こっくりさん③
現在17:00。
尾軽の運転する軽自動車は、雨に濡れた都心の道路を静かに走っていた。
ワイパーが一定のリズムでフロントガラスを往復し、そのたびに視界を覆っていた雨粒が左右へ押し流されていく。
赤信号で車が止まる。
後部座席では、輝が窓に額を押しつけ、流れ落ちる雨粒をぼんやりと目で追っていた。
灯二の家を出てからしばらく経つというのに、表情はまだ硬い。
一方、助手席の灯二は片手で顎を支え、窓の外には目も向けず、何かを考え込んでいた。
しばらく車内には、ワイパーの音とタイヤが濡れた路面を踏む音だけが響いていた。
やがて、輝がぽつりと口を開く。
「ねぇさ、いまさらなんだけど……こっくりさんって実在するの?」
その声には、期待よりも不安の方が強く滲んでいた。
灯二はすぐには答えなかった。
顎に添えていた手を離し、前方を見つめたまま、淡々と口を開く。
「居たら、とても喜ばしいことだな」
「なっ、何言ってんだよ灯二!?」
「嬉しくなんてないよ!」
僕と輝の声が、ほとんど同時に車内へ響いた。
運転中だというのに、思わずハンドルを握る手に力が入る。
だが、灯二は僕らの反応など気にする様子もない。
むしろ、少し楽しそうだった。
「例えばポルターガイストや金縛り、寝ている間に首を絞める幽霊が実在するとしたら、それを証明できたらノーベル賞ものだ」
「ノーベル賞……?」
輝が首を傾げる。
「素晴らしい発明をした人に送られる世界を変えるレベルのすごいことだ」
灯二は構わず続けた。
「物理法則を無視して世界に干渉できる。物体を消費することなく物を動かせる。そんな存在が本当にいるなら、エネルギー保存の法則を根本から覆すことになる」
「……エネルギーホゾン?」
輝の眉間に、さらに深いシワが寄った。
灯二は少し考えるように顎に手を当て、それから後部座席の輝を振り返った。
「じゃあ、もっと簡単に説明してやる。例えば輝、お前が自転車に乗って坂道を下ったとする」
「うん」
「自転車は何もしなくても勝手に加速するだろ?」
「する」
「それは、坂の上にいた時の『高さ』が、下に向かって進むための力に変わっているからだ。つまり、最初から持っていたエネルギーを別の形に変えているだけなんだ」
「……?」
輝は眉間に皺を寄せた。
「じゃあ、こっちの方が分かりやすい。俺が何もないところから突然百円玉を出したら、どう思う?」
「すげー!手品?って思う」
「手品なら種がある。だが、本当に何も持っていないのに百円玉が突然現れたなら?」
「……変だと思う」
「そうだ。エネルギー保存の法則っていうのは、それと似ている。『何もないところから、勝手にエネルギーを生み出すことはできない』っていう考え方だ」
灯二は運転している僕の左肩を指先で軽くつついた。
「んっ?」
「気にせず運転してろゴリラ。今お前より分かりやすい授業をしている最中だ」
「色々ひどい」
「例えば、十円玉を俺が指で弾けば動く。それは俺の指が持っていたエネルギーが、十円玉の動きに変わったからだ。十円玉が勝手に動き出したわけじゃない。今のように十円玉ではなくこの筋肉バカを動かそうとするなら、その分大きな力が必要。つまり俺はその分たくさん食べ、筋肉をつける必要がある」
「じゃあ、こっくりさんが勝手に十円玉を動かしたら?」
「そのエネルギーはどこから来たと思う?」
「……こっくりさん?」
「そうだ。だから、それを証明できたら大発見なんだ」
灯二は口元を僅かに上げた。
僕は唖然とした。悔しいが、灯二の授業は明快で、例えも分かりやすい。学生時代はこの説明能力に何度も助けられた。
「すごい!めっちゃ分かりやすい!」
僕より灯二の方が先生向いてないか?
