1000年前の知識
「さて、兄上。日暮れまでは馬車の旅になるのだろう? 今の状況を詳しく教えて貰えるか?」
「あ、ああ」
琥珀を連れて下山した後、俺と弥生さんは麓で待っていた蓮さんたちに琥珀を紹介することになった。
当然だが真実を話すわけにはいかず、お世話になったお婆さんに育てられた孫娘という設定で乗り切ることにした。
俺が挨拶に行くと、お婆さんは去年の冬に亡くなったと知らされ、両親もおらず一人残されてしまった孫娘の琥珀を俺が引き取るという決断をした事を伝えたら、エラさんは驚いていたが、蓮さんとミレーヌさんは簡単に納得してくれた。
一振家の奉公人として雇う形で江戸へ送ればどうかと提案されそうなものだが、蓮さんはサムライになって独り立ちできるように鍛えてやればいいと言ってきたので、俺と弥生さんは妙案だと同意して話を打ち切り、早々に馬車へと乗り込んだ。
そして現在、俺と弥生さんの間に挟まる様に座っている琥珀は、幼い見た目に似合わない鋭い目と古風な口調で状況説明を求めて来た。
「俺たちは今、日ノ本の最北端にある島を目指している。蝦夷って言うんだが、知っているか?」
俺の質問に琥珀は軽く首を振った。
伊吹さんの話では1000年前の蝦夷は日ノ本の土地ではなかったらしいので、琥珀が知らなくとも無理はない。
「いや、知らぬ。北へ行ってどうするのだ?」
「そこから西にあるリンドラム帝国へ渡る予定なんだ」
「リンドラム……帝国?」
「あれ、知らないのか?」
日ノ本の真西に位置しているのがフランメギド魔王国で、その北にあるのがリンドラム帝国だ。1000年前に日ノ本を侵略していた国の妖魔族だった琥珀が、自国の北にある国家を知らないはずがないのだが、彼女は初めて国名を聞いたかのように首を傾げている。
「健之助君、たしかリンドラム帝国は今年で建国700年だったはずだよ」
「あっ、なるほど。1000年前に封印された琥珀は知らない国になるのか」
帝国というから皇帝が統べる歴史ある国家なのかと勝手に思っていたのだが、フランメギドや日ノ本よりも後に出来た国だったらしい。
「ふむ。その国自体は知らぬのだが……リンドラムという名は知っているな」
「どういうことだ?」
「汝らはエリクトフ竜王国を知っているか?」
琥珀は顎に手を当てながら、聞いた事もない国名を口にした。
帝国、魔王国ときて、今度は竜王国か。会ったことは無いが竜族や竜人族という種族がこの世界にはいるようなので、そういった種族の者たちが暮らしている国だと思う。
俺が竜王国について考えていると、隣に座っていた弥生さんが口を開いた。
「名前だけなら、知っているよ。日ノ本と交流はないけど、リンドラム帝国を経由する形でエリクトフ産の石鹸が入ってくることがあるから」
「もしかして、弥生さんが俺に分けてくれた、あの石鹸?」
「うん。そうだよ」
俺は石鹸と聞いて一振家で使っていた石鹸を思い出した。
日ノ本ではまだ石鹸がほとんど流通しておらず、一部の武家だけが所有している超高級品なのだ。一振家で暮らすようになって石鹸を見付けた時の俺の喜びを理解できる者が何人いるだろう?
とはいえ、一振家においても石鹸は貴重品だったので節約しながら使っていたのだが、まさかあの石鹸がエリクトフ産だったとは思わなかった。
「エリクトフ竜王国はリンドラム帝国から見ても遠くにあるらしくて、日ノ本に来るまでにほとんどが売れちゃうから中々手に入らないんだよね」
「弥生さん、石鹸の作り方って分からないんですか?」
「分からないし、誰も教えてくれないよ。教えちゃったら買わないで自分で作る様になるでしょう?」
それはその通りだが、石鹸の製法は絶対に知っておいた方が良い。
今は『浄化の水』という素晴らしい魔法を習得しているのでそこまで困っていないが、以前は用途に合わせた多種多様な石鹸が欲しくてしょうがなかった。
洗濯石鹸、食器洗い用石鹸、手洗い用石鹸、洗顔石鹼、シャンプー、コンディショナー、ボディソープ。どれも当たり前の存在だったが、その全てが日ノ本にはないのだ。
代用品はもちろんあるが、品質は比べようもないほどにかけ離れている。
もしかして、今回の任務で石鹸の製法を調べ上げることが出来れば、相当喜ばれるのではないだろうか?
