オカマバー「花束」
「バー花束」はいわゆるオカマバーであり、商店街の外れの雑居ビルの二階にある。
看板は電飾で、そのうち二文字くらいがいつも切れている。今日は「バ 花 」だった。
階段を上がると、扉の脇に立て看板が出ている。
――たくましい花束があなたを待ってるわ。
この文言を最初に見たとき、俺は思わず後ずさった。だが今はもう何も思わない。
「いらっしゃい。あら、剛ちゃんと日向ちゃんじゃない」
カウンターの向こうから、着物を着た牡丹ママが手を上げた。
身長は俺より高い。肩幅はカシラよりやや狭い程度。真っ赤な口紅と、まつ毛の存在感が凄まじい。
「よお」
「ご無沙汰です」
鬼頭剛。通称:カシラ。観光課の俺の上司である。大学時代アメフトをしていたらしいその体は、俺の倍ほどの大きさがある。その時代の名残か顔に傷があるし、髪型はいつもオールバック。心美市の印象が良くないのは半分くらいオヤジとカシラのせいなんじゃないかと思う。
カシラと牡丹ママが並ぶと、この店の一角が少し傾く。
「日向ちゃんも久しぶりねえ。生きてた?」
「なんとか生きてます」
「ウーロン茶でいい?」
「お願いします」
俺は酒が飲めない。この店に通って一年になるが、一度も飲んだことがない。それでも毎回同じ質問をする。ママなりの礼儀というやつだろう。
カシラの前にはビール。俺の前にはウーロン茶。乾杯の音だけはいつ聞いても心地よい。
「それで」
ママが頬杖をついた。
「ここみっしゅ、だっけ。どうなったのかしら」
「え、知ってるんですか」
「当たり前よお。花束でも噂になってるわ」
「一人、決まりました」
「あら!」
「九条環って、知ってますか」
グラスを拭いていたママの手が、止まった。
「……九条環。九条環って、あの九条環?」
「たぶん、その九条環です」
「なんでこんな田舎にいるのよ」
ママが身を乗り出した。まつ毛が近い。
「二年前に消えたきりでしょ。てっきり実家に帰ったか、都会のどっかで隠れてるんだと思ってたわよ」
「白鴎高校に通ってます。俺、毎朝潮見公園で会ってたんです」
「毎朝会ってたの?」
「もう三ヶ月になります」
ママは何か言いかけて、やめた。それから、俺の顔をしばらく眺めた。
「……あんた、九条環だって、いつから気づいてたの」
「先週です。それまで男だと思ってました」
「はあ、あんた、ばかねえ」
「顔を隠してたので」
「そういう問題じゃないでしょうよ」
ママはグラスを置いて、ため息をついた。
「あの子、煙草の件で潰されたのよねえ。まだ十五だったでしょ。ひどい話よ」
「……」
「日向ちゃん。分かってると思うけど、市がやる企画にあの子を入れるってのはね」
「分かってます」
俺はウーロン茶のグラスを両手で持った。
「でも、俺は、あいつは何もしてないと思うんです」
ママは俺のグラスに氷を足した。
「……そう。日向ちゃんがそう言うんなら、そうでしょうね」
カシラが、ビールを一口飲んで言った。
「言い出したら聞かねえよ、こいつは」
「よーく知ってるわよ。あたし達は、そこに惚れ込んでるんですもの」
「じゃあ順調そうじゃない」
「それが」
俺はグラスを置いた。
「結も、入ることになりそうなんですけど」
「結ちゃん?」
ママの声が明るくなる。
「いいじゃねえか」
カシラだった。
「見た目も気立ても良い。今時あんな子、珍しいだろ」
「俺もそう思うんですけどね」
「なんだよ」
「環と、相性が最悪で」
二人が、「あー」と頷く。
俺はウーロン茶を一口飲んで、ここ数日の出来事を話した。
