エピローグ
冬の寒さが残る蝦夷の港から、リンドラム帝国へ向かう船が出港する。
日ノ本にはない技術である蒸気機関で動く大型の蒸気船は、ゆっくりと港を離れ外洋へと旅立っていく。
船の甲板で進行方向を眺めていたミレーヌは、目的地であるリンドラム帝国を思い出して不安を覚えた。
日ノ本よりも遥かに広大な国土を持つリンドラム帝国で、『妖魔の腕』の関係者を見つけ出すことができるのだろうか?
「帝国か……」
胸の中で広がっていく不安を吐き出すように小さな声で呟くと、いつの間にか隣に立って海を眺めていた蓮が心配そうに顔を覗き込んでくる。
「大丈夫か? 怖い顔してんぞ、ミレーヌ」
「すみません、帝国に着くまでは護衛に集中します」
今のミレーヌは蓮の護衛という立場であり、帝国までの旅費も彼の実家である七々扇家から出してもらっている。どれほど悩んでいても護衛任務に支障をきたしてはいけないと気持ちを切り替えた。
「……本当に、帝国に着いたら一人で行動するのか?」
「はい。私の目的は組織を壊滅させることですから」
「それなら尚更、一人は危険だろ?」
蓮の声色にはミレーヌに対する心配の感情がこれでもかと現れており、ミレーヌは彼の気持ちを嬉しく思いながらも、ゆっくりと首を振った。
「お気遣いありがとうございます。ですが、お二人をこれ以上私の目的に付き合わせるわけにはいきません」
「お前はやっと自由を得たのに、自分の幸せを望まないのか? なんなら、俺の妻の一人にしてやっても良いんだぞ?」
それはミレーヌが蓮に始めて自分の過去を話した時にも持ち掛けられた話だった。
妻の一人という言い方が彼らしくもありつつ、聞く人によっては不誠実に思われるかもしれないが、ミレーヌはその言葉がとても嬉しかった。
奴隷として生き、人以下の生物として扱われていた自分を妻にと望んでくれる人がいる。それはミレーヌにとって初めて、奴隷仲間以外から対等の存在として扱われていると感じた瞬間だった。
もちろん、ミレーヌは蓮に対して恋愛感情を抱いてなどいない。けれど、もしも自分が復讐に生きていなかったら、蓮の提案を喜んで受け入れただろうと、ミレーヌは思っていた。
「脱走に成功した私だけが幸せになろうとは思いません」
「そうか……けど、困ったときはいつでも頼れよ」
「ありがとうございます」
自分を守ってくれていた実家を離れ、見知らぬ外国の土地でエラと二人で生きていくことを選んだ蓮は、不安に駆られるどころかこれからの人生を楽しもうとしていた。
見たことのない土地、人、文化。その全てを楽しみ、どんな苦難にも挫けずに力強く前に進む。
そんな蓮の前向きな姿勢を見ていると、ミレーヌは自分が抱いていた未来への不安を忘れられるような気がした。
「リンドラム帝国か、どんなところなんだろうな」
船の船尾側で小さくなっていく蝦夷の大地を眺めていた健之助は、隣に立つ琥珀に問いかける。
「この船の乗組員を見るに、人族と獣人族の国家なのではないか?」
「それだと、日ノ本とあんまり変わりなさそうだけど……そもそも帝国って王国とは何が違うんだ?」
「妾が知るわけがないだろう? 1000年前には帝国などなかったのだから」
お互いに帝国に関する知識を持っていないと分かった二人は、唯一この時代の知識を有していそうな弥生へと視線を向けた。
「私も詳しい事は知らないけど、リンドラム帝国は人族、獣人族、竜人族の3種族が暮らしている国家で、3種族がそれぞれ3つの領地で固まっているらしいよ」
「つまり、3つの国がくっ付いているって事ですか?」
「たぶんね。あと私が知っているのは、リンドラム皇帝はエルフだってことくらいかな」
「ほう。エルフの皇帝か」
皇帝が人族、獣人族、竜人族のどれかだと、自分と同じ種族を贔屓するという問題が生じるが、エルフであるなら全く問題はない。
エルフは無限の寿命を持つので代替わりをしないし、頭もよく魔力も高い。700年もの間、フランメギド魔王国の北という位置で国家として存続しているのなら、そのエルフの皇帝は相当優秀なのだろうと琥珀は高く評価した。
琥珀が帝国の体制や皇帝について考えている隣で、健之助は自分の任務をどのように進めて行こうか思案する。
「人族の領地は情報収集も楽そうだけど、獣人族や竜人族の領地は文化的にも未知のものが多いから大変そうだな」
「同じ人族だからと言っても、文化が同じとは限らぬのではないか?」
「た、確かに」
琥珀に指摘され、健之助は前の世界での様々な文化を持った国々を思い出す。
ヨーロッパ、アフリカ、オセアニア、アメリカ。前の世界には人族しか存在しなかったのに、多くの地域に様々な文化と国家があり、争いもたくさんあった。同じ種族だからと言って、リンドラム帝国の人族が無条件に友好的なはずがないのだ。