「汝ら、話が逸れ過ぎてないか?」
「あっ、ごめん、ごめん。それで、そのエリクトフ竜王国がどうしたんだ?」
琥珀に指摘されて、俺はすぐさま話題を本筋へと戻す。琥珀が知っているということは、エリクトフ竜王国は日ノ本と同じかそれ以上の歴史がある国家という事になる。
遠くにあるという話だが、一体どの辺りにある国なのだろうか?
「リンドラムという名は、エリクトフ竜王国の初代竜王の名前なのだ」
「え?」
「てっきり、エリクトフ竜王国が国名を変えたのかと思ったが、弥生の話が本当ならリンドラム帝国とエリクトフ竜王国は別のようだし、変だとは思わぬか?」
「別の国の王様の名前を国名に使っているってことか。普通なら、エリクトフ竜王国から抗議されそうなものだけど」
エリクトフ産の石鹸をリンドラム帝国の商人が売ってくれているのだから、両国の関係はそこまで悪くないのだとは思う。
「その辺りは、リンドラム帝国に着いたらララミアさんに聞いてみたら?」
「だな」
弥生さんの言う通り、ララミアさんに聞けばすぐに教えて貰えるだろう。
リンドラム帝国で落ち合う約束をしているので、琥珀の疑問も数日後には解決すると思われる。
「ララミアというのは誰だ?」
「日ノ本に観光に来ていたリンドラム帝国のハーフエルフで、帝国に着いたら合流して色々と教わる予定なんだ」
「ほう、ハーフエルフとは珍しい種族だな。もしかしたら、妾よりも年上かも知れぬ」
「エルフは長命なイメージだけど、琥珀より年上だと1200歳以上ってことになるぞ?」
200歳越えのエルフなどが登場するファンタジー作品はよく見るが、1200歳のエルフというのは中々に珍しいのではないだろうか?
有り得ないとは言い切れないが、ララミアさんはハーフエルフだし、話した感じも若々しく感じたので、俺は普通に20代のお姉さんと話している気分で接していた。
「エルフには寿命がないからおかしな話ではあるまい。ハーフエルフがどうなのかは知らぬが」
「寿命が無い?」
「魔人族が自分たちと対等と認める種族の内の一つが亜人族のエルフだ。無限の寿命を持つエルフの知識は魔人族の魔力に匹敵する力を持っていると言われている」
それは不老不死という事だろうか?
