第12話 もう1人の特待生
(アリスの視点に戻る)
その日の朝、私が通う魔導学科のBクラスの教室は、普段とはどこか違う異様なざわめきに包まれていた。
2週間ぶりに「もう一人の特待生」が登校してきたからだ。
彼の名前はノア・ウェルズ。私より一歳年下の十五歳だ。弱小貴族である準男爵家の出身だが、「結界魔法」という極めて希少な才能を開花させ、一年前倒しでこの学園に特待生として特例入学を果たした天才少年である。
彼の結界魔法は凄まじい。いかなる攻撃も跳ね返す鉄壁のバリアを自身に展開できるだけでなく、指定した領域を結界で閉じ込めることすらできる。
ノア君のことを「貧乏準男爵家の成り上がり」と馬鹿にした伯爵家の男子生徒がいた。怒ったノア君は結界魔法を使い、その生徒を誰もいない空き教室に丸三日間閉じ込めたのだ。
その事件によって彼は長期の停学処分を受けていたのだが――今日、その停学が明けて登校してきたのだった。
「なんだ?無能の貴族のお坊ちゃまにお嬢ちゃん。揃って間抜けなツラ下げてさ。俺が来たことがそんなに怖いのかよ?」
教室の扉を蹴るようにして入ってきたノア君が吐き捨てると、周囲の生徒たちは一斉にビクリと肩を震わせ、気まずそうに目を逸らした。
ダークブルーの髪を少しハネさせ、黙っていれば人形のように可愛らしい顔立ちをしているのに、その口から飛び出す言葉は猛毒そのものだ。
彼は同級生たちを「無能の集団」と見下し、同じ特待生である私のことも平民だからと露骨に下に見て絡んでくる。
ノア君は大股で歩いてくると、私のすぐ近くの席にドカリと腰を下ろした。
「おい、クソザコ平民。相変わらずいじめられてるのか?ダセェな。こんな奴らも蹴散らせないしょぼい魔法しか使えないのかよ」
開口一番の暴言に、私は怒るどころか思わず呆れてしまった。
「もういじめられていませんよ」
入学当初なら彼の毒舌に怯えて縮こまっていたかもしれない。けれど、今の私にとって、彼の言葉には何の威圧感もなかった。むしろ、久しぶりにこうやってハッキリと暴言をぶつけられるのがどこか懐かしく、思わずクスッと小さく笑ってしまった。
「……何笑ってんだよ!いつも黙って下を向いてたクソザコ平民のくせに気安く笑うな!」
顔を赤くして怒鳴るノア君に、私は優しく微笑みかけた。
「すみません。もうすぐ授業が始まりますから、静かにしていただけますか、ノア君」
「はぁ!?君づけで呼ぶんじゃねえよ!ノア様だろうが!俺の結界魔法が効かないからって、調子に乗って生意気なんだよ!」
ノア君が不満そうに頬を膨らませる。
一歳年下の彼に、同じ特待生だからと最初に「ノア君」と呼びかけた時、彼は激怒して私を結界魔法で閉じ込めようとしたことがあった。けれど、私の光魔法が彼の結界を綺麗に消滅させてしまって以来、彼は私に対して妙な対抗心を燃やし、何かとちょっかいをかけてくるのだ。
そうこうしているうちに担任の先生が教室に入ってきたため、ノア君は舌打ちをして黙り込んだ。さすがに復帰初日にまた問題を起こすのは避けたいのだろう。
(まさか……ノア君まで攻略対象じゃないわよね?)
先生の説明を聞くフリをしながら、私はチラリと彼を見た。一歳年下で見た目も幼く、闇を溶かしたようなダークブルーの髪。黙って座っていれば天使のように可愛らしいのに、性格と口の悪さが全てを台無しにしている。どう考えても好きになれそうにない。
◇
授業が終わり、昼休みになった。ノア君は誰とも口を利かずに一人で教室を出て行った。私も手早く昼食を済ませ、心を落ち着かせるために図書館へと足を運んだ。
静寂に包まれた書架の間を歩き、魔法史の資料を探していると、聞き覚えのある爽やかな声が聞こえてきた。
「やあ、アリス。久しぶりだね」
振り返ると、そこには美しい金髪をなびかせたユリアン様が立っていた。優しげな微笑みを浮かべ、私を見つめている。
「ユリアン様!お久しぶりです」
久しぶりの図書館での再会に、私の胸がトクンと跳ねた。
「レオンから聞いたよ。模擬戦の授業で彼の剣を魔法で止めたり、魔力暴走を起こした生徒を助けたそうだね」
「はい……魔力欠乏症について調べていたので、私の光魔法なら何とかできるかもしれないと思って」
「ヴェロニカからも聞いたよ。カイルの弟のアラン君の魔力欠乏症も治したそうじゃないか」
「はい。お役に立てて本当に良かったです」
ユリアン様に澄んだ瞳で見つめられ、褒められると、素直に嬉しくなる。
「アリスは本当にすごいな。それに比べて……俺は何もできていない」
ユリアン様はふと眉を下げ、自嘲気味に呟いた。その表情があまりにも切なく見えて、私は慌てて否定した。
「そんなことありません!ユリアン様だって、お忙しい身で懸命に剣術を学ばれているではありませんか!」
放課後、中庭の隅でユリアン様とレオン様が真剣に剣を交えている姿を、私は何度も見かけたことがあった。
「……見られていたのか。恥ずかしいな。俺はまだまだレオンの足元にも及ばないよ」
「いいえ!汗を流しながら真剣に剣を振るうユリアン様は……すごく、カッコよかったです」
