第4話:冥府の王と、社畜の交渉術
「おい、アフロディーテ。相変わらず無駄に派手なバリアを張っているな。そんなところにこもって、恋人ごっこかい?」
冷ややかで、しかし周囲の空気を一瞬で凍りつかせるような低音ボイス。
戦場の荒野を滑るようにして歩いてきたのは、漆黒のローブを纏い、死神の鎌のような長柄の武器を携えた冥府の王――ハデスだった。
「……っ! ハデス!」
アフロディーテがわずかに身構える。
しかしハデスは彼女を一瞥しただけで、その背後に隠れているケンタへと冷酷な視線を向けた。その目が合った瞬間、ケンタはまるで心臓を氷漬けにされたような強烈な悪寒に襲われた。
「それが、お前がこの戦場に連れ込んだ『ただの人間』か?」
「なっ……!」
「神々の全面戦争だぞ。巻き添えで消え飛ぶ運命だったはずの虫けらを、わざわざ自分の結界の中に匿うなど、アフロディーテ、お前らしくもない。もしや、その人間を次の『魂の生贄』にでもするつもりか?」
(生贄!? やっぱりこの世界じゃ俺はただの死刑囚枠じゃねえか!!)
ケンタの背筋を冷たいものが駆け抜ける。
ハデスの圧倒的な威圧感の前に、アフロディーテの張る愛の結界すらじわじわと軋み音を立て始めていた。このままでは、あの死神イケメン神に一刀両断されてしまう。
しかし、ここで縮こまっていては社畜の名が廃る。
(待て……。神様ってことは、こいつらも何かしらの『ルール』や『欲望』で動いてるはずだ……!)
ケンタは恐怖をねじ伏せ、震える足を踏ん張ると、アフロディーテの背後から一歩だけ前に出た。
「おい、冥府の王だか何だか知らないけどよ!」
「……ほう?」
ハデスが、面白くなさそうに、しかし侮蔑の色を隠さずに眉をひそめた。虫けらが喋ったと言わんばかりの視線だ。
「いきなり現れて『生贄』だの『虫けら』だの、失礼なこと言ってんじゃねえよ! こっちはこっちで忙しいんだ!」
「……人間の分際で、私に口を利くか。その無知な軽口、冥府の底で二度と喋れなくしてやろうか?」
「脅すなよ! あんただって、この神々の大乱闘のせいで、冥府の書類仕事が山積みになってパンクしかけてるんじゃないのか!?」
ハデスの動きが、ぴたりと止まった。
その端正な顔に、わずかな動揺の色が走る。
「……なんだと?」
「図星だろ! これだけあちこちで神様たちが暴れ回って、大陸を消し飛ばしたり魂を無理やり引き剥がしたりしてたら、冥府の事務処理の処理能力なんて一発でオーバーフローするに決まってる! アンタ、今頃部下の死神たちに残業地獄を強いてる中間管理職の悲惨な上司状態なんじゃないのか!?」
「なっ……! なぜそれを……!」
ハデスは冥府の最高神である。日頃から増え続ける亡者の管理や、神々の勝手な戦闘による魂の不法投亜に頭を悩ませていたのは事実だった。図星を突かれたハデスは、少しだけ気圧されたように鎌を下ろした。
(よし……! ブラック企業の修羅場をくぐり抜けてきた俺の「モンスター上司対策トーク」が、まさか冥府の王に効いたぞ……!)
ケンタは手応えを感じつつ、さらに追撃の言葉を放つ。
「俺を生贄にする暇があるなら、こんな不毛な戦いを早く終わらせるか、せめて俺を安全な休憩室にでも送り届ける手伝いをしてくれよ! その方が、アンタの胃の穴に優しいはずだぜ!」
冥府の王と、人間の社畜。
神聖な戦場のど真ん中で繰り広げられたあまりにもリアルすぎる「中間管理職の苦労話」に、アフロディーテはポカンと口を開け、ハデスは複雑な表情で腕を組み込むのだった。
お読みいただきありがとうございます!
ご感想やブックマーク、評価をいただけると非常に励みになります。次話もぜひよろしくお願いします!




