【幕間】辺境の光
王都から、月々の便りが届いた日のことだ。
俺が社の縁側にいると、ホルガーが一通の書状を手に、坂を上ってきた。王都の伝手からの知らせだという。老家宰はそれに目を走らせながら、ふとこう言った。
「王都ではちょうど今日、婚約披露の式典があるそうですな」ホルガーは、ちらりとスズランをうかがった。「スズラン殿のもとの婚約者——ユリウス殿下と、プリメラという聖女さまの」
俺は思わず手を止めた。
スズランの、もとの婚約者。あの、婚約破棄の王太子だ。その男が別の聖女と、今日華々しく婚約を披露しているという。——スズランが、どんな顔をするだろう。俺は柄にもなく、その横顔をうかがってしまった。捨てられた側だ。傷つくかもしれない、と思った。
だがスズランは、湯のみを片手にあっけらかんと言った。
「へえ! それは、おめでたいですね」
「……おめでたい、のか」
「はい。プリメラさまといえば、聖灯級のそれはすごい聖女さまでしょう。王太子殿下とは、きっとお似合いです。よかった、よかった」スズランは、しみじみとうなずいた。
「私のときはなんというか、まるで間が持ちませんでしたから。あの方も、やっとしっくりくる方に巡り会えたんですね」
恨みごとのひとつもない。それどころか、心の底から祝っている。
「ご祝儀に、お守りでもお送りしましょうか。遠くからでも、ちゃんと効きますよ。……あでも銅貨五枚は、しっかりいただきますけど」
俺はなんだかおかしくなってきた。
今ごろ王都ではまばゆい光の下で、あの華やかな式典が催されているのだろう。国じゅうがあおぎ見る、一分の隙もない完璧な光の絵。——だがこの山にあるのはこういう光だ。追い出された当人が、追い出した相手の幸せを、湯のみ片手にあっさりと祝っている。飾りけのまるでない、ふだん着の光。俺には王都のどんなまばゆさよりも、こちらのほうがよほど目にやさしかった。
* * *
王都の、教会の話が出たからだろう。ふと俺はずっと胸に引っかかっていたことを、思い出した。
「……そういえば」俺は口を開いた。「この間の、査察官のときの話だ」
あの教会から来た査察官を、スズランがまる一日もてなし倒した日のことだ。あのとき俺は、思わずこう言った。「肝が太いな」と。追放した本家の人間を平然と歓待する、あの度胸に感心して、口をついて出た言葉だった。褒めたのだ。俺なりに、精いっぱい。
だがスズランは、それを腹の話だと受け取った。丈夫な胃袋の話だと思い込んで、腹に手を当てなにを食べても平気だなどと言うものだから、俺はこらえきれずに笑ってしまった。以来ずっと、据わりが悪い。あれは腹の話ではない。お前はたいしたやつだ、という話だったのだ。それを正しく伝え直したい。ただそれだけのことが、俺には世界でいちばん難しかった。
「肝が太い、というのは。……腹の話では、ない」
「ああやっぱり」スズランが、ぽん、と手を打った。「変だと思ってたんです。あのとき夕食のお話にしては、ジークさまやけに真剣なお顔でしたから」
通じた。俺はひそかに胸をなでおろした。ここからだ。
「では、なんのお話だったんです?」
「……お前の、度胸の話だ」
「どきょう」
「査察官を平然ともてなした。ふつうの者にはできない。だから俺は——」
「あっ」スズランが、またぽん、と手を打った。「わかりました。私がちゃっかりしすぎだ、というお話ですね。査察のかたにおみやげまで持たせて、同僚を五人も寄こせだなんて。……図々しかったでしょうか。反省します」
「違う」
「違います?」
「そうでは、ない」
俺はこめかみを押さえた。褒めているのだ、俺は。それがなぜ、伝わらない。いったん息を整えて、言葉を替えてみる。
「物怖じしない、と言っている」
「ものおじ」スズランは、きょとん、とした。「私、お化けは平気ですよ。夜のお社も、ぜんぜん怖くありません」
「そういう話では、ない」
「では雷ですか? 雷もまあ大丈夫です。もう慣れました」
「雷でも、ない」
俺は天を仰ぎたくなった。このスズランという女は、褒め言葉というものを、生まれてこのかた正面から受け取ったことがないのではないか。ふと、そんな気がした。教会で十年遅い使えないと言われ続けて、誉められることにまるで慣れていない。だから褒め言葉が来ると、とっさに別のものへ逃がしてしまう。——だとしたらなおのこと伝えねばならない。
「スズラン」俺は腹に力を込めた。「よく聞け」
「はい」
「俺はお前を大したやつだと思っている」
縁側に風が渡り軒の鈴がちりん、と澄んだ音を立てた。
スズランは、まん丸い目で俺を見た。しばらく黙っている。——初めて、通じたか。俺の心臓が柄にもなくひとつ跳ねた。
やがてスズランは、ふわりと笑った。
「ありがとうございます! つまり、これからもご贔屓に、ということですね。ジークさまは、うちのいちばんの上客ですから!」
……通じて、いなかった。
俺はがっくりと肩を落とした。銅貨五枚の上客。よりによって、そこへ着地するのか。
「旦那さま」いつのまにか背後に、ホルガーが立っていた。老家宰は、生あたたかい目で俺を見ている。「……その調子では、あと十年はかかりますな」
「言うな」
縁の下でウンがふん、と鼻を鳴らした。あきれた、とでも言いたげに。どうやら俺は、この毛玉にまで同情されているらしい。無言でにらむと、ウンも無言で見返してくる。——わかっている。俺が悪いのではない。褒め言葉というものが、難しすぎるのだ。
* * *
その夜。
結局精いっぱいの褒め言葉は「上客」に化けて、どこかへ消えてしまった。伝えたいことの、十分の一も言えていない。だが縁側で幸せそうに笑った、あのまん丸い目を思い出すと、不思議と腹は立たなかった。
いつか焦らず何度でも言えばいい。お前はたいしたやつだと、伝わるその日まで何度でも。
王都にはまばゆい光とその裏の影がある。この山にあるのは、たったひとつ飾りけのない光だけだ。俺はその光のそばにいられれば、それでいい。
——それがただの褒め言葉なのか、それとももっと厄介な別のなにかなのか。それを確かめるのは、まだ先でいい。
俺はこめかみを押さえたまま、柄にもなく口の端がゆるむのを感じていた。
ここまでお読みくださり、ありがとうございます。
続きが気になりましたら、ブックマークと★での応援をいただけますと、更新の励みになります。
——お代は、銅貨五枚。……ではなく、ブックマークをひとつ、いただけたらうれしいです。