半分は人族であるララミアさんがどうなのかは分からないが、俺の考えている年齢の10倍は年上の可能性もありそうだ。
「して、汝らは何故そのリンドラム帝国へ渡ろうとしておるのだ? 観光か?」
「いや、どっちかっていうと仕事だな」
「仕事?」
「国からの依頼で、外国の情報を仕入れなきゃいけないんだ。日ノ本のサムライは国を出たがらないから、男の俺に白羽の矢が立った」
「……なるほど、呪いの無い土地ではサムライの優位性が失われるので、男の方が良いという事か」
琥珀は何か考える様に顎に手を当てると、俺が説明するよりも先に喋り始めた。妖魔族というのは理解力も高いらしい。
「す、鋭いな」
「伊達に1000年も封じられていたわけではない。呪いのせいで男が力と権力を失い、女の時代が来たが、他国ではいまだに男の方が力も発言力も高い。そして他国の情報が足りずに良いように言いくるめられて商いの主導権を握られ続けているのが今の日ノ本か」
隣に座っている弥生さんの顔色が軽く青ざめた所を見るに、琥珀の予想通り日ノ本は貿易の主導権を握られているらしい。
俺が思っていたよりも、日ノ本の置かれている状況は良くないようだ。
「先ほど、石鹸とかいう物の話が出ていたが、それが良い例だろう。どれだけ値を吊り上げられても、日ノ本のサムライたちにはそれが不当な価格かは分からない。それでも買わなければ次は持って来てもらえないかもしれない。そういう足元を見られているような状況を打開するべく、健之助が遣わされるということだな」
弥生さんが蒼い顔で頷くと、琥珀は満足そうに腕を組んだ。
「ふむ。この半年で兄上は随分と国からの信頼を得たのだな。本来であれば国の重役が担うような仕事であろう?」
「日ノ本の男で、外国の屈強な男たちと渡り合えそうな人間が俺しかいないらしいんだ」
蝦夷や外国の土地にいれば呪いの影響を受けないので、蓮さんも候補に入るはずなのだが、あの性格では彼が国のために真面目に働くとは思えないし、外国の男性たちと上手く交渉が出来るタイプにも見えない。
伊吹さんや夕陽さんからしてみれば、俺の方が推しやすかったのだと思う。上手くいけば弥生さんと俺を結婚させることで、一振家の親族として取り込めるところまで計算に入れていそうだ。
「さもありなん。妾の封印を解いた時の自然魔法を見れば分かることだが、あれから相当強くなったようだな?」
琥珀は俺のステータスを確認出来ないはずだが、使った魔法を見ればある程度の戦闘力を有していることくらいは分かるのだろう。
「俺のユニークスキルについては琥珀と弥生さんしか知らないから、そこは気を付けてくれよ」
一応、釘を差しておこうと思ったのだが、琥珀は俺よりも弥生さんへと視線を向けた。
「そういえば、弥生はステータスを見る魔眼を持っているのだったな」
「わ、私のスキルの事も秘密でお願いね」
「分かっておる。では、妾の種族の事も秘密で頼むぞ」
俺の『レベルダウン無効』と弥生さんの『絶対鑑定の魔眼』、そして琥珀は1000年前を知る『妖魔族』。
他人に絶対に言えない秘密を、俺たち3人は共有していた。
「俺たちは運命共同体ってわけか」
「だね」
「うむ。一蓮托生だ」
3人で顔を見合わせて笑い合う。
普通なら誰にも言えないような秘密を共有できる存在がいるというのは、それだけで随分と気が楽になる。
困ったときに相談できる相手が二人もいる俺は幸せ者かも知れない。
「そうだ、種族で思い出したけど、お前は俺が飲み込まれた裂け目を作る魔法は使えないのか? 確か、天の魔法とか言っていたよな?」
最初に裂け目について質問した時に、確かそのような事を言っていたはずだ。
同時に妖魔族に会う事がほぼ不可能に近いという説明を受けたので、俺は裂け目について考えるのを止めていたのだが、琥珀が妖魔族だと分かった今、状況は変わるかもしれない。
琥珀は軽く目を見開いて驚いた顔をした後、申し訳なさそうに表情を歪めた。
「よく覚えておるな。確かに言ったが、妾は天の魔法は使えぬぞ」
「なんでだよ? 種族魔法は習得していなかったのか?」
ララミアさんが研究している妖魔族の種族魔法がその天の魔法だというのなら、琥珀は使えるはずだ。
「種族魔法に関しての知識もあるのか。それなら話は早いが、妖魔族の種族魔法には二種類あるのだ。空間を司る天の魔法と時間を司る地の魔法。そして妾が得意としているのは地の魔法だ」
