新たな名前
「妖魔族……?」
「ほう? 妾の名と種族を見抜く魔眼か。であれば、警戒されるのも無理はない」
弥生さんに名前と種族を看破されたことで、ペトロネラというらしい妖魔族の女性は両手を上げて無抵抗を示した。
弥生さんのユニークスキルの事は知っているので、彼女の言葉は真実なのだろうけれど、俺は目の前の女性が『霞刃』を向けられるほど危険な存在には見えなかった。
「妾には敵対の意思はない。その刃を納めては貰えぬか?」
「妖魔族の言う事など、信用できない! この国を苦しめている呪いや鬼は妖魔族が作ったものだ。敵対の意志が無いというのなら、呪いと鬼を消して見せて!」
珍しく語気を荒げている弥生さんに対して、ペトロネラは困ったように表情を歪ませた。
「それは……妾には出来ぬことだ。何百年も前にこの地を訪れた人の子に、呪いや鬼の話を聞いているので存在は知っているが、それを消す術を妾は知らぬのだ」
「弥生さん、止めましょう。彼女はこの世界に来たばかりの俺に親身になって話を聞いてくれて、これからの生き方を示してくれました。人族に敵対する気があるのなら、そんなことはしないはずです」
俺はいたたまれなくなって弥生さんの肩に手を置いて隣に立った。
同じ妖魔族だと言っても、彼女が『鬼王』ではない事は明白だ。鬼王が創り出した鬼を消せと彼女に命令するのはあまりにも無茶が過ぎる。
「それは、こうして石化から脱する糸口を探していたからかも知れないでしょう?」
「あの時の俺は、スキルや魔法どころか、ステータスの存在すら知りませんでした。そんな俺を助けて恩を売ったところで何になるって言うんですか。結果として俺が石化を解きましたけど、こんな未来を予想できるのは未来予知のスキルを持っている人くらいですよ。彼女はそういったスキルを持っているんですか?」
「それは……ないけど」
弥生さんの刀が少し下に動く。俺とペトロネラを交互に見て、刀を納めるべきか悩んでいるのだろう。
俺はペトロネラが友好的な人だと分かってもらえる方法がないか思考を巡らせる。
そこで、先ほどまでペトロネラが言っていた、名前に関する方法で一つ思い付いた事があった。
「弥生さん、俺たちのステータスに書いてある名前って、どうやって決まるんですか?」
「えっ? それは、大体は親が決めてくれるよね?」
「親が決めた瞬間にステータスに表示されるんですか?」
「ああ、そういうこと? それなら、自分の名前を認識した時に表示されるから、赤ちゃんの頃は無表記だよ」
「変装して偽名を名乗ったらどうなります?」
「それは反映されないね。ちゃんと本名が表示されるけど……それがどうしたの?」
弥生さんは話が読めないと眉をひそめたが、俺は全てを説明する前にペトロネラへと向き直った。
先にペトロネラからも確認しておきたいことがある。
「ペトロネラって言いましたよね? どうして、自分が妖魔族だって黙っていたんですか?」
「今の状況を見れば分かるであろう? 妖魔族は人族にとって天敵――いや、宿敵や怨敵とも言える種族。人族相手に明かすと無用な争いを生むと思ったのだ」
ペトロネラの言い分も理解できるところがあるが、それが今は逆に不信感を生んでしまっている。ここまで来たら、彼女は俺たちに全てを見せるべきだ。
「あなたなりの考えは分かりました。ですが、既に妖魔族だと判明した今、俺たちに敵対していないと証明するために、元の姿を見せてもらえませんか?」
「……分かった」
ペトロネラが素直に頷いたかと思うと、彼女の身体が光を帯び、その光が剥がれ落ちるようにして彼女本来の姿が衆目に晒された。
俺は光の中から現れたペトロネラの姿を見て息を呑む。
