↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
81/130

【幕間】辺境の光

王都から、月々の便りが届いた日のことだ。


 俺が社の縁側にいると、ホルガーが一通の書状を手に、坂を上ってきた。王都の伝手からの知らせだという。老家宰はそれに目を走らせながら、ふとこう言った。


「王都ではちょうど今日、婚約披露の式典があるそうですな」ホルガーは、ちらりとスズランをうかがった。「スズラン殿のもとの婚約者——ユリウス殿下と、プリメラという聖女さまの」


 俺は思わず手を止めた。


 スズランの、もとの婚約者。あの、婚約破棄の王太子だ。その男が別の聖女と、今日華々しく婚約を披露しているという。——スズランが、どんな顔をするだろう。俺は柄にもなく、その横顔をうかがってしまった。捨てられた側だ。傷つくかもしれない、と思った。


 だがスズランは、湯のみを片手にあっけらかんと言った。


「へえ! それは、おめでたいですね」


「……おめでたい、のか」


「はい。プリメラさまといえば、聖灯級のそれはすごい聖女さまでしょう。王太子殿下とは、きっとお似合いです。よかった、よかった」スズランは、しみじみとうなずいた。


「私のときはなんというか、まるで間が持ちませんでしたから。あの方も、やっとしっくりくる方に巡り会えたんですね」


 恨みごとのひとつもない。それどころか、心の底から祝っている。


「ご祝儀に、お守りでもお送りしましょうか。遠くからでも、ちゃんと効きますよ。……あでも銅貨五枚は、しっかりいただきますけど」


 俺はなんだかおかしくなってきた。


 今ごろ王都ではまばゆい光の下で、あの華やかな式典が催されているのだろう。国じゅうがあおぎ見る、一分の隙もない完璧な光の絵。——だがこの山にあるのはこういう光だ。追い出された当人が、追い出した相手の幸せを、湯のみ片手にあっさりと祝っている。飾りけのまるでない、ふだん着の光。俺には王都のどんなまばゆさよりも、こちらのほうがよほど目にやさしかった。


     *  *  *


 王都の、教会の話が出たからだろう。ふと俺はずっと胸に引っかかっていたことを、思い出した。


「……そういえば」俺は口を開いた。「この間の、査察官のときの話だ」


 あの教会から来た査察官を、スズランがまる一日もてなし倒した日のことだ。あのとき俺は、思わずこう言った。「肝が太いな」と。追放した本家の人間を平然と歓待する、あの度胸に感心して、口をついて出た言葉だった。褒めたのだ。俺なりに、精いっぱい。


 だがスズランは、それを腹の話だと受け取った。丈夫な胃袋の話だと思い込んで、腹に手を当てなにを食べても平気だなどと言うものだから、俺はこらえきれずに笑ってしまった。以来ずっと、据わりが悪い。あれは腹の話ではない。お前はたいしたやつだ、という話だったのだ。それを正しく伝え直したい。ただそれだけのことが、俺には世界でいちばん難しかった。


「肝が太い、というのは。……腹の話では、ない」


「ああやっぱり」スズランが、ぽん、と手を打った。「変だと思ってたんです。あのとき夕食のお話にしては、ジークさまやけに真剣なお顔でしたから」


 通じた。俺はひそかに胸をなでおろした。ここからだ。


「では、なんのお話だったんです?」


「……お前の、度胸の話だ」


「どきょう」


「査察官を平然ともてなした。ふつうの者にはできない。だから俺は——」


「あっ」スズランが、またぽん、と手を打った。「わかりました。私がちゃっかりしすぎだ、というお話ですね。査察のかたにおみやげまで持たせて、同僚を五人も寄こせだなんて。……図々しかったでしょうか。反省します」


「違う」


「違います?」


「そうでは、ない」


 俺はこめかみを押さえた。褒めているのだ、俺は。それがなぜ、伝わらない。いったん息を整えて、言葉を替えてみる。


「物怖じしない、と言っている」


「ものおじ」スズランは、きょとん、とした。「私、お化けは平気ですよ。夜のお社も、ぜんぜん怖くありません」


「そういう話では、ない」


「では雷ですか? 雷もまあ大丈夫です。もう慣れました」


「雷でも、ない」


 俺は天を仰ぎたくなった。このスズランという女は、褒め言葉というものを、生まれてこのかた正面から受け取ったことがないのではないか。ふと、そんな気がした。教会で十年遅い使えないと言われ続けて、誉められることにまるで慣れていない。だから褒め言葉が来ると、とっさに別のものへ逃がしてしまう。——だとしたらなおのこと伝えねばならない。


「スズラン」俺は腹に力を込めた。「よく聞け」


「はい」


「俺はお前を大したやつだと思っている」


 縁側に風が渡り軒の鈴がちりん、と澄んだ音を立てた。


 スズランは、まん丸い目で俺を見た。しばらく黙っている。——初めて、通じたか。俺の心臓が柄にもなくひとつ跳ねた。


 やがてスズランは、ふわりと笑った。


「ありがとうございます! つまり、これからもご贔屓に、ということですね。ジークさまは、うちのいちばんの上客ですから!」


 ……通じて、いなかった。


 俺はがっくりと肩を落とした。銅貨五枚の上客。よりによって、そこへ着地するのか。


「旦那さま」いつのまにか背後に、ホルガーが立っていた。老家宰は、生あたたかい目で俺を見ている。「……その調子では、あと十年はかかりますな」


「言うな」


 縁の下でウンがふん、と鼻を鳴らした。あきれた、とでも言いたげに。どうやら俺は、この毛玉にまで同情されているらしい。無言でにらむと、ウンも無言で見返してくる。——わかっている。俺が悪いのではない。褒め言葉というものが、難しすぎるのだ。


     *  *  *


 その夜。


 結局精いっぱいの褒め言葉は「上客」に化けて、どこかへ消えてしまった。伝えたいことの、十分の一も言えていない。だが縁側で幸せそうに笑った、あのまん丸い目を思い出すと、不思議と腹は立たなかった。


 いつか焦らず何度でも言えばいい。お前はたいしたやつだと、伝わるその日まで何度でも。


 王都にはまばゆい光とその裏の影がある。この山にあるのは、たったひとつ飾りけのない光だけだ。俺はその光のそばにいられれば、それでいい。


 ——それがただの褒め言葉なのか、それとももっと厄介な別のなにかなのか。それを確かめるのは、まだ先でいい。


 俺はこめかみを押さえたまま、柄にもなく口の端がゆるむのを感じていた。

ここまでお読みくださり、ありがとうございます。

 続きが気になりましたら、ブックマークと★での応援をいただけますと、更新の励みになります。

 ——お代は、銅貨五枚。……ではなく、ブックマークをひとつ、いただけたらうれしいです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。