「でっでもさ、まだ輝たちにはエネルギー保存の法則を授業で教えてないからさ!僕が授業しても多分輝は分かってくれたんじゃない…かなー」
言葉の途中で灯二と目が合い、どんどん声が萎んでいく。
「いいぞ。輝とともに授業を受けたいなら、教えてやる。小学十八年生クン」
「やったー、先生と同じクラスだとバスケ絶対勝てるじゃん!」
「輝、さらっと受け入れないで。先生は心の準備できてないから。地元の両親が知ったらひっくり返るから」
「そんなことより、まだ説明が終わってないが?」
「先生うるさい!ロンパにい、はやく!」
「…」
運転に集中しよう。
「何もないところからエネルギーを取り出して、物体まで動かせる。そんな存在が本当にいるなら、幽霊退治なんてしている場合じゃない。世界中の科学者が土下座して研究を頼みに来る」
「……じゃあ、こっくりさんってすごいの?」
「本当に存在するならな」
そして灯二はコホンと軽く咳払いをした。
「つまりだ。幽霊が本当に何もないところから物を動かせるなら、それは最強の再生可能エネルギーになり得る。発電所なんて必要なくなるかもしれない」
灯二は淡々と説明している。
「太陽光も風力も水力も必要ない。幽霊にタービンを回してもらえばいい。燃料費ゼロ、二十四時間稼働。環境にも優しい」
「いや、幽霊を発電所で働かせるなよ」
思わず突っ込んでしまった。
灯二は僕を見ると、ほんの少し口角を上げた。
「何か問題でも?」
「問題しかないだろ……」
社会人二年目でこんなにきついのに、死んだ後も永遠に働かされる幽霊が不憫でならない。
僕が苦笑すると、灯二は話を戻した。
「こっくりさんだって同じだ。輝の話が本当なら、突風に落雷、そして人間の精神にまで干渉できることになる」
灯二は指を一本立てる。
「しかも、それをほぼノーコストで繰り返せる」
「……」
「そんな存在が本当にいたら、世界中の軍隊が研究対象にするだろうな。国によっては兵器として利用しようとする。そうならなくても、世界中の研究者が血眼になって調べるはずだ」
後部座席から、輝の呟きが聞こえてくる。
「……俺、分かんなくなってきた。こっくりさんってそんなに強いなら、ロンパにいはもっと強いの?もっと強くないと、倒せないんじゃないの?」
そこで灯二は、愉快そうに笑った。
「俺は風や雷なんて操れん。」
「じゃ、じゃあ!」
「世の中は腕っぷしだけが全てじゃないんだ」
「???」
輝は首を傾げている。
「現実には、こっくりさんで世界はおろか国や街が滅びたという話は聞かない」
「……確かに」
僕は返事をしながら、バックミラー越しに輝を見た。
輝は完全に話についていけなくなっていた。
口を半開きにしたまま、灯二を見つめている。
「だから俺は、幽霊の存在を否定しているわけじゃない。むしろ実在するなら、ぜひともこの目で確かめたい」
灯二は愉快そうに笑った。
「確かめたくないよ!」
輝が即座に叫んだ。
灯二は肩をすくめる。
「そうか。残念だな」
「全然残念じゃない!」
輝の必死な声に、僕は思わず笑ってしまった。
「もしこっくりさんがいないなら、美央はどうして部屋から出られなくなったんだよ。」
「さあ、どうしてだろうな。」
楽しそうに灯二は笑った。
「….えいっ」
ボグッ。
「おいクソガキ、後ろからヘッドレストを叩くな。映画館行ったことないのか」
「映画は関係ないじゃん!」
「上映前の注意を聞いてないのかと問うている」
のらりくらりとかわして人をおちょくる灯二と、純粋な輝の相性は…案外良いと思ってたが悪いのかもしれない。
「輝、落ち着け。言っただろ?灯二はちょっと変なんだ。あと車を殴っちゃダメだそ。」
それに僕の車だし。
「灯二もさ、大人気ないことすんなよ。あと教育に悪いからクソガキ呼びも禁止」
僕がそう言うと、灯二がこちらを見て薄く笑った。
「だが尾軽、お前も大概だぞ」
「え?」
「幽霊退治をするために教師が児童を連れて、大人気ないニートのところまで車を走らせているんだからな」
「……」
それを言われると何も言えない。
僕は前方へ視線を戻し、苦笑するしかなかった。
