護るための力
「姉上、お願い」
七々扇蓮は実の姉である楓に頭を下げる。
蓮よりも2歳年上の楓は、10歳になった弟が頭を下げて何かを願う姿を初めて目にした。
楓は蓮を溺愛しており、これまでも彼の願いを何よりも優先して叶えようとしてきた。だというのに、わざわざ頭を下げてまでお願いをしてくるということは、この後に語られる彼の願いは相当に実現が難しい内容だということが分かる。
「なに?」
どんな願いだろうと、姉として優しく受け止め、出来る限り実現してあげようという気持ちで、楓は弟の願いに耳を傾けた。
「母上がいない今こそ、魔獣討伐へ行ってみたいんだ」
蓮の願いは覚悟を決めた楓すらも青ざめるほどの無理難題だった。
可愛い弟の願いを叶えてあげたいという気持ちと、危険な場所へ絶対に連れて行けないという気持ちがぶつかり合い、脳内で戦が勃発する。
「……あ、危ないよ?」
楓は蓮の心変わりを促すように、魔獣討伐の危険性を指摘する。
男性である蓮は日ノ本の呪いの影響下にある。本来は成人男性ですら魔獣と戦おうとは思わないのだ。10歳の子供である蓮が魔獣を狩れるとは思えなかった。
1000年間呪いが途絶えなかった日ノ本では、男性は女性に守られる弱い存在として常識化しており、女性のように戦いたいと望む蓮は家族からも異質な子として扱われていた。
楓はそんな蓮の唯一の味方であり、楓がこれまで庇ってきたからこそ、蓮は屋敷の裏庭でのみ竹刀を振り回して女性のように訓練することを許されていた。
「もう10歳なのに、いまだに魔獣の一匹も狩った事がないなんて、恥ずかしくて外を歩けないよ」
サムライの娘であれば、8歳くらいの少女でも魔獣討伐に連れていかれることはある。けれど、蓮は男だ。魔獣を討伐した経験が無いことの方が普通であり、むしろ魔獣討伐を経験している男性ということが外に知られれば、蓮は今まで以上に周囲から嫌な目を向けられたり、心無い言葉を囁かれたりする可能性があった。
楓としては、そちらの方が看過できないのだが、必死に頭を下げる弟の姿に少しだけ気後れして視線を逸らした。
「……わ、私も魔獣を狩った事はないよ?」
「姉上は、来年から松葉組の見習いになることが決まっているし、魔獣討伐なんか行かなくても魔獣より強い事は誰もが知っているよ。でも……俺は男だから、結果を見せないと誰も認めてくれないだろ?」
楓は家族以外の誰にも詳細を教えてはいけないと両親からきつく言われているユニークスキルを持っている。そのおかげで彼女は誰よりも成長が早く、6歳の時点で松葉組の見習いより強かった。
本来であればもっと早くに松葉組に入ってサムライになることも出来たのだが、幼馴染の松葉夕陽と一緒に組に入りたいという事で、夕陽が見習いとして十分な実力を付けるのを待っているだけだ。
楓は自分が性別とスキルの両方で恵まれた存在だという事を、弟を見ていてよく知っていた。
蓮にもユニークスキルはあったのだが、どういうわけか発動条件が分からない欠陥品であり、蓮はいつも姉のユニークスキルを羨ましいと言っていた。
自分は不当に恵まれているという罪悪感から、楓は蓮の『誰も認めてくれない』という言葉に酷く心を動かされた。
同じ両親のもとに生まれたのに、何でもできて褒め称えられる自分と、何をやっても非難される弟。その弟の努力を誰よりも見てきた楓だからこそ、多少の無茶をしても願いを叶えてあげたいという気持ちが溢れかえった。
「…………絶対に無茶しない?」
楓の脳内戦は、願いを叶える方に軍配が上がった。
本当に危険ならば、自分が守ればいい。後で両親に咎められたなら、自分が責任を取ればいい。今はとにかく蓮の願いを叶えたいと楓は強く思っていた。
