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悪役令嬢が破滅フラグを回避しようと必死ですが、王子だけは渡しません  作者: satohiko


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第1話 図書室の出会い

「ここからさらに二人の好感度を上げられたら、私の破滅フラグが完全に立っちゃうじゃない……。絶対に回避しなきゃ……」


好感度?破滅フラグ?奇妙な響きの言葉だった。


『まさか私が、よりによって悪役令嬢ヴェロニカになるなんて』


まるで、自分自身が元々は「ヴェロニカ」という人間ではなかったかのような、奇妙な言い回し。


(もしかして……本当に、あのヴェロニカ様は、中身が『別の人』になってしまっているの……?)



彼女は、私たちの知らない『未来の出来事』を予知している。そして、自分が破滅する運命から逃れるために、自分の事しか考えず、攻略対象とかこの世界をゲームだとか言って私たちを生身の人間として見ていない事がわかった。



ヴェロニカ様が未来について何を知っていようが、私には関係ない。あんな風に、私たちの心を踏みにじるような人に、ユリアン様を渡すことだけは、絶対に嫌だ。

婚約者だろうと、悪役令嬢だろうと、そのフラグとやらを回避するのはいいけど、ユリアン様だけは、何があっても絶対に渡しません。


……なんて。

そんな強い決意を抱き、私が「何もできない臆病者」から反撃の牙を研ぎ始めるのは、もう少しだけ先のお話。

当時の私は、まだ身分違いの理不尽な悪意に打ちのめされても何も言えない、ただの平民でしかなかった。



時計の針が昼食の時間を告げたとき、私の心は重く沈んでいた。

きらびやかな白亜の校舎がそびえ立つ、ここアストリア聖王国国立魔法学園。そこは選ばれた貴族の子弟だけが集う、身分制度の縮図のような場所だ。


私は、日当たりのいい外のテラスの片隅で、一人ぽつんと手作りの弁当箱を広げていた。家から持ってきた木製の素朴な箱に、昨晩の残りの野菜と黒パンを詰めただけの、ささやかなお弁当だ。


そのとき、遮られた陽光とともに、頭上から冷ややかな影が落ちてきた。


「あら、そんな貧乏くさいお弁当をこの学園に持ち込まないでくださらない?見ているだけで食欲が無くなりますわ」


キツく整った美しい顔に、傲慢な笑みを浮かべた少女――ヴェロニカ・アイゼンベルク公爵令嬢が、私のテーブルを見下ろしていた。


彼女の手が、わざとらしく私の弁当箱に触れる。ガタタッと大きな音がして、せっかく作ったお弁当が、床の冷たい石畳の上へとひっくり返った。転がっていく黒パンに、泥がついていく。


ヴェロニカのすぐ後ろに控えていた取り巻きの女子生徒たちが、一斉に扇子で口元を隠しながら追従の笑い声を上げた。


「そうですわ。あなたのような平民の分際が、私たちと同じテーブルで食事をしようなんて図々しいのよ。ほら、その地面に落ちたエサを、這いつくばって食べたらどうかしら?」


クスクスと、いびつな嘲笑がテラスに響き渡る。周囲の貴族の生徒たちも、見て見ぬふりをして冷ややかな視線を向けてくるだけだった。


「ふふ、いいわね、それ。私たちが見ててあげるわ。ほら、早く食べなさいよ、特待生様?」


ヴェロニカが愉しそうに目を細め、私を嘲笑う。


悔しさと恥ずかしさで、視界が急激に熱くなった。じわじわと涙が溢れてきそうになるのを、私は必死に堪える。公爵家に逆らえば、街で小さなパン屋を営んでいる私の両親がどうなるか分からない。


私は何も言い返せず、唇を噛み締めたまま、泥のついた弁当箱をひったくるように拾って、その場から全力で走り出した。


「あら、逃げましたわ。不作法な野良犬ね!」


 背中に突き刺さる容赦のない笑い声から逃げるように、私はひたすら足を動かした。


どうして。どうして私がこんな目に遭わなければいけないの。

涙が頬を伝い落ちる。


魔法の力は家系によって遺伝的に受け継がれるものが大半だから、この学園は必然的に高貴な血筋ばかりになる。時折、家柄に関係なく突然変異で魔法に目覚める平民もいるけれど、大抵は力が弱くて、学園に通おうとする人なんていない。


それなのに、私には類まれな「光魔法」の才能と、異様なほどの魔力量が宿ってしまった。だからこそ特待生として招かれた。だけど、こんなに酷いことをされるくらいなら、魔法学園になんて入らなければ良かった。


気づけば、私は静まり返った図書室へと逃げ込んでいた。


この学校で、真面目に机に向かって魔法史や理論を学ぼうとする貴族はごく僅かしかいない。だからこそ、この図書室はいつも驚くほど人が少なかった。いつしかここだけが、私の張り詰めた心を落ち着けられる唯一のシェルターになっていた。