雨は相変わらず激しく降り続いている。
その向こうには、これから向かう学校が少しずつ近づいていた。
しばらく沈黙が続いたあと、灯二が口を開いた。
「学校に着くまで時間がある。その美央って子のことを話せ。」
「美央は読書が好きで、四歳の頃からピアノを習ってる。静かで、人のことをよく見てる子だよ。」
尾軽は前を見たまま答える。
すると後ろから、小さく声が続いた。
「小二の終わりまでは毎日一緒に遊んでた。」
輝だった。
「でも、小三からクラスが別になって、一緒には帰らなくなった。それでも、休みの日はたまに家族ぐるみでバーベキューしたりして……。」
「ほう。」
灯二は短く相づちを打つ。
「充分仲が良いじゃないか。」
狭い車内で長い脚を組み替えながら、灯二は淡々と言った。
輝は少し照れくさそうに笑ったが、その笑顔はすぐ消えた。
「小五でまた同じクラスになったんだ。久しぶりに一緒に帰るようになったけど……なんか前みたいに話せなくなってて。何を話せばいいか分かんなくてさ。」
窓ガラスを流れる雨を見つめながら、小さく笑う。
「そんな時、美央が学校に来なくなった。」
尾軽はハンドルを握りながら歯を食いしばった。
子どもは子どもなりに恋だの友情だので悩むものだ。最後の出来事さえなければ、微笑ましい青春話として聞いていられた。
「美央、昔はもっと明るかったんだ。元々俺が人見知りで、美央のおかげで俺は明るくなって、友達もいっぱいできた。」
輝は続ける。
「美央さ、最近は教室でも元気なくてさ。だから、クラスで流行ってたこっくりさんを一緒にやれば、みんなと仲良くなれるかなって思ったんだ。」
そこで言葉が止まる。
車内にはワイパーの音だけが響いた。
輝は俯き、膝の上で握った拳に力を込める。
「……そしたら。」
掠れた声が漏れた。
「雷が鳴って、風が吹いて……美央の様子がおかしくなって。」
喉が詰まる。
「俺、怖いって思っちゃって。泣いてる美央を見捨ててみんなで逃げちゃったんだ。」
その一言を絞り出すだけで精一杯だった。
「次の日から、美央は学校に来なくなった。」
車内の空気が重く沈む。
灯二は感情を挟まず、事務的な口調で尋ねた。
「なるほどな。尾軽、それ以降、美央とは話したのか。」
「僕は家まで何度も行った。」
尾軽は前を向いたまま答える。
「美央のお母さんの案内でリビングには入れてもらえたけど、部屋には入れてもらえなかった。」
あの日の光景が頭をよぎる。
閉ざされたドア。
部屋の向こうから聞こえてきた、怯えきった少女の声。
「部屋の外や窓からこっくりさんが見てるから、外には出られないって。」
「……ふぅん。」
灯二は小さく頷く。
「食事や風呂は。」
「お母さんが食事を部屋まで運んでる。」
尾軽は続けた。
「お風呂は目隠しをして、お母さんがおんぶして連れて行くらしい。でも、途中で鏡を見たり、目隠しがずれたりすると、こっくりさんがいるってパニックになるそうだ。」
「もちろん、僕やご両親には何も見えない。」
尾軽はハンドルを握る手に力を込めた。
この腕力で相手を殴って解決できる問題なら、どれだけ楽だっただろう。
しかし相手は、目に見えない。
だからこそ歯がゆかった。
灯二は一度だけ尾軽の横顔を見たが、そのことには触れなかった。
「で、輝。」
静かな声が後部座席へ向く。
「お前の方は。」
輝は少し間を置いて答えた。
「学校を休み始めて三日目から、毎日電話してる。」
「ほう。」
「今日学校であったこととか、給食がまずかったとか、先生に怒られたとか……そんな話。」
少しだけ笑う。
「あと、もうすぐテストだから勉強も教えてもらってる。好きなアニメの話もする。」
「二週間学校へ来ていない子に、勉強を教えてもらっているのか。」
灯二が皮肉っぽく口角を上げる。
「美央は学年でも成績がいいんだ。」
尾軽は横目で灯二を睨んだ、茶化すなよと警告を込めて。
「そうだよ。」
輝も思わず声を荒げる。
「美央がいないと、俺、本当に困るんだ。」
その言葉には飾りがなかった。
友達だから。
幼なじみだから。いや、それ以上の—。
それだけでは説明できないほど切実な響きがあった。