「無茶なんかしなくても、俺は魔獣より強い。姉上も俺の実力を疑うの?」
「ううん。蓮ならやれるよ。でも、もしもの時は私も助太刀するからね」
楓は蓮を連れて屋敷を抜け出すと、江戸の西門へと向かうのだった。
そもそも、蓮がなぜこのような事を言い出したのかというと、昨日から江戸の西で魔獣が大量に出没しているという噂があったからだった。
鬼討伐で母親の千奈が遠出していて、尚且つ松葉組のサムライや見習いは魔獣討伐に積極的ではないので、現地で出くわして連れ帰られる心配がない今が蓮の初陣にはちょうど良かった。
江戸の西門から馬車で進み、二つ目の宿場町で降りる。そこは、ちょうど魔獣が大量発生したと話題の地域に一番近い宿場町だった。
宿場町の出入り口を二人が通り抜けようとすると、門番のサムライが二人を引き留めた。
「ん? ちょっと待った。歩いてどこへ行く気だ? この先は昨日から魔獣が大量に集まって来ていて危険なんだ。大人たちが討伐を終えるまで待った方がいい」
「私も魔獣を狩りに行く」
楓は勝手に持ち出した腰の刀を門番に見せるようにして、サムライの子供であることを示したが、門番の視線は楓ではなく蓮へと向いていた。
蓮は袴姿で楓と同じように刀も持っているが、誰が見ても少年だと分かるので、門番は行く手を阻むように立ちはだかった。
「いやいや、子供が遊び感覚で行くような――」
瞬間。門番は言葉を止めた。目の前に立つ少女から途轍もない圧迫感を感じて息が詰まったからだ。
「遊びじゃない。そこをどいて」
楓は12歳の子供とは思えないほどに高レベルであり、魔力も目の前の門番よりも遥かに高い。容赦なく魔力威圧を放って凄む事で、門番は両手を上げて道を空けざるを得なかった。
あのまま彼女の行く手を阻んでいたら、間違いなく過度の威圧で門番は失神させられていただろう。
「――わ、分かった」
楓の威圧から解放された門番は、化け物を見たかのような視線を遠ざかっていく少女の背中へと向けた。
「待て、こら!」
蓮は山で見つけた兎の魔獣を追いかけ回す。
熊や猪の魔獣よりは危険度は低いが、兎といえども魔獣は魔獣。喉に噛み付かれれば蓮など一撃で絶命するだろう。
楓は最悪の事態にならないように常に魔獣を瞬殺できる位置で蓮に追従し、蓮が楽しく安全に魔獣を狩れるように細心の注意を払っていた。
しかし、兎の魔獣は蓮の攻撃を軽々と回避すると、素早く茂みの奥へと逃げ去っていった。
「くそっ、逃げられた!」
「私が探してこようか?」
楓がスキルを駆使すれば、手ごろな魔獣を発見することは比較的容易だ。危険度の高い魔獣だった場合は何発か峰内で弱らせてから蓮と戦わせることもできる。けれど蓮は楓の助けを拒否するように首を振った。
「いいよ。姉上に手伝って貰ったら意味ないから」
あくまでも自分の力だけで魔獣を討伐したい蓮は、新たな魔獣を探して山の中へと進んでいく。
先ほどまでは魔獣討伐を行っている大人たちの声も聞こえていたのだが、二人は大人たちを避けるように山の奥へと進んで行った結果、風に揺られて擦れる木々の葉音だけが聞こえてくる。
「少し奥まで気過ぎたかも。蓮、引き返――」
突然。少し離れた所から女性の悲痛な叫びが聞こえて来た。
「――っ!? 姉上、今のって」
声の方向からして、二人がいる場所よりも更に奥。魔獣討伐を行っている大人たちとは正反対の位置だ。
「女の悲鳴……だったね」
日ノ本の女性はあまり悲鳴を上げる様な事はしない。どちらかというと男性の方が悲鳴をあげる傾向にある。
