ミアを知ろう!の会
その日はそれで解散になった。
しばらく、結はそっとしておいた方がいいだろう。環もあれから一言も喋らなかった。あいつ、桃生とあったことがあるのだろうか。
足取りが重いまま、一人で商店街を歩く。
ポケットでスマホが鳴った。
牡丹ママだった。
画面をひらくと、一行だけのメッセージ。
――大事な話があるの
俺はすぐにバー花束へと走った。
※
翌日の放課後、俺は環を誘って、ミアと遊ぶことにした。
商店街の光が、ひとつずつ消えていく時間。
「ひなたー! ひなた! これなに!?」
「クレーンゲーム」
「じゃあこれ!」
「太鼓を叩くやつ」
「これはっ!?」
「それはただの両替機だ」
「りょうがえき!」
ミアが両替機に向かって深々とお辞儀をした。耳まで一緒に前に倒れた。
「よろしくおねがいします!」
「機械に挨拶するな。ゲーセン、来たことないのかよ」
商店街のはずれにあるゲームセンターは、平日の昼下がりでも半分くらい客がいる。年季の入った建物だ。絨毯は擦り切れ、天井の蛍光灯が一本切れかけている。それでもこの街の高校生の行き先といえば、ここかコンビニの駐車場かの二択だった。
環を誘った名目は「ミアのことをもっと知りたいから」
「ちょっと、ミア。走らないの」
「はーい」
返事だけだった。歩く気配が全くない。白い耳が、走るたびに上下に揺れている。
環が後ろから追いかけていく。
ミアはクレーンゲームの前で急停止して、ガラスに顔をくっつけていた。両手をぺたりとつけて、ほとんど張りついている。
「わあっ! これ可愛い! すっごく可愛い!」
耳がぴんと立って、それから小刻みに動いた。
中身は、豚なのか猫なのか判別のつかないぬいぐるみだった。
「ねえ、ひなた。これ欲しい」
「……取ってやろうか」
「本当!? ありがとー!」
そう言って、右手に腕を絡めてくる。
「ま、まあ、やってみるよ!」
「嬉しい!ここで応援してるね」
「お、おう」
ミアは、ハーフである。だからこそなのかわからないが、環や結が腕に抱きついてきた時とは違うのだ。はっきりとは言えないが、俺は海外の凄さを知った。
「頑張れー!日向!」
俺は百円を入れた。
三十秒後、二百円を入れた。
六百円を使ったところで、環が横から俺を押しのけた。
「どいて」
「まだいける」
「いけてないでしょ。ミアのこと見過ぎ。それとデレデレし過ぎ」
「そ、そんなことないって。いてっ!」
思いっきり蹴られた。
環の番になる。
環は右のボタンを押して途中で止めた。奥のボタンを押して、また止めた。
なんとこいつ、一回で取った。
「うわあああ!」
ミアがその場で飛び上がった。環の腕を掴んで、前後に揺すった。
「環すごい! すごい! まほう!?」
「魔法じゃないよ!気持ち悪くなるからやめてー!」
耳が興奮しきって、両方とも真上を向いている。
「話を聞きなよ」
環はぬいぐるみを取り出し口から引っぱり出すと、埃を払ってミアに押しつけた。
「はい」
「わああ、ありがと! ねえ、この子、名前つけていい?」
「好きにしなよ」
「えーと、豚と猫だから、ぶたにゃん!」
「はいはい」
ミアがぬいぐるみを頬に押しつけた。耳がぬいぐるみの頭に当たって少し折れた。
流石の環もミアには勝てないようだ。
ミアはとにかくよく笑う子だった。
高校二年生にしては考え方が幼い。
喋り方も反応もどこか小学生のそれに近い。人を疑うということを、たぶん一度も習っていないんじゃないかと思う。今まで友達はいたんだろうか。
「あっ、ひなた、それ! それなに!」
ミアが俺の胸元を指さして、ぐいと顔を寄せてきた。近い。
「職員証。俺が市役所の人間だっていう証明」
「わあ、かっこいい」
耳が前に倒れて、俺の胸元を覗き込む角度になった。
