世界翻訳
買い物が終わると、ちょうど昼食時くらいの時間になっていたので、俺たちは武器屋の店主がオススメしてくれた飲食店へと向かう。
武器屋から少し歩くと、海沿いに雰囲気の良さそうな店が見えてくる。店内へ入ると四人掛けのテーブル席へと案内された。周りの席がほとんど埋まっていることから、人気の店だと分かる。
席に着くと、店員からメニュー表が手渡されたのだが、俺はそれを見て少々驚いた。
「あれ?」
「どうしたの、健之助君?」
「いや、メニューが日本語――日ノ本の文字じゃないから読めなくて」
メニュー表には筆記体のアルファベットのらしき文字が並んでいるが、全くといって良いほど読めないので、おそらく英語では無いと思う。
そもそも、ここの店員は普通に日本語を話していたというのに、どうしてメニューは日本語ではないのか。
商人も、船の乗組員も、各店舗の従業員も、全員日本語を話していたので、この世界は日本語で統一されている都合の良い世界だと思っていたのだが、まさか文字だけが違うとでも言うのだろうか?
「そりゃあ、帝国だからね。琥珀ちゃん、読める?」
「どれ……う~ん、使っている文字自体は魔王国のものと似ているが、別の言葉のようだな」
「やっぱり魔王国と帝国でも言葉が違うんだ。仕方ない、店の人に直接聞こう」
俺が不思議に思って色々と考えている内に、弥生さんが店員に声を掛けてオススメの料理を3人分注文してしまった。
店員によって素早くメニュー表が回収されていく。
「どうしてみんな日ノ本語を喋っているのに、文字は日ノ本の文字じゃないんですか?」
「えっ?」
俺が尋ねると、弥生さんは驚いた声を上げた後に開いた口を手で押さえた。
「――あっ、そっかぁ……。当たり前のこと過ぎて世界翻訳の事なんて説明してなかったよ」
「世界翻訳?」
「健之助君、逆にこれまで日ノ本以外の文字を見て何とも思わなかったの? 船の中にも帝国語の文字はあったし、これまで行ったお店の看板とか、色々とあったよね?」
弥生さんに言われて思い返すと、確かに何度かアルファベットを目にしたような気もするが、特に気にすることもなく通り過ぎていた。
日本にだって看板だけ外国語の店はいっぱいあるし、それが読めなくても問題なく暮らせるので、読めない文字を意識することはなかった。
「……言われてみると、見た気はします。でも、読もうと思ったのは今回が初めてなので、今更気が付きました。これってどういうことなんですか? 帝国の人たちだって俺たちと同じ言葉を喋っているのに」
「もしや、兄上の世界では外国人と話す時に外国語を覚えないといけなかったのか?」
俺が頷いて返すと、琥珀は驚愕の表情を浮かべ、同情するような声で言った。
「それは何というか、生き辛い世界だな」
外国語を習得することを生き辛い世界と評するという事は、やはりこの世界の言語は統一されているということなのだろうか?