楓が立ち止まって声の主に対して考えているのに対して、蓮は声のした方向へ向かって考えなしに駆け出した。
「行こう、姉上!」
「危険かも」
一時の正義感だけで動く蓮を、楓は冷静に止める。けれど、蓮は制止する楓の腕を振り払って叫んだ。
「悲鳴を上げた人はもっと危険だよ!」
楓は弟が自分に強い言葉で意見したことに驚きながら、何があっても彼を守るために追いかけた。
がむしゃらに走った先で二人を待っていたのは、巨大な滝だった。
荘厳な滝とそこから続く川は普段は名所にでもなっていそうなほどに美しい場所だっただろう。
けれど、二人の目に真っ先に飛び込んできたのは、ボロ布を纏った二足歩行の異形と、血塗れで倒れている半獣人族の旅行者だった。
「なっ、何だ、あれ? 魔獣……なのか?」
「……違う。あれは――鬼だ」
楓も鬼を見たのは初めてだったが、目の前で殺戮を楽しんでいる化け物が鬼なのだと一目で理解した。
あのような禍々しい生物が鬼以外にいるわけがない。
「鬼? あれが……」
「すぐにサムライを呼ばないと」
「そんなの今からじゃ間に合わない。俺たちがやらないと!」
楓はすぐにでも蓮を連れて宿場町へ逃げ帰ろうと考えたが、蓮は楓の言葉に耳を貸すことなく鬼に向かって走り出す。
楓も初めての鬼との遭遇に少なからず動揺していたし、蓮がそこまで無謀な行動を取るとは思っていなかったので反応できず、彼が単身で鬼へ突撃することを許してしまった。
「――えっ!? れ、蓮! 待って!」
蓮の目に映っているのは3人の半獣人族。
一人は河原でうつ伏せに倒れており、上に乗っている鬼が、もいだ翼の肉に武者ぶり付いている。
もう一人は少し奥で仰向けに倒れており、腹部から大量の血を流している。
そして最後の一人は無傷だが子供であり、仰向けに倒れている人物に泣きながら付き添っている。
鬼の数は見えるだけで2匹。他にもいるかもしれないが、考えている暇はなかった。
蓮は子供に襲い掛かろうとしている鬼目掛けて刀を振り下ろす。
「その子から離れろ!」
鬼は背後からの蓮の攻撃に気付いて飛び退くと、蓮目掛けて鋭い爪を突き出した。
途端に、蓮の世界は速度を失い、全てがスロー再生されているように感じられた。極限状態で蓮は鬼の刺突が自分を貫く威力があると悟り、素早く刀で爪を上方向へと弾き飛ばした。
10歳の少年にしては上出来の動きだが、その程度で鬼の猛撃は止まらない。鬼は爪に『自然魔力』を纏わせると、蓮に手刀で斬りかかる。
蓮の刀と鬼の手刀がぶつかり合い、鍔迫り合いによる力比べが始まった。
「ぐっ! ま、負けるかぁ!」
蓮と鬼との力比べでは蓮に万に一つの勝ち目も無いはずだった。
しかし、どういうわけか蓮は内から湧き上がる力によって後押しされるように鬼の手刀を押し返した。
すると、鬼の背後に迫っていた楓が、鬼の背中を一閃する。
一太刀で背骨まで引き裂かれた鬼は絶命して崩れ落ちた。
「蓮! 絶対に無茶はしないで!」
「姉上、俺も戦える!」
今の蓮はどこかがおかしかった。
明らかに先ほどまでの蓮の強さではない。蓮が強くなったことは喜ばしいが、それによって増長されると隙が生まれやすくなる。
楓はそれが一番恐ろしかったので、蓮の成長を認めつつも、彼の力の使いどころを誘導した。
「分かってる! だから蓮は、その子を守ることだけ考えて!」
蓮は自分の背後で深手を負った女性に泣きついている子供へ視線を向けた。
歳は蓮よりも更に下で、5歳ほどに見える半獣人族の少女と目が合う。
「……その人、お前の母上か?」
少女は震えながら小さく頷いた。
翼を持っていることからトラリドからの旅行者だと思うが、旅行先で鬼に出くわすとは運が無い。