「そうか?」
「うん。だって、ひなたのお仕事のだもん」
俺は返す言葉に困った。
この子は、そういうことを平気で言う。
いいところなんだろうけど、やはり危ういと思う。
ーーそろそろ、話すか。
俺は人知れずに決意を固めていた。
※
夕方になった。
商店街の街灯がひとつずつ点いて、店じまいの音が増えてくる。俺たちはゲームセンターを出て、なんとなく歩いた。
ミアが向かった先は、商店街のいちばん外れだった。
舗装が途切れて、坂道になる手前。そこに古いベンチがある。木の背もたれが半分だけ残っていて、塗装はほとんど剥げていた。
「こっち! こっちだよ!」
ミアが手招きをして、先にベンチへ駆けていった。夕日を浴びた白い耳が、坂の手前で二回大きく揺れた。
「ここ、ミアの特等席なの。海が見えるんだよ。ほら!」
ぬいぐるみを膝に抱えて座ると、隣をぱんぱんと叩いた。
建物の隙間から、入り江が見えた。商店街でここだけだ。
「あのね、今日、すっごく楽しかった。ぶたにゃんも取ってもらって、太鼓もやって、それで、えっと」
ミアは指を折って数えようとして、途中で分からなくなったらしく、両手を広げた。
「いっぱいでした!」
「そうか」
「はい!」
環がベンチの端に腰を下ろす。俺は立ったままだった。
「あの、」
ミアがぬいぐるみを抱え直した。
「環、日向」
顔を上げる。
目が、きらきらしていた。
「ミア、ここみっしゅに入れる?」
耳が期待するように少し前に傾いていた。
空が赤くなっていた。
俺は少し黙ってから口を開いた。
「その前に、質問に答えてほしい」
「? 何?」
「グロリアスの作曲、君がやってるって、本当か」
ベンチの端で、環が勢いよくこちらを向いた。
ミアは笑ったままだった。
笑ったままで、目だけがゆっくり動いている。
「…………」
耳が、ゆっくり伏せられた。
「ミア」
「……牡丹さん、ですか」
一段、声が低くなっている。
ここまで一度も出てこなかった、丁寧な話し方。
「ああ、そうだ」
隠しても仕方がなかった。
「お前のこと、聞いたよ」
「そうですか」
ミアは膝のぬいぐるみを見ていた。
名前をつけたばかりのそれを、両手で抱え直した。
「契約のことも聞いた」
「……」
「ちょっと待って」
環だった。
立ち上がっていた。
「契約って何。日向、それ本当なの」
「ああ、本当だ」
「〜〜っ! ミア」
環がミアの正面に回り込んだ。
「あんた、グロリアスと契約してるの!?」
ミアは答えなかった。
答えなかったこと自体が、答えだった。
俺はミアの正面にしゃがんだ。
目線を合わせる。
「ミア」
「……はい」
「なんで、ここみっしゅに入りたいんだ」
ミアは、しばらく黙っていた。
膝の上でぬいぐるみの耳を指でつまんでいた。
それから口を開いた。
「私は」
スマホが鳴った。
ミアのポケットからだ。
軽い電子音が、三回。
ミアの体が固まった。
画面を見る。俺の位置からは見えない。ただ、画面を持つ指が明らかに震えていた。
顔から、色がどんどん抜けていく。
ミアは「すみません」と俺たちに言って、電話に出た。
「……はい」
「……はい。今、外にいます」
夕日が、ミアの白い髪を橙色に染めていた。
「……はい。……分かりました。……今から、行きます」
通話が切れた。
ミアはスマホを両手で持ったまま、しばらく動かなかった。
「誰から」
環が聞いた。
ミアが顔を上げる。
笑っていた、ように見えた。だが実際には、
「桃生さんです」
ミアは怯えていた。
俺の心が、急に冷たくなっていく。
「すぐに来てほしいって」
ミアが立ち上がる。
ぬいぐるみを両手で抱えたままだった。
そして、こちらを振り返った。
「お願いします」
声が、震えていた。
「一緒に、来てください」