輝は鼻をすすりながら灯二を見つめる。
「だから……助けてよ。ロンパニート。」
言い終えると同時に、堪えていたものが決壊した。
「……うっ。」
肩が震え、嗚咽が漏れる。
涙を拭おうとしても止まらない。
灯二はそんな姿を静かに見つめると、ため息交じりに言った。
「さっきも言っただろ。」
声色は変わらない。
まるで「帰りに牛乳でも買ってきてくれ」と頼まれた時のような気軽さだった。
「任せろ。」
その一言だけで、輝は泣きながら何度も頷いた。
灯二は窓の外へ目を向け、淡々と続ける。
「情報はある程度揃った。あとは美央本人に、こっくりさん退治の様子を見届けてもらう必要がある。」
そう言って後部座席へ振り返る。
「輝。スマホの充電は足りてるか。」
ハッとした表示の後、輝は強く頷いた。
「うん。」
輝はポケットからスマホを取り出し、慣れた手つきでメッセージアプリを開いた。
少しだけ深呼吸をしてから、通話ボタンを押す。
「美央、今電話いい?」
数秒後、スピーカーから小さな声が聞こえてきた。
『うん。今日はいつもより電話早いね。』
輝は唇を噛み、恐る恐る尋ねる。
「……嫌、だった?」
『ううん。』
少しだけ明るい声が返ってくる。
『嬉しい。』
美央にとって、輝は現実とつながっていられる数少ない心の支えだった。
学校に行けなくなってからの2週間、外の世界との接点はほとんど失われている。それでも輝だけは、毎日のように電話をかけてきた。今日学校であったこと、もうすぐテストがあること、好きなアニメの話。どうでもいいような会話を積み重ねることで、輝は美央を日常へつなぎ止めようとしていた。
「そういえばさ、今日の給食――」
輝が他愛もない話を始める。
美央も最初は短く返していたが、2、3度と言葉を交わすうちに、少しずつ声に張りが戻ってきた。
やがて輝がビデオ通話を提案すると、美央は少し迷ったあと、それに応じた。
画面が切り替わる。
そこに美央の顔が映った。
頬は少し痩せ、目の下には薄い隈がある。それでも輝の姿を確認した瞬間、強張っていた表情がほんの少し緩んだ。
『輝、今どこなの? 車の中?』
「うん。今、尾軽先生の車で学校に行ってる」
『学校に? けど、もうすぐ5時だよ。帰らないの?』
輝が答えるより先に、助手席から声が飛んできた。
「輝は学校に宿題を忘れてきたんだ。だから終わらせなきゃいけない」
突然の乱入に、輝の肩が跳ねる。
画面の向こうにいる美央も、驚いたように目を見開いた。
「ロンパにい、急に声出さないでよ」
『今の声、誰? 尾軽先生じゃないよね』
「おっと悪い。2人の大事な時間の邪魔をしたな」
灯二は、まったく悪びれる様子もなく棒読みで謝った。
「へ、変な言い方すんなよ!」
輝が顔を赤くする。
『ロンパにい? 輝、一緒にいるのは尾軽先生じゃないの?』
「美央、先生だよ。僕も輝と一緒にいる。あともう1人、僕の学生時代の友達を呼んだんだ。それが灯二……えーと、ロンパにいだ」
「変な呼び方を広めるな」
即座に灯二が訂正する。
画面越しに、美央が小さく笑った。
『ふふっ……』
久しぶりに聞いた笑い声だった。
『先生、お友達と仲良しなんだね』
「いや、仕方なく付き合っているだけだ」
「そこは『そうだよ』で良くない!?」
僕の胸が少しだけ軽くなる。
だが、その直後だった。
美央の表情から笑みが消えた。
『尾軽先生……ごめんなさい。今日も学校、行けなくて』
「いや、美央が謝ることなんて1つもないよ」
僕はバックミラー越しに美央の顔を見ながら、できるだけ穏やかな声で答えた。
「今もいるんだろ?」
美央が黙り込む。
「……そこに」
『……うん』
小さな返事。
美央には、何かが見えている。
僕には見えない。
輝にも見えない。おそらく、灯二にも。
それなのに、美央だけは確かに存在を感じている。
こっくりさんが本当に存在するのか。
それとも、強い恐怖によって美央の心がそう認識してしまっているだけなのか。
オカルトなど専門外の灯二は、一体どうやってその正体を見極めるつもりなのだろう。
そんな疑問を抱いていると、灯二が口を開いた。