母親は呼吸こそしているが、苦しそうに顔を歪ませており、鬼に引き裂かれたらしい腹部からドクドクと血が流れ出ていた。
「すげえ出血だ……くそっ、姉上、急いで!」
蓮がもう1匹の鬼と戦闘していた姉を急かすように叫ぶと、周囲の茂みから更に3匹の鬼が姿を現した。
「っ!? う、嘘だろ……!」
新たに現れた鬼の内、2匹は楓に襲い掛かったが、1匹は蓮の方へと迫ってくる。
楓は最初に相手していた鬼を何とか斬り殺すと、蓮の方へ視線を向けた。
「蓮!?」
いくら楓が子供にしては強くとも、蓮たちを守りながら3匹を相手にするのは不可能だ。
蓮は迫りくる鬼を迎え撃つように構えると、姉に対して力強く叫ぶ。
「こ、こっちは俺に任せて、姉上は他を倒して!」
鬼は『魔力刃』を纏った爪を振りかぶって勢いよく斬りかかってくる。
蓮は込み上げてくる怒りを力に変えて、鬼の攻撃を斬り伏せる。
今の蓮には、鬼の動きが全てスローモーションのように見えていた。
「……お前ら、好き勝手暴れやがって……絶対に許さないぞ!」
先ほどから、蓮の視界の端で『レベルアップ』と『スキル習得』の文字が何度も点滅しているが、確認している暇はない。
「くたばれぇ!」
蓮は10歳の少年とは思えない力で鬼に斬りかかった。
死闘の末、目の前の鬼を全て斬り殺した楓は、一目散に蓮の元へと駆け寄る。
「蓮、大丈夫!?」
そこには、見事に鬼を斬って一息ついていた蓮の姿があった。
楓は素早く蓮の身体の至る所をチェックするが、怪我などは特に見当たらない。
「姉上、もう鬼はいない?」
「全部倒したよ」
楓は河原でうつ伏せに倒れている半獣人族の男性を抱き起すと、状態を確認する。
翼をもがれただけでなく、全身に刺し傷がある。どう見ても生存は絶望的だ。
「姉上、その人は生きてる?」
「駄目……呼吸も脈もない」
楓には医学的な知識はほとんどない。この状態で蘇生を試みることなど出来なかった。
蓮は生まれて初めて死亡した人を目にしたが、救えなかった事を悲しんでいる場合ではない。今まさにもう一人の命も尽きようとしている事を思い出して、姉に声を掛ける。
「姉上、この人はまだ生きている。俺たちじゃこの人を運ぶのは無理だから、人を呼びに行こう」
「……待って」
楓は女性を無理に動かそうとする蓮を制止して、彼女の状態を確認する。
腹部の傷は深く、内臓まで確実に達していた。ハッキリ言って、今生きている事さえ信じられないくらいであり、娘を残して死ねないという母親の執念のようにも感じられた。
「酷い傷。血も流し過ぎている」
「それって……助からないってこと?」
「お、お母さん……」
蓮と少女の顔色が青ざめていく。
楓はどこで間違えたのだろうと、自分の今日の行動を悔いた。
弟に楽しく魔獣討伐を体験させてあげるだけのつもりだったのに、気付けば鬼によって蹂躙された人たちを前に無力感を味わわせてしまっていた。
けれど、悔いてばかりもいられない。
目の前の女性の命は刻一刻と削られているのだ。
「何か言い残すことはある?」
「……む、娘を……おねがい……」
楓と蓮は少女の母親が最後の力で絞り出した、消え入りそうな声を聞き届けた。
「分かっ――」
「――俺の名前は七々扇蓮。あなたの娘は、これからはこの俺が責任を持って護る。だから安心してくれ」
楓の言葉をかき消すように蓮が名乗りを上げ、少女の母親を安心させるように笑顔を向けた。
その日から、助けられた少女――エラ・サマーヘイズは蓮によって大切に護られている。
蓮とエラの出会いの話でした。
子供時代なので蓮の言葉遣いが少し違います。
次回は元の時間軸の話へと戻ります。




