香澄さんと新曲
「あら、楽しそうじゃない」
背後から声がして、俺は動きを止めた。
嘘だろ。この状態で。
振り返る。
香澄さんが立っていた。
水着だった。黒い。布の面積が、控えめに言って足りていなかった。腰のところで紐が結ばれていて、その紐がやたら細い。上は肩から下がるタイプで、鎖骨から下が全部出ている。
二十五歳の体だった。
俺の目が、勝手にそちらへ向かった。
――だめだ。
抵抗しろ。俺は市の職員だ。この人は先輩だ。仕事の関係者だ。しかも今日は公務の下見だ。書類上は公務だ。
男だろ。抵抗しろ。
いや、男だからか。
左足に、激痛が走った。
「痛っ」
環だった。
俺の足の甲を、かかとで踏んでいた。しかも体重を乗せている。
「なに見てんの」
「見てない! 誤解だ!」
ミアが、俺の反対側に立った。
香澄さんの方をじっと見ている。耳が、真後ろに倒れていた。警戒しているときの角度だ。
「ひなた」
「なんだ」
「あの人、危ない」
「ああ、俺もそう思うよ」
「ほら、日向くん」
香澄さんが近づいてきた。
「せっかくだから、海に入りましょ」
腕を、絡められた。
――近い。
近いというか、当たっている。柔らかいという情報が、腕の皮膚から脳に直接送られてくる。
大人の女性というのは、こうなっているのか。
――だめだ。
思考が。思考が仕事をしない。
「日向くん、顔が赤いわよ」
「日射病です」
「あら大変。冷やしてあげましょうか」
「けっこうです」
「遠慮しなくていいのよ」
俺の右腕を香澄さんが抱えている。
俺は左を見た。
結が口だけ笑っていた。その隣で、環がこちらを殺すような目で睨んでいた。
「ハア……ハア……」
香澄さんの呼吸が荒くなった。
「本当、若いっていいわ」
「香澄さん、腕が」
「もっと。もっとよ」
「何を求めてるんですか」
「あなたたちの表情。ああ、生き返るわ」
やっぱりこの人の考えていることはわからない。
「いい加減にしといてやれ」
カシラだった。
パラソルの下から、ゆっくり立ち上がってくる。
「あら、剛さん」
香澄さんは怯まなかった。この人はカシラにも怯まない。
「日向くんは喜んでると思うわよ?」
「そうかもしれねえがな」
カシラが顎で示した。
「その日向の命が危ないんだよ」
香澄さんが、三人の顔を順番に見た。
それから、名残惜しそうに俺の腕を離した。
「今日はこのへんにしておくわ」
※
昼になって、海の家に入った。
全員で焼きそばを頼んだ。
ふと、ミアが鞄からタブレットを取り出した。
「ジャジャーン!」
みんなが注目する。
「ここみっしゅの曲、できたよ」
全員の箸が止まった。
「もうできたのか?」
「できたよ」
「まだ二週間だぞ」」
ミアがタブレットをテーブルの真ん中に置いた。耳が、これ以上ないほど立っている。
結が身を乗り出した。環はいつの間にか椅子を寄せていた。
「じゃあ、流すね!」
――イントロが鳴った。
明るい曲。前へ前へと押してくるリズムで、聞いているだけで足の指が動く。それでいて、どこか懐かしい感じがする。
サビに入った。
海が広がるみたいに、音が横に広がった。
美しいメロディーライン。ずっと聴いていたくなるような。
曲が終わった。
「兄さん」
「ああ」
「私、早く踊りたいです」
「振り付けって、いつから決めますか」
「今週中に、みんな手伝ってくれるか?」
俺の言葉にみんなが頷く。
――いける。
根拠のない確信だった。
でも、この曲がある。この三人がいる。それにまだ二ヶ月ある。
海の家の窓の外で、ステージの鉄骨が組み上がっていくのが見えた。
きっとステージは、大成功するはずだ。