「美央と言ったな。安心しろ。明日から学校に行けるようにしてやる」
『えっ?』
美央が目を見開く。
「今から俺たちがこっくりさんと退治してやる。お前は画面越しに、その様子を見ていろ」
『……』
美央はしばらく何も言わなかった。
あまりにも突然の話に、頭が追いついていないのだろう。
やがて、おずおずと僕たちに尋ねる。
『どういうこと? ねぇ先生、輝。その……トージさん?は何を言っているの?』
「美央、俺たちは学校でこっくりさんをもう一度呼び出すんだ。今から」
『そ、そんなの危ないよ!!』
美央の声が裏返った。
『ほ、本当に、本当に、こっくりさんは危険なんだから!あの時、私しか見ていなかったけど……こっくりさんは実在するんだから!』
「危ないのは君の方だ、美央」
灯二はあっけらかんと言った。
「2週間も学校に行かなかったんだ。同級生に成績を追い抜かれても知らんぞ」
『え……』
「言っただろ?輝は宿題を忘れたんだ」
灯二は淡々と話を続ける。
「だから今から学校へ行って、やり残した宿題を終わらせる。だが、その半分は美央の分だ」
灯二は無視した。
「今日この後、輝が君の家に大量の宿題を持っていく。せいぜい震えて待っていろ」
思わず僕は笑った。
こいつは、本当に変わらない。
何を考えているのか分からない。
誰よりもお人好しなくせに、なんでそんな不器用な言い回ししかできないんだ。
今だって、こっくりさんの恐怖に怯えている美央に対して、あえて普段通りの態度を崩していない。
なら、僕は僕で灯二を信じよう。
できる限りサポートする。
後部座席で輝がスマホを握り直した。
「美央、俺、もう美央を1人にしないから」
声は震えていなかった。
「待ってて。見ててよ」
画面の向こうで、美央が唇を噛んだ。
しばらくして、震える声が返ってくる。
『私……学校行きたい』
その言葉と同時に、美央の目から涙がこぼれた。
『輝に、先生に、みんなに会いたい』
すすり泣く声が、車内に小さく響く。
『あの日からずっと……家の近くで、こっくりさんがいつも私を見ている気がして……』
美央は何度も息を吸い直しながら、途切れ途切れに言葉を続けた。
『だから家から出られなくて……とにかく怖いの。お父さんたちが車に乗せてくれても、胸が苦しくなって、ドキドキして……頭がぐるぐるして……学校に行けないの』
「美央……」
僕は思わず名前を呼んだ。運転していてビデオ通話の画面が観れないことがもどかしい。
そのとき、フロントガラスの向こうに見慣れた建物が現れた。
緑ヶ丘小学校。
いつもなら見慣れた校舎が、今日だけは妙に不気味に見える。
雨に濡れた校庭には誰もいない。
放課後の静まり返った学校が、これから僕たちが向かう場所だった。
「美央、こっくりさん退治の準備ができたら、またかけ直す。それまで休んでて」
『……うん』
輝の声を聞き届けた美央は通話を切り、車内に静寂が戻った。
灯二は何も言わない。
ただ、前方の校舎をじっと見つめている。
やがて車が校門を抜け、校舎脇の駐車スペースへ入った。
エンジンを切る。
雨音だけが、車体を絶え間なく叩いていた。
「よし」
灯二がシートベルトを外した。
「教室に着いたら、手際よくこっくりさんの準備を始める。必要な道具は――」
灯二は僕を見る。
そして、いつもの薄い笑みを浮かべた。
「そんなものを!?」
僕もシートベルトを外した。
後部座席では、輝がスマホを握りしめている。
その顔に、もう迷いはなかった。
僕はドアを開けた。
冷たい雨粒が肩に落ちる。
輝も続いて車を降りた。
校舎を見上げる。
僕たち3人を待ち受けているのは、誰もいないはずの教室。
そして、2週間前から美央を苦しめ続けている「こっくりさん」だった。
「ねえ先生」
「なに?輝」
「さっきロンパにいが言ってた俺のやり忘れた宿題って、何?」
「「…」」
「輝に比喩表現はまだ早いよ、灯二」
「小五だろ?尾軽、お前の教え方が悪い」
「ヒユヒョウゲンって?」
「…とりあえず国語のプリント三枚くらい宿題にしようかな」
「えー!!くそーこっくりさんめ許さん!」
「うーん、残念ながら狐は関係ないよ」