お腹はペコペコだったけれど、いまから食堂に行けばまた別の貴族に捕まって嫌がらせを受けるだけだ。ここで本でも読んで、お昼休みが終わるのを待とう。


私は涙を乱暴に拭うと、せっかくなら今度テストに出そうな魔法史関係の勉強をしようと思い、高い本棚が並ぶ通路へと足を踏み入れた。


「ええと……アストリア建国史の、下巻は……」


目当ての本はすぐに見つかった。けれど、それは私の身長よりもずっと高い、上から三段目の棚に収められていた。背伸びをして、指先を精一杯に伸ばす。


「う、うーん……あと、もう少しで、届きそう、なのに……!」


ぴょん、と軽く跳ねてみようとした、その時だった。

私の背後から、ふわりと清涼な白檀のような香りが漂ってきた。同時に、頭上からすっと長い腕が伸び、私が苦戦していた厚い革表紙の本を、いとも簡単に抜き取った。


「あっ」


驚いて振り返った私は、その場に凍りついた。

目の前に立っていたのは、見惚れるほどに眩しい金髪と、吸い込まれそうなほど深い、澄んだ青い瞳を持つ男子生徒だった。仕立ての良い制服の上からでも分かる均整の取れた体躯、そして何より、圧倒的な気品。


「ほら、これが取りたかったのだろう?」


彼は形の良い唇を緩め、穏やかな微笑みとともに本を差し出してきた。


「ユ、ユリアン、様……!?」


思わず声が裏返ってしまった。

ユリアン・オーレリアス・アストリア。このアストリア聖王国の、第一王子殿下その人だ。


完全に硬直してしまった私を見て、ユリアン様はクスッと悪戯っぽく笑った。


「そんな、幽霊でも見たかのように驚かれてしまうと、俺でも少しショックなんだがな」

「し、失礼しました、ユリアン様!私ったら、なんて不敬なことを……!」


ハッと我に返った私は、大慌てで一歩後ろに下がり、深く頭を下げて謝罪した。すると、頭上からまた楽しげな低い声が降ってくる。


「謝る必要は無いよ。ほら、これを」


手渡された本の重みが、私の掌に伝わる。


「あ、ありがとうございます……」


恐る恐るお礼を言って本を受け取ると、ユリアン様は私の顔をじっと見つめ、何かに気づいたように小さく目を見開いた。


「君は確か――光魔法の特待生、アリス・ステラだったか?お昼休みだというのに、随分と勉強熱心なんだな」


その言葉が、私の胸をズキリと刺した。

勉強熱心なわけじゃない。本当は、お弁当を目の前で捨てられて、食堂にもどこにも、私の居場所がなかったから、ここに逃げてきただけなのに。

そんな惨めな現実が頭を過った瞬間、堰き止めていたはずの感情が溢れ出し、ポロポロと目から大粒の涙が零れ落ちてしまった。


ユリアン様は目を見張って驚き、ひどく狼狽した様子で顔を近づけてきた。


「どうした!?すまない、俺が何か、君を傷つけるような変なことを言ってしまっただろうか?」

「い、いえ!そうでは、なくて……!ただ、ユリアン様が、あまりにも優しくしてくださるのが、嬉しくて……っ」


ただの平民で、いじめられっ子の私なんかを見つけて、名前まで覚えていてくれた。その事実だけで、心が痛いほど救われてしまったのだ。


ユリアン様は私の涙を見て、ふっと痛ましそうに眉をひそめた。そして、何かを察したように周囲の静寂を見渡す。


「特待生というだけでなく……平民の出ということで、他の生徒たちとうまく馴染めていないのか?」


核心を突かれ、私は言葉に詰まった。けれど、この方の嘘のない真っ直ぐな瞳の前で、取り繕うことなんてできなかった。


「……はい」


消え入りそうな声で小さく答えると、ユリアン様はどこか遠い目をして、ぽつりと呟いた。それは私に向かってというより、世界の理不尽へ向けられた言葉のようだった。


「どうして皆、他人を自分より上か下かでしか見ないのだろうな」


「あの……ユリアン様は、どうしてこのような誰もいない場所に?」


少しだけ勇気を出して尋ねると、ユリアン様はハッと我に返り、それから少し困ったように苦笑した。


「実は、俺も他の生徒たちとあまり馴染めていなくてね。俺に取り入ろうと打算的な目で近づいてくる者や、遠巻きに見るだけでまともに会話にならない者ばかりで……どうにも落ち着かないんだ。だから、この静かな図書室だけが、俺にとって唯一、落ち着ける場所なんだよ」


王族として生まれ、常に周囲の「建前」や「欲望」の視線に晒されて生きてきた王子様。

身分も境遇も全く違う。けれど、この広大な学園のなかで「ここだけが唯一の落ち着ける居場所」だと言う彼の寂しげな横顔に、私は不遜ながらも、強い親近感を覚えてしまった。


「ふふ……っ」

「おっ、やっと笑ったな」


思わず口元から零れた小さな笑い声に、ユリアン様が嬉しそうに目を細める。そして、彼は私の目を真っ直ぐに見つめ、信じられないような言葉を口にした。


「ここで出会ったのも何かの縁だ。もし良ければ――俺と、友達になってくれないか?」

「え……?」


王子様という雲の上のイメージとは裏腹な、あまりにも等身大で、温かい彼の差し伸べられた手。その瞬間に、私の胸は一瞬で撃ち抜かれていた。


私は、涙の残る目で彼を見上げ、精一杯の笑みを浮かべてその手を取った。


「……私こそ、ぜひ、よろしくお願いします」


これが、私とユリアン王子殿下との、すべての始まり。

そして、泥の中にいた私が、一歩を踏み出すきっかけとなった、初めての出会いだった。


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