「……今から習得も出来ないのか?」
琥珀は目を伏せて首を横に振った。
「難しいな。亜人族がエルフとドワーフで分けられるように、妖魔族も半人と半獣で分けられるのだ。天を習得出来るのは魔人族と人族の子孫である妖魔族。妾にはどうあがいても天の魔法は習得出来ぬ」
「そうか」
元々、ほとんど諦めていたので別に良いのだが、やはり俺は日本へ帰れない運命にあるようだ。
話はそこで終わりだと思ったのだが、琥珀は怪訝な顔で俺を見つめていた。
「……どうした?」
「もしも妾が天の魔法を使えたとしたら、どうする気だったのだ? 日ノ本の為に大仕事を任されたのだろう? まだ汝は元の世界へ帰る方法を探しているのか?」
「あ、いや、そういうわけじゃないけど……」
琥珀の疑問に、俺は返す言葉が見つからなかった。
この世界で生きていく覚悟はあるし、日本へはもう帰れないと思っている。妖魔族の魔法に関してはちょっと気になったから聞いただけだったのだが、日ノ本のための仕事をすると言いながら、日本へ帰る方法を探しているのは矛盾していると思われても仕方がないのだ。
俺が黙った事で、隣で話を聞いていた弥生さんが口を開いた。
「えっと、良く分からないんだけど、健之助君が落ちた裂け目が妖魔族の魔法だったってことなの?」
「……確定じゃないけど、それらしい種族魔法があるらしいんです」
「なるほど……? 健之助君は、元の世界へ帰る方法を探しているの?」
弥生さんの瞳は俺をしっかりと見つめていて、その表情は俺を心配している様に見えた。
ここで変に誤魔化すのは、余計な誤解を生むだけだろう。
「帰りたい気持ちが無いわけでは無いです。でも、ほぼほぼ無理だってことはこの世界に来た初日に琥珀に説明されて理解しているので、諦めてはいます」
「そっか。私と違って健之助君は帰り方が分かれば帰れるもんね……」
「あ、あの、勘違いしないで欲しいんですけど、もしも奇跡的に帰る方法が分かっても、あっちとこっちを行き来出来ないなら、帰らないと思いますよ?」
「どうして?」
「こんな中途半端な状況で全てを投げ出して元の世界に帰るのは良くないですし」
弥生さんや松葉組のみんなに俺は本当に助けられた。
例え日本に帰ることが出来なくても、この世界で楽しく生きていけそうだと思えたのは、松葉組のサムライという立場を得て、みんなにこの世界で生きる一人の人間だと認めて貰えたからだと思っている。
そんなみんなを裏切る様に、帰る方法が分かったからといって、中途半端に仕事を投げ出して帰る気はないのだ。
「でも、向こうの家族は喜ぶと思うよ?」
「それはそうですけど、今は大事な任務中なので帰る気にはなりません」
「じゃあ、この任務が終わって、帰れる方法が分かったら帰るって事?」
「いや、それは……その時になってみないと分かりません」
弥生さんは日本で生活した記憶を持っているだけあって、俺の置かれた状況や俺の感情に対する解像度が高いようだ。的確に俺が考えるのを後回しにしておきたい部分を聞いてくる。
だからこそ、俺は弥生さんに嘘を吐きたくなくて、あえて分からないと返答した。
この大仕事を終えて、やるべきことをやった後で日本に帰る方法が分かった時、俺はそのまま日本に帰るのか、それともこの世界で弥生さんと生きていくのか。今すぐに決めることなど出来なかった。
「……だよね。難しい事を聞いちゃってごめん」
「いえ、俺もちゃんと答えられなくてすみません」
俺が弥生さんに頭を下げると、向かいの席でやり取りを見ていた琥珀があっけらかんとした顔で言い放った。
「まあ、ほぼ無理な話なのだから、そんなに考える事でもないと思うぞ?」
それはそうなのだが、俺と弥生さんにとっては軽く流せる内容の話でもないのだ。
とはいえ、車内の空気はあまり良くなかったので、琥珀の軽いノリに多少助けられた気持ちもある。
「それよりも、妾は後ろの馬車に乗っておる者たちの事が気になるな。目的地に到着するまでに色々と教えてもらえぬか?」
「分かった。じゃあまずは蓮さんから――」
その後は、蓮さんたちの説明から、俺が琥珀と別れてからどのように立ち回って生きて来たのかなどの話を聞かせた。
琥珀は俺の話を聞きながら、馬車の窓から見える景色を寂しそうに眺めていた。
その顔を見た時、琥珀も俺と同じように、親しい人たちと別れすら交わす事も出来ずに、1000年後という未知の世界に放り出された存在なのだと気が付いた。




