新たな任務(前編)
一時は凍え死ぬかと思うほどに寒くなった江戸の町も、少しずつ気温が上昇して冬の終わりを感じて来た頃。俺は伊吹さんと弥生さんに七々扇邸の奥の座敷へと連れていかれた。
待ち構えていたのは七々扇千奈さんと蓮さんだ。座敷の端に視線をやると、エラさんとミレーヌさんも控えている。
「久しぶりですね、健之助君」
「お、お久しぶりです」
千奈さんに声を掛けられ、俺は少しだけ緊張した声で挨拶を交わした。
伊吹さんと蓮さんは年上のお姉さんとお兄さんという感じだが、千奈さんは完全に大人だ。気軽に話しかけられる相手でもないので、稽古の休憩時間に見かけても頭を下げるくらいで、会話という会話をした記憶がない。
つまるところ、俺は千奈さんが少しだけ苦手なのだ。
「本日、健之助君を呼んだのは、とある任務を任せたいと思ったからです」
「鬼討伐ですか?」
俺の当たり前の質問に、千奈さんは素早く首を振る。
サムライである俺に、鬼討伐以外の任務とは何だろうか?
他にもたくさんのサムライがいるにも関わらず、俺をこんなところへ呼び出したのだから、男にしか頼めない任務なのだろうか?
「いいえ。ですが、場合によってはそれより危険かもしれませんし、期間も長いと思います」
「長期間の任務で、鬼討伐より危険って……フランメギド魔王国と戦争するわけじゃないですよね?」
俺は真っ先に思い付いた事を口にしたのだが、千奈さんには予想外の言葉だったようで、目を見開いて驚かれた。
「その規模の話であれば、あなたにだけ任せるような事はしないでしょう?」
それはそうだ。
だが、鬼討伐よりも危険な可能性がある任務で、他国との戦争でも無いとなると、いよいよもって何の任務なのか分からなくなった。
「健之助君にお願いしたいのは、蓮の護衛です」
「蓮さんの? よっぽど危険な場所に行くんですか?」
「リンドラム帝国です」
「えっ……?」
予想の斜め上の答えに、今度は俺が面食らった。
リンドラム帝国はララミアさんの出身国で、日ノ本に友好的な国家だという事は知っている。だが、飛行機の無いこの世界で大陸へ渡るという事は長い船旅を意味しており、それは確かに場合によっては鬼討伐よりも危険な目に会う可能性がある任務だ。
「健之助君は蓮とも交流があるので、人柄はご存知ですね?」
「は、はい」
「であれば分かると思いますが、蓮は日ノ本の男児として生きるのに向いていません」
「……そ、それは言い過ぎなんじゃ」
俺は千奈さんの余りにも酷い言い草に驚いて、蓮さんへと視線を向ける。
実の母親からこの様な事を言われては、さすがの蓮さんも傷付いたのではないかと思ったのだが、彼は変然とした顔で口を開いた。
「同情はいらないぞ、健之助。俺だって自分が日ノ本の男らしく生きられるとは思っていないし、男らしく生きたいとも思っていない」
ややこしいが、ここで言う『男らしい』とは古い日本の『女らしい』という考え方だろう。昔は奥ゆかしく献身的に男性を支える女性が好まれたと聞いた事があるので、性別の立場が逆転している日ノ本では男性である俺や蓮さんに女性を支える事を望まれるのだと思う。
蓮さんは竹刀を振り回して剣術や魔法の稽古をする手の付けられないお転婆姫で、俺は男に混じってサムライを名乗る男勝りな町娘という感じだろうか?