打ち合わせをしようと、駅前のファミレスに三人で入ったが、二人は一度も目を合わせなかったこと。オヤジに顔を出させようと二人を連れて市役所に向かったが、ケンカのせいで結局その日はオヤジに会うことができなかったこと。
「……どうすればいいんですかね」
「そりゃ」
カシラが腕を組んだ。
「どうしようもねえな」
「ですよね。最近ずっと悩んでて」
「男が口出す話じゃねえだろ。女は怖え」
「剛ちゃん」
ママが、ぴしゃりと言った。
「そんなことないわよ」
「そうか?」
「あたしたち女ってね、案外単純なのよ」
「そんなことないと思いますけど」
俺は正直に言った。この三日間で得た実感だった。
「いいえ、そうよ」
ママはカウンターに肘をついて、こちらを見た。
「でもね、臆病なの。すごく臆病。だから先に爪を立てるのよ。相手が何を考えてるか分からないうちは怖いでしょう」
「はあ」
「二人ともしっかり話し合ってみれば、案外気が合うかもしれないわよ」
「話し合う、ですか」
想像してみた。
①あの二人を向かい合わせに座らせる。
②俺が退出する。
③……想像するだけで恐ろしい。
「日向」
カシラが、ジョッキを置いた。
「語り合いなら、キャンプがいいぞ」
「キャンプですか?」
「おう」
「なんでキャンプなんですか」
「火だ」
カシラは、ものすごく真面目な顔で言った。
「人間は火を囲むと喋る。あれは理屈じゃねえ。焚き火の前だと、なぜか本音が出る。俺も昔、兄弟の盃を交わすときは決まって火をだな」
「……」
盃の話は聞かなかったことにして、焚き火の前では本音が出るというのは確かにそうかもしれない。
「あら」
ママが両手を合わせた。
「素敵じゃない。夜の焚き火。静かな夜。海が近ければ波の音もするでしょう。いいわねえ」
「……そう、かもしれないですね」
「いいじゃない。日向ちゃん、あんた最近悩んでいるんでしょう?外の空気吸ってきなさいよ」
「仕事は、」
「オヤジには俺から言っておいてやるよ」
カシラが、俺の肩を叩いた。肩の骨がみしりと鳴った。
「行ってこい。市の予算でな」
「ここみっしゅに予算はないです」
「じゃあ俺の道具貸してやるからよ」
俺はグラスの中の氷を見ていた。
「……俺、頑張ってみます」
「あら」
「あの二人には、仲良くなってほしいんです」
ここみっしゅのため、というのはもちろんある。
今はただすれ違っているだけだ。
だったら、俺がうまく繋いでやりたいと思った。
「やっぱり、カシラと牡丹ママに聞いてもらってよかったです」
「あらやだ、なによ改まって」
「嬉しいんです。俺たちのために考えてくれて。そんな人たちが、すぐそばにいてくれるなんて」
ママが笑って、カウンターの布巾を畳んだ。
「そういうところよ」
「え?」
「なんでもないわ。ほら、早く誘っちゃいなさいよ」
俺はスマホを出した。
二人にメッセージを送る。今度の土日、キャンプに行かないか。と。
送信してグラスに口をつけたところで、通知が鳴った。
結だった。
――キャンプですか? 兄さんと一緒なら、行きたいです
早い。
続けて、もう一件。
環だった。
――行ったことないけど、日向が行くなら行く
俺はスマホの画面をしばらく見ていた。
「どうだったの?」
「二人とも大丈夫みたいです」
「あら、愛されてるわねえ」
「……?」
ママがにっこりした。
愛されるの意味?はわからないが、乗り気なのは分かった。これは仲直りを期待していいんだろうか。
ママが新しいグラスを出しながら鼻歌を歌っている。
こうして。
運命の、と言っていいのかどうかは知らないが。
環と結と俺で一泊二日のキャンプに行くことが決定した。