本来のペトロネラはこれまで俺たちが見て来た姿よりもずっと小柄で、若い少女の姿だったのだ。
長い金髪に琥珀色の瞳。人族と同じ位置にある金色の毛に覆われた獣の耳、赤い着物の後ろから飛び出しているふわふわの大きな尻尾。
九つある大きな尻尾を見て、俺は彼女が狐の妖魔族だと気が付いた。
「ふむ。やはり、この姿は恐ろしいか?」
「い、いえ……思ったより子供で驚いただけです」
獣人族の血を引いていると言っていたので、獣要素が増える事はある程度予想していたのだが、20代前半くらいの見た目だった彼女が、突然10代前半くらいの子供に変身したら誰だって驚くと思う。
「妾が子供?」
「石にされる前は何歳だったんですか?」
「200歳ほどだったが、妖魔族は長命だからな。人族の感覚で言えば15、6歳くらいだと思うぞ」
俺は怒られるのを覚悟で女性にするべきではない年齢に関する質問をぶつけてみたのだが、ペトロネラは何一つ抵抗が無いのか、間髪入れずに教えてくれた。
人族で言うところの15、6歳と言っているが、どう見ても外見年齢は13歳くらいだ。涼子よりも年齢と外見の差が激しい。
「さっき、俺に名前を決めてくれって言っていましたよね?」
「うむ。ペトロネラという名は人族に敵対していた頃の名だ。今の妾はそのようなつもりはないので、昔の名は捨てたいのだ」
「じゃあ――琥珀って名前はどうですか?」
俺は彼女の瞳の色を見て思い出した名前を提案する。
「琥珀? 悪くは無いが、どうしてその名になったのだ?」
「子供の頃、家で飼っていた犬の名前です」
俺の爆弾発言に対して、隣にいた弥生さんがギョッとしたように目を見開いてこちらを見た。
「ちょっ!? 健之助君!?」
琥珀という名前自体は悪いものでは無いと思う。しかし、犬に付けていた名前だと言われて、喜ぶ人はそうはいないだろう。
おそらくは、失礼だと怒る人がほとんどだ。
だからこそ、俺はあえてそれを明かす形で提案したのだが、ペトロネラは暫く思案した後で小さく頷いた。
「……よかろう。では、今から妾は琥珀だ。人族に敵対しない証として、汝の犬――家来にでもなれば良いか?」
「ええっ!?」
「弥生さん。驚いてないで、彼女のステータスを確認してください」
俺は先ほどから驚いてばかりいる弥生さんに、魔眼を使ってペトロネラのステータスを確認するようにお願いした。
最初に弥生さんに確認した通り、ステータスの名前は偽名では反映されない。つまり、ペトロネラが琥珀という名前をちゃんと本名として受け入れているかがステータスを見れば分かるはずなのだ。
「えっ? あっ、そ、そういうこと?」
弥生さんは俺の考えが分かったのか、ペトロネラへ視線を向けて魔眼を発動する。
「……えっと、一応名前は変わってはいるね」
「一応ってどういう事ですか?」
「琥珀じゃなくて、萩原琥珀になっているの」
「はあ?」
予想外の苗字に俺は声を上げて驚いた。
何を考えているのかは分からないが、ペトロネラは琥珀という名前だけではなく、俺と同じ苗字を自分の名前だと認識しているらしい。
「妾は汝の犬の名を受け継いだのだ。であれば、家名も汝と同じが良いだろうと思ったのだが?」
「いや、何もそこまでしろとは言ってないですよ」
確かに、動物病院とかでペットの名前を呼ばれる時に萩原琥珀と家の犬が呼ばれていたことはあったが、俺はペトロネラにそこまで求めていない。
これではペトロネラが俺の家族になったみたいではないか。
「しかし、これこそが汝の狙いであろう? 犬の名すら受け入れるようなら、汝に敵対しないという証明になる。だからこそ、わざわざ犬の名だと明かした上で妾に名を与えた。違うか?」
「そ、そうですけど……」