漫画やアニメの影響で戦う女性というものを見慣れているせいか、そういう女性が居ても良いと思ってしまうのだが、江戸時代の感覚では無しなのだろう。
「こんな性格ですから、蓮を婿にと望む家は皆無。蓮自身も日ノ本の女性は好かないと、エラとばかり関係を深めています」
「えっと……それならエラさんと結婚すれば良いのでは?」
俺が当然のようにエラさんとの結婚を勧めると、端の方に座っていたエラさんは嬉しそうに目を輝かせたが、逆に蓮さんは俺の正気を疑うような目で睨んで来た。
「おい、健之助。冗談は止めろ。エラは俺の家来だぞ」
「結婚しようにも、エラは土地も家も持っていませんから、蓮を夫に迎える事は出来ません」
「別に家を持ってなくても――」
「――け、健之助君」
俺の言葉は隣に座っていた弥生さんに肩を掴まれるという形で止められた。
蓮さんは天邪鬼的なところがあるので、本当はエラさんをとても大切に想っているはずだ。それが分かっているからこそ、千奈さんは二人の関係に言及したのだと思っている。
お互いに想い合っているのなら、どうせ他に結婚相手は見つからないのだし、籍だけでも入れてしまえば良いと思ったのだが、どうやらそう簡単な話ではないようだ。
「教えてなかったんだけど、日ノ本だと結婚は女性の家に男性が婿入りすることを言うの。だから、土地どころか家も持っていないエラさんは結婚出来ないんだよ」
この国は、個人の感情よりも家の事を考えて結婚相手を決めるらしい。エラさんには土地も家族も家もない。サムライでもないし、七々扇家に奉公している身分だ。蓮さんと結婚など通常では有り得ない話だというのは理解できる。
けれど、どうにもやるせない気持ちになってしまい、俺は膝の上にあった拳を強く握りしめた。
「……事情は何となく分かりましたけど、それでリンドラム帝国まで蓮さんを護衛って……どういうことですか?」
「蓮には日ノ本ではなく、外国で自身にあった土地を探してもらいたいと考えています」
「はあ?」
突然の情報に、俺は頭を殴られたような感覚に襲われ、礼を失した言葉が口から洩れた。
俺の無礼を咎めるかのように隣にいた弥生さんが俺の足を叩く。
「健之助君」
「あっ! す、すみません!」
「いえ、驚くのも無理はありませんから」
千奈さんは俺の無礼を軽く流すと、話を続けた。
「日ノ本では男の蓮が家を持つことは出来ませんが、外国であれば男が家を持って妻を迎えることも出来ます」
「いやでも……この家で何不自由なく育てられた蓮さんに、外国で一から生活の基盤を作っていくことなんて出来るんですか? 外国に行ったら蓮さんの立場って平民になるんですよ?」
俺が思い付くままの不安要素を口にすると、千奈さんは軽く目を見張って驚き、蓮さんが苛立たし気に眉間に皺を寄せた。
「おい、健之助。お前、さっきから失礼だぞ」
「す、すみません。でも……蓮さんは不安じゃないんですか?」
「ふん。俺に不可能はない」
蓮さんは俺の心配する視線から目を逸らすと、不機嫌そうに腕を組んで言い放った。
何でこの人はこんなに自信があるのだろう?