「どこに行っても私たちは世間知らずのよそ者なんだから、情報を得るのは簡単じゃないと思うよ。だからこそ、やりがいがあるって思って頑張らないとね」
弥生が口にした「やりがい」という言葉が健之助の心に刺さる。
この任務は明確なゴールが無い上に、成功させるのがとても難しい。いわゆる無理ゲーに近いものだと健之助は考えている。
だが、そのリターンは有り得ないほどに大きい。
蝦夷という広大な土地を将軍から賜り、サムライとして確固たる地位を得るだけでなく、武家のお姫様であり、日本からの異邦人である自分を理解してくれる弥生との結婚が認められるのだ。
そして、もしも将軍が気に入るような情報を得る事が叶わなかったとしても、何年かかるか分からない旅で弥生と絆を深め、蓮のように外国に移住して弥生と暮らすという未来の道も伊吹から提示されている。
真面目に任務に取り組めば必ず自分の益になる状況を再認識し、健之助は気を引き締めた。
「ですね。弥生さんとの事もありますから、俺も全力で頑張ります」
「う、うん」
決意を込めた健之助の言葉に、弥生は照れたように頬を染めて頷く。
「……妾は少し船の中を探検してくるとしよう」
健之助と弥生の間に流れる甘い空気を感じ取った琥珀は、わざとらしく別行動を申し出て甲板から遠ざかる。
健之助は琥珀の気遣いに気付きつつも、好都合だと感じて弥生と二人きりの状況でしか出来ない話題を口にした。
「その……伊吹さんに聞かれて答えるみたいな形になっちゃって、俺はとても悔しかったんです」
「ど、どういうこと?」
「最初に気持ちを伝えるのは、二人の時にしたかったですから」
冬の間に健之助と弥生の関係はいつどちらかが告白してもおかしくないほどに進展していた。お互いに口にしたことは無かったが、両想いである事も気付いていた。それなのに春になるまで健之助が告白出来なかったのは、勇気が無かったのと、現状の関係が心地よかったからだった。
「……ごめんね。私から言えたら良かったんだけど、それは伊吹姉様に禁止されていたんだ」
「え?」
健之助の後悔を知り、弥生は伊吹に禁じられていた情報を開示する。
「私から告白したら、健之助君は立場上断れない。だから健之助君の方から告白して貰えるように頑張りなさいって言われていたの」
「だとしたら、俺が勇気を出せなかったせいですね。弥生さんの事はとっくに好きだったのに、告白を後回しにして、曖昧な関係を楽しんでいたせいです」
健之助に好きだと直接言われて、弥生は自分の顔が熱を帯びるのを感じた。
伊吹に健之助が問いただされた時、自分の気持ちも健之助の気持ちも開示された。それ以前に両想いであることは冬の間のやり取りで確信を持っていたのだが、それでも面と向かって好意を口にされたのは初めてであり、弥生は恥ずかしさと嬉しさを同時に噛みしめた。
「あのさ……お互いの気持ちはもう分かっちゃったけど、今の私たちの関係は言葉にしてないよね?」
「関係っていうと、恋人とか婚約者とかですか?」
「う、うん。今の私たちって何だと思う?」
赤面している弥生に問われ、健之助は彼女を愛おしく想いつつ、お互いの関係を表す言葉を真剣に考えた。
「弥生さんのご両親が認めてくれたのは、条件付きの結婚だと思うんで、今はまだ婚約者ではないと思っています」
「それは私もそう思う。まだ婚約までは行ってないよね」
日本人の感覚で言えば、婚約指輪を渡す前段階だ。
両想いではあるので恋人と言って差し支えはないが、ただ好きだから付き合っているのではなく、健之助と弥生は将来を見据えている。そう考えた時、健之助は高校生だった頃の自分なら絶対に言わないであろう、告白の言葉を思い出した。
「結婚を前提に付き合っている、っていうのが一番しっくりくるかもしれません」
「結婚前提……それ、良いかもね」
弥生が肯定した事で、健之助の中で次に口にする言葉が決まった。
高校生が言うには真面目過ぎるとか、重すぎると笑われそうな告白セリフだが、既に学生感覚ではいられなくなっている健之助にはピッタリの言葉だ。
健之助は周囲に聞いている人がいないことを確認してから、弥生に対して真剣に向き直る。
「じゃあ、弥生さん。俺と結婚を前提に付き合って貰えますか?」
「はい。私で良かったら、よろしくお願いします」
日ノ本を舞台にしたお話は一旦終わりです。
次からはリンドラム帝国での話が始まりますが、連載開始日は少し間をあけることになってしまうと思います。
詳細は5月の活動報告で書きますので、良ければチェックをお願いします。