やはりというか、俺の考えなどお見通しのようだ。けれど、彼女の名前は本当に萩原琥珀に変更されているので、俺たちに敵対しない証明としてその名前を受け入れたのは間違いない。
ペトロネラは自信満々の笑顔で弥生さんへと視線を向ける。
「弥生はどうだ? 妾が汝らに敵対する気が無いと分かって貰えたか?」
弥生さんは少しだけ躊躇う様に視線を彷徨わせた後で、観念するように息を吐き出すと、構えていた『霞刃』を消して納刀する。
「……ステータスの名前は本人が本気で受け入れなければ変わることはありませんから、信用できます」
「そうか、それではこれから長い付き合いになるかと思うが、よろしく頼む」
「え?」
俺はペトロネラの言葉に「よろしく」と返そうと思っていたのだが、弥生さんが困惑するような声を上げたので、俺は彼女へと視線を向けた。
「ん? どうした?」
「いや、長い付き合いって?」
「妾は健之助の犬――いや、この場合は狐か? となったのだ。健之助と共にいる汝とも長い付き合いになるだろうから、仲良くしてくれると嬉しいと思ったのだが?」
「ああ、そういうことですか」
弥生さんは何故かそれで納得したように頷いたのだが、今度は俺が納得できない状況へと陥った。
「ち、ちょっと待ってください! 名前の話は人族に敵対しないことを証明してもらうためにやっただけですから、もうその名前を名乗らなくて良いですよ!?」
「そうコロコロと名前を変えられるか。妾はこれから萩原琥珀だ」
「で、でもそれだと俺と家族だと思われちゃいますよ?」
俺としては再び名前をペトロネラに戻すか、もっとちゃんとした名前を新しくみんなで考えたいと思っていたのだが、彼女は琥珀という名前でこれからも生活するつもりだったようだ。
「……汝の飼い狐だと紹介したらどうだ?」
「嫌ですよ! 俺の人間性を疑われます」
「そうか、なら普段はこうしよう」
ペトロネラは耳を人族の形へ変化させ、尻尾を消し、髪の毛と目の色を俺と同じにした。
得意魔法の『幻影』を使ったのだと思うが、俺から見ると完全に変化の術だ。狐に化かされている気分になってくる。
「妾は汝の妹だ。よろしく頼むぞ、兄上」
「な、なんでそうなるんですかっ!」
俺は頼もしい旅の仲間が増えた程度の気持ちでいたというのに、妹が増えることになるなんて思ってもみなかった。
なんとか止めたいところなのだが、ペトロネラは俺のツッコミを無視して話を進めていく。
「そうだ。兄なのだから敬語も止めてくれ。弥生も気を遣わずに言葉を崩してくれて良いぞ?」
「ええっ?」
「あ、うん。分かった」
「ま、待って弥生さん。これって決定事項なんですか? 本当に俺の妹になるの?」
旅の仲間が増えるのと、家族が増えるのとでは心構えが全く違う。
山の麓で待っている蓮さんたちにはどうやって説明したら良いと言うのか。
「琥珀――ちゃんを、このまま放置するわけにもいかないでしょう? 健之助君に敵対しないことはほとんど証明出来ていると思っているから、近くにおいて監視した方が良いよ」
確かに、俺に敵対しない事はほぼ証明出来ていると言える。
しかし、俺以外には彼女がどのような態度を取るのか分からないということであり、弥生さんは俺の妹という名目でも良いから近くにおいて監視したいのだろう。
「……わ、分かりました」
俺は半ば諦める様に認めると、ペトロネラ改め、琥珀へと向き直る。
「えっと、じゃあ、琥珀。これからよろしくな」
「うむ。妾を解放してくれたこと、改めて感謝するぞ、兄上」
人族の姿に化けた妖魔族の妹。
俺は彼女が今後の旅の行く末を大きく左右する気がして、とても不安になった。
妖魔族の琥珀が仲間になりました。
次回はついに蝦夷に到着します。