楓さんのような天才なのか、現実を知らない馬鹿なのか、外国に行ってみれば分かることだが、もしも外国で困ったことになっても、七々扇家は助けてあげられないかもしれないのだ。それは護衛に付くように頼まれている俺も同じだ。
常識の通用しない世界の海外なんて、俺は俺の身を守ることで精一杯になる気がしてならない。
不安要素しかない蓮さんを見て、千奈さんは大きくため息を吐くと、部屋の隅にいるエラさんへ視線を向けた。
「私も不安ではありますが……そこはエラの働きに期待するしかありませんね」
「が、頑張ります」
エラさんが裏返りかけた声で返事をすると、蓮さんが面倒臭そうに舌打ちした後で、俺に向き直る。
「外国は日ノ本みたいな呪いが無いんだ。俺のレベルが上がりさえすれば、魔獣退治なんかである程度の金は稼げるだろうし、何とかなるはずだ。とにかく、まずは世界を見てみたい。健之助とミレーヌにはリンドラム帝国までの護衛を頼む」
頭こそ下げなかったが、これまで命令口調だった蓮さんが「頼む」と口にしたところに彼なりの誠意を感じた。
たったそれだけの変化だったが、それで彼の言う事を聞いてあげても良いかと思えてしまうほどに、七々扇蓮という男には不思議な魅力があった。
「俺の任務がリンドラム帝国までなのは分かりましたけど、ミレーヌさんもなんですか?」
「……私の目的は前に話したでしょう? 有力な情報は得られなかったけど、帝国に奴らの協力者が潜伏している事は分かったから、帝国に着いたら私は私の目的のために動く」
「そうですか。だとすると蓮さんとエラさんがちょっと心配ですね」
俺とミレーヌさんが帝国に付いたところで護衛から外れるとなると、蓮さんのレベルが上がるまではかなり危険が付き纏うと思う。
「そんなに心配してくれるなら、やっぱり俺の家来になるか?」
「そ、それは遠慮しますけど……」
「なら、せめてリンドラム帝国までは護衛しろ。そこからはどうなろうと俺の自己責任だ」
それはそうなのだが、心配なものは心配なのだ。けれど、俺がこれ以上何かを口にしても状況は改善しないだろう。
おそらく、松葉組から俺を護衛に付けるというのが千奈さんに出来る最大限の支援であり、リンドラム帝国に付いてからは蓮さんが自分で何とかするしかないのだ。
「分かりました。護衛の件はお引き受けします」
「おう。頼んだぞ」
「ありがとうございます、健之助君。息子を頼みます」
千奈さんはホッとしたような顔で深く頭を下げた。
この国で男の俺に頭を下げられる女性が何人いるだろう?
それだけ千奈さんにとって蓮さんは特別なのだ。
俺は絶対に無傷で蓮さんを送り届けると決意すると、準備のために日程を確認した。
「出発はいつですか?」
「三日後です」
「――え」
三日後?
それはいくら何でも急すぎないだろうか?
「そ、それだと楓さんも帰ってこないじゃないですか。せめて楓さんが戻るまでは待ちましょうよ」
「楓が帰ってくるとややこしくなるので、居ない内に出発して欲しいのです」
楓さんが居ない間に出発する方が、後で絶対にややこしくなると思う。
長期任務から帰ってきたら、弟が外国へ旅立っていて、再会の保証もない事を知らされるなど、楓さんがショックでどうにかなってしまうかもしれない。というか、護衛任務を終えてリンドラム帝国から帰ってきたら、俺は楓さんにどんな顔で会えば良いのだ?
「楓は蓮を溺愛していますから、蓮がどれほど希望して私が許可しようとも、蓮の外国行きを認める事はないでしょう。いえ、もしかしたら認めるかもしれませんが、その時は自分も一緒に行くと言い出しかねません」
「楓さんなら言いそうではありますね」
あの人はサムライの中だけではなく、人族の中で一番強い可能性がある。
レベル80を越えた超人的な強さをもってすれば、外国の男たちにも負けないだろう。
「なので、楓が帰ってくる前に出発して欲しいのです」
「蓮さんは良いんですか? 楓さんとお別れも出来ないんですよ?」
「姉上には世話になったとは思っているが、ここは母上の判断が正しい。向こうで良い土地を見付けて、生活が安定したところで連絡を入れるくらいが適切な距離感だと思う」
溺愛している弟に厄介者扱いされていると知ったら楓さん泣くのではないだろうか?
母親と弟がこうまで言うのだから、俺がこれ以上口を挟める内容ではないが、不憫でならない。
「……蓮さんが良いなら止めはしません。じゃあ、俺は三日後に出発できるように準備を進めますね」
「ああ、頼む」
「よろしくお願いします」
こうして俺のリンドラム帝国行きが決まり、俺は伊吹さんと弥生さんと共に座敷を後にした。
かなり長くなったので前後編に分割しています。
次回は健之助、伊吹、弥生の3人で任務に付いて話し合います。