だがそれだと、文字が違う事に違和感を覚える。
「あのね、健之助君。この世界も前の世界も国によって言葉が違うのは同じなの。ただ違うのは、私たちが発する言葉は相手の使っている言語に変換されて聞こえているから、別の言葉同士の会話も成立しているんだよ」
「えっと……それって、俺と弥生さんが喋っているのは日ノ本語だけど、琥珀はフランメギド語を喋っているってこと?」
話していてこんがらがって来た。どういう理屈で変換されているのか知らないが、さすがはファンタジー世界。俺の理解を軽く飛び越えていく、とんでも設定だ。
「いいや。妾は日ノ本語を喋っているぞ。口の動きで別の言語を喋っている事が分かるからな。日ノ本に潜入することも考えて、幼少期からどちらの言語も勉強させられたのだ」
「凄い! 世界翻訳があるのに別の言語を喋れるなんて!」
「ふふん。おかげで何十年も人族を欺くことができたのだが、やはり寿命の違いだけはどうしようもなくてな。ある程度は魔法で外見を変えていたのだが、妾もあまり老けた見た目にはしたくなくて、ついつい若い姿で暮らし続けていたら、怪しまれてしまったのだ」
琥珀の過去話も気になるところだが、今はそれよりも世界翻訳について知っておきたい。弥生さんの口ぶりからして世界の常識なのだろうから、俺が知らないのはまずい。
「その世界翻訳ってやつは、何かの魔法なんですか?」
「うーんとね。これはもう御伽噺みたいな話なんだけど、今の暦に代わった時に人族が持っていた翻訳のユニークスキルを竜族と魔人族とエルフが魔法の力で世界中に拡散したらしいよ」
「今の暦って『竜魔暦』ってやつでしたよね?」
江戸で暮らしていた時に何度か耳にしたから覚えていた。
俺の質問に弥生さんは頷いて返す。
「そう。今年が竜魔暦3002年。日ノ本の人族としてはあんまり好ましくない暦なんだけど、帝国もこの暦を使っているから日ノ本でも同じ暦を使っているの」
「好ましくない?」
「竜魔暦とはその名の通り、竜族と魔人族の暦の事。世界で最初の国家であるエリクトフ竜王国とフランメギド魔王国が同時に建国された際に始まった暦だ」
今度は琥珀が質問に答えてくれた。この手の歴史話なら琥珀の方が断然詳しいのだろう。
「へえ、そりゃ確かに帝国が使ってなかったら日ノ本では使わない暦だな」
「しかし、帝国も竜魔暦を使っているとは面白いな。確か、フランメギドとは敵対しているのであろう? 竜王リンドラムの名を使っている事といい、帝国の歴史に俄然興味が出て来たぞ」
琥珀は自分が封印されていた間の歴史が気になるようだ。ララミアさんに会わせてあげられれば、お互いに知識を補完しあえて良いかも知れない。
「俺たちの言葉が翻訳されて聞こえているのは分かったけど、このメニューが読めないってことは、文字までは翻訳されないって事か」
「そうなの。私も初めての外国だから失念していたけど、こういう不便さがあるんだね」
店内を見回すと、いくつかアルファベットの文字が発見できた。
日ノ本が日本にそっくりの国だったので、帝国もヨーロッパのどこかの国に似ているのかもしれない。
「お待たせ致しました」
俺がキョロキョロと店内を見回していると、店員が料理を運んで来た。
目の前にパンとスープとよく煮込まれていそうな肉と野菜が並べられた。
「ほう、中々に美味しそうではないか」
琥珀がさっそくパンに手を伸ばす。
船では馬鹿みたいに硬い乾パンや干し肉を食べていたので、暖かい料理が食べられそうなのは嬉しい限りだ。
すると、パンを手に取った琥珀が驚愕の表情で声を上げた。
「んなっ!?」
「ど、どうした?」
「い、いや……これは……。ま、まさか1000年の歳月が経っていることをパンで実感するとは思わなかった」
俺と弥生さんが首を傾げたので、琥珀はもう少し自分の驚きが伝わりやすいように説明を始めた。
「妾が幼い頃に魔王国で食べていたのはもっと硬いパンで、スープに付けてふやかして食べるのだ。このように柔らかいパンなど初めて見た」
柔らかいと聞いてパンを手に取ってみたが、思っていたほどフワフワのパンという感じではない。いたって普通の柔らかさだ。
千切って食べてみたが、味は少し酸味があり、ライ麦パンのような感じだった。
「俺の感覚だとそこまで柔らかくはないけどな。フランスパンよりは柔らかいってくらい」
「柔らかいパンがある世界なのに、硬いパンも作っていたのか?」
「伝統あるパンだし、硬いパンもうまいものはうまいからな。柔らかければうまいってわけじゃないだろ?」
「……確かに汝の言う通りかも知れぬな」
俺の説明に納得したように頷きながら、琥珀は手に持っていたパンを千切って食べ始めた。
「うむ。美味い」
日ノ本が日本に似ている様に、帝国が似ている国もちゃんと決まっているのですが、健之助は気付くことができませんでした。
世界翻訳に関しては失われている情報が多すぎて、この世界の人々にも御伽噺のような形でしか伝わっていません。
次回は、蓮の視点へと移ります。




