を走る異様な世界――体験したはずのない別の誰かの人生が、私の意識を容赦なく塗りつぶしていく。思考がバラバラに引き裂かれそうで、私はただ混乱の極みのなかで、声にならない悲鳴を上げ続けた。
やがて――嵐が去るように、激しい頭痛がピタリと治まった。
私は頭を抱え込んだ姿勢のまま、机に突っ伏してハァハァと荒い息を吐き出す。ピチピチと跳ねていた脳細胞が、急に冷え切っていくような感覚だった。
「……ヴェロニカ様?」
横から、恐る恐る、心配そうに私を覗き込んでくる女性の声が聞こえる。
ヴェロニカ様?
今、私のことを、そう呼んだ?
え……誰?ここは、どこ……?
私はゆっくりと、鉛のように重い頭を持ち上げた。
目を開けると、そこには中世ヨーロッパ風の、クラシカルで豪華な制服を着た綺麗な女の子たちが、私の顔を涙目で囲むように見つめていた。
みんな、すごく心配そうな顔をしている。
(何これ……?っていうか、え?私、ついさっきまで、自分の部屋でベッドに寝転がってスマホを見てたはずじゃ……)
呆然とする私に、一人の女性が泣きそうな声で話しかけてくる。
「ヴェロニカ様……ひどく頭を抱えて苦しまれていましたけれど、本当に大丈夫ですか?お医者様を……」
やっぱり。彼女たちは私のことを「ヴェロニカ」と呼んでいる。
手を見る。白く、細く、丁寧に手入れされた、私のものではない綺麗な手。
ここは日本じゃない。こんなファンタジーな制服、こんな豪華な食堂、そして「ヴェロニカ」という名前。
脳内に馴染んだばかりの膨大な「現代の記憶」が、信じられない一つの答えを私の心に突きつける。
(嘘……私、死んだの?それで、別人の女の子――この、ヴェロニカって子の身体に、転生しちゃったの……!?)
ヴェロニカの身体に宿った現代人の私は、そのあまりにも異常な現実に、ただ直感的に気づいてしまった。




