サマーフェス(後半)
<結>
イントロが鳴って、私は最初のステップを踏み出した。
「――あれだろ、暴行のやつ」
客席の前の方から、声が聞こえた。
「よく出てこれるよな」
「殴ったんでしょ、彼氏」
小さな声のつもりなんだろう。
足が、一瞬だけ止まりそうになった。
――正直に言うと、最初はこんな気持ちじゃなかった。
環さんが加入したとき、私はただ兄さんを取られると思った。応援したいとか、みんなのためにとかそんな綺麗な気持ちはなかった。
高校二年間、私のそばにいてくれたのは兄さんだけだ。
誰も助けてくれなかった。友達も離れていく。それでも兄さんだけは、毎日そこにいてくれた。
だから、他の誰かがその場所に入ってくるのが嫌だった。
なのに。
私が嫌っていたはずの環さんが、あの夜私を庇ってくれた。
自分でも驚いた。
その日から、少しずつ私が変わっていく。
――私も、誰かの力になりたい。
誰かを応援できる人になりたい。
「暴行アイドルとか、ネタになる」
また声が飛んでくる。今度は少し離れた場所から。笑いを含んだ声だった。
サビの手前、客席の一人と目が合った。小さな女の子だった。母親に肩車されて、こっちを見ている。
私は、笑いかけた。
どうか、この子が。
ここにいる、みんなが。
これからの生活がずっと、元気で楽しいものでいられますように。
<ミア>
二番の出だしは、わたしの担当だった。
「あの子、契約破棄したんだよな……」
客席の方から、声が漏れてくる。
「裏切りって聞いたけど」
「なんか、様子、違くない?」
ざわめきが、波紋みたいに広がっていく。
ずっと、人としゃべらないようにしてきた。
そういう契約。誰かと仲良くなったら駄目。友達を作ったら駄目。わたしの音楽が、誰かに知られたら駄目。
それでも、牡丹さんはわたしによくしてくれた。夜、お店に行くといつも美味しいものをくれる。
あの日、公園でひなたのダンスを見てから全部が変わった。
下手なダンス。汗だくで必死で、それでも笑っている姿が心に残る。
桃生さんとの話で、私は確信した。
――わたしのために、こんなに頑張ってくれる人がいる。
守ってくれる人がいる。
尽くしてくれる人がいる。
「でも、あの子、本当に悪い子なのか……?」
誰かの呟きが、耳に入った。
わたしの曲で、みんなの力になれるなら。
わたしは、それを頑張りたい。
声を張る。無我夢中で。笑顔。
届け。
届け。
みんなに、届け。
<環>
大サビの前、ボクは客席を見た。
――もう、大人なんて信じないと思っていた。
ボクは煙草なんて吸っていない。
あの時、グロリアスのセンターにいた頃、翠を推す社長から話が来た。「今度の収録のダンス、間違えてくれないか」と。
そんなことできるわけがない。
その翌日、記事が出た。
日向のことだって、最初はからかっていただけだ。落ち込んでる大人が面白かった。ただ、それだけのはずだったのに。
でも、あの人がボクを信じてくれたとき。
ボクは、日向が好きになった。
ボクはまた、あの頃のボクに戻れた。
――みんなを幸せにするアイドルに、ボクはなりたい。
客席を見る。
「やば……」
「めちゃくちゃダンス上手くない?」
「これがあの、干されたって言われてた子か」
声援が、少しずつ大きくなっていく。
大丈夫。
見えてる。ちゃんと、全員見えてる。
みんなのこと、幸せにしたい。
声が、砂浜の向こうまで届いていく。
「ここみっしゅー!」
誰かが叫んだ。それに合わせて、あちこちで手拍子が起こる。
さっきまで囁かれていた言葉は、もう聞こえなかった。
※
曲が終わった。
拍手が波のように押し寄せてくる。
三人は手を繋いだまま頭を下げ、ステージから降りる。
「日向、見てた?」
環が息を切らしながら聞いてきた。
「ああ」
俺は頷いた。
「ここみっしゅ、最高だったぞ」
三人が笑う。
結は泣き笑いのような顔で。ミアは満面の笑みで。環は少しだけ照れくさそうに、それでも確かな笑顔だった。
拍手は、まだ鳴りやまなかった。
お読みいただきありがとうございます。
次回最終話です。