素直な気持ちを口にした瞬間、自分が恥ずかしいことを言ったのだと気づき、私は顔を赤くして視線を逸らした。ユリアン様は一瞬目を見開き、それから嬉しそうに目元を緩めた。
「ありがとう、アリス。君にそう言ってもらえると、すごくやる気が出てくるよ」
照れくささに耐えかねて、私はごまかすように図書館の大きな窓から下の中庭を見下ろした。すると、そこには不穏な光景が広がっていた。
中庭の木陰で、ノア君が身体の大きな上級生数人に囲まれている。
「ノア君……?」
私が思わず呟くと、ユリアン様も隣に立ち、窓の外へと視線を向けた。
「ノア……確か、君と同じ特待生の少年だったね。問題を起こして停学になっていたと聞いたが」
「今日から登校してきたんです。でも……あの様子じゃ、また問題を起こしてしまいそう。止めてきます!」
「俺も行こう。相手は上級生だ、君一人だと心配だからね」
私たちは急いで図書館を後にし、中庭へと駆け下りた。
◇
中庭に着くと、上級生たちの怒号が響いていた。
「弟をあんな目に遭わせて、よくもノコノコと学園に来られたな!準男爵の小僧が!」
詰め寄る上級生は、どうやら以前ノア君が3日間空き教室に閉じ込めた伯爵家の生徒の兄らしい。だが、ノア君は反省するどころか、ニヤニヤとあざ笑っていた。
「バカが調子に乗るから悪いんだろ?閉じ込められて泣いて小便漏らしてたな、あいつ。そんな情けない弟がいて、先輩こそよく顔を出せますねぇ?」
「この野郎……!」
頭に血が上った上級生が拳を振り上げて詰め寄ろうとした瞬間――ノア君が指を鳴らした。ノア君の周囲に目に見えない透明な結界の壁が突如として出現し、上級生の身体を勢いよく弾き飛ばした。
「ぐあっ!?」
「どうしたんですか先輩?ビビって後ろに飛びすぎだぜ」
地面に転がる上級生を見下ろし、ノア君が冷酷に嘲笑する。このままでは絶対にまずい。
「ノア君、やめてください!また停学処分になりますよ!」
私が二人の間に割って入ると、ノア君は忌々しそうに眉をひそめた。
「はあ?クソザコ平民。何しに来たんだよ」
「……その物言いは、あまり感心しないな。ノア・ウェルズ君」
私のとなりに、凛とした佇まいでユリアン様が並び立った。その圧倒的な気品と威圧感に、起き上がろうとしていた上級生が息をのんだ。
「ユ、ユリアン殿下……!?」
「ユリアン殿下!?な、なんで殿下がその平民なんかと一緒に……!?」
ノア君も流石に目を丸くして驚愕している。ユリアン様は静かだが重みのある声で言い放った。
「俺の事より、君たちだ。君たちは上級生だろう。彼に非があったとしても、君たちがここで私闘を起こせば厳重な処分の対象となるぞ」
「も、申し訳ありませんでした……!」
第一王子であるユリアン様に睨まれ、上級生たちは顔を蒼白にして逃げるように立ち去っていった。
ユリアン様は固まっているノア君に向き直り、静かに言葉を続けた。
「さて、ノア君。君も停学明け初日から、また問題を起こすつもりかい?」
「い、いえ……向こうがいきなり絡んできて、どうしようもなかったんです……」
さっきまでの不遜な態度はどこへやら、ノア君は気まずそうに視線を泳がせた。いくら性格が悪くとも、国の王子に対して無礼を働くわけにはいかないのだろう。
「確かに、あの状況では無理もないかもしれない。だが過剰防衛で怪我をさせ、退学処分になってしまっては相手の思うツボだ。アリスに感謝するんだね」
「……ユリアン殿下には感謝しますが、なんでその平民なんかに感謝しなきゃいけないんですか。何もしてないじゃないですか」
納得がいかないように不服そうな声をあげるノア君に、ユリアン様は少し表情を厳しくした。
「その平民という言い方もやめるんだ。君自身の品格が疑われるぞ。アリスは君が絡まれているのを見かけて、君が再び問題を起こす前に止めようと駆けつけたんだ」
「……申し訳、ありませんでした」
ユリアン様に威圧され、ノア君は消え入るような声で頭を下げた。
「謝るのは俺ではなく、アリスにだろう」
「ユリアン様、私は大丈夫です。助けていただいて、ありがとうございました」
私が微笑むと、ユリアン様は優しく頷いてくれた。
予鈴のベルが遠くで鳴り響き、お昼休みが終わろうとしていたため、私たちはここでユリアン様と別れて校舎へと戻ることにした。
廊下を歩く道中、隣を歩くノア君が不機嫌そうにボソリと呟いた。
「なあ、平民。お前、なんでユリアン殿下とあんなに親しげなんだよ」
「ユリアン様とは友達になったんです。あなたと違って、身分で差別したりしない素晴らしい方なんですよ」
「はあ?友達ぃ?お前と殿下が?全然釣り合ってねえだろ。ユリアン殿下も変わった趣味してんな」
言われなくても、身分が釣り合っていないことくらい自分が一番よく分かっている。けれど、私の大切な人を侮辱されるのは許せなかった。
「釣り合わないのは私自身も分かっています。でも、ユリアン様を悪く言わないでください」
私がまっすぐにノア君の目を見つめて言うと、彼は一瞬怯んだように目を見開いたが、すぐにふんと鼻を鳴らした。
「はいはい。ユリアン殿下にチクられたら大変だもんな」
最後まで嫌味を言い残して、ノア君は一人でスタスタと先に教室へ戻っていった